#6 茅野みゆきは臆病である
「お、お、怖がらんでえーよー、
みゆきが寝ていた休養室に突然入り込んできた女性が、早口でみゆきに話しかける。
荒っぽい関西弁が怖い。大阪に引っ越してきて1ヶ月経っても、慣れない。
「みゆきちゃん、言うんやな。高校1年生? なったばっか? ほなうちより二つ歳下やね」
「……」
「高校生なったばっかやったのに、災難やったね。でももう大丈夫、あんたのフールは抑え込んだで。気分はどない?」
「……」
「ふつう?」
「……は、はい……」
知らない人との沈黙が怖い。だけどこちらから積極的に会話を弾ませる技術もない。FCC専属の保健医だと言っていた女性の姿は見えない。他の人の気配もない。もちろんみゆきの知り合いがここに来てくれる可能性はゼロに等しい。
茅野みゆきは臆病である。
まだ返ってきていないテスト用紙が怖い。生活環境の変化が怖い。大柄な男の人が怖い。知らない男の子に告白されるのが怖い。夜の学校が怖い。姿の見えない虫の音が怖い。無邪気な同調圧力が怖い。流行りを追いかけることが当たり前だという風潮が怖い。罪なき者を傷つける犯罪者が怖い。
そんなみゆきだったので、自分がフールとなって誰かを傷つけることを特に恐れていた。テレビで時折耳にする、「カテゴリー3がこれだけの被害を出した」云々というニュースですら十分に怖かったのに、それが自分のことを報じるだなんて。
「なぜ自分が生きているのか」はわからない。ただ、保健医やFCCの職員の言うところによると、自分はカテゴリー3で、授業中にフールが発現して、FCCの戦闘員に倒されて、フールの力は封じ込められた、と。そういう感じの話だった。
フール関係の事件の映像はFCCによってほとんど制限されており、名前や顔写真ですらニュースには出ない。ただフールが発生した地域と、その被害の規模と、あたりさわりのない地域住民のインタビューと、それくらいだ。対応にあたったFCCの戦闘員の情報もほとんど出ない。当然みゆき自身の情報も出ていないはずだ。
それでも。それでもみゆきは自分のニュースを見ることができなかった。
「あんたが悪意を持って誰かを傷つけたわけじゃない。あんたの中のフールが、好き勝手暴れただけやんか。あんた自身の人格になんも問題ない。それでも見られへんの?」
そう言われても、そんなに簡単には割り切れなかった。みゆきはある意味でひどく自罰的だ。他者を攻撃したり原因を他者に押し付けたりするくらいなら、「自分が悪かった」と反省する方が、ずっと安心できた。
「私が悪いんだから、いっそそのまま殺してくれてもよかったのに」
「あほ!!」
大きな声がみゆきの頬を打つようだった。環が発した声は、暴力よりも鋭かった。
「フールの発現は事故みたいなもんや! たまたま車が歩道に突っ込んで、たまたま歩いてたあんたが怪我して、誰かあんたを責めるか? 責めへんやろ? 突っ込んだ車の方を責めるやろ?」
「でも、その車自体も、私自身じゃないですか」
「ちゃう!! フールは『別の自分』や。全然別人格や。特にカテゴリー3なんかはな。暴れたときの記憶あるんか? ないやろ? あんたが気に病むことちゃう」
「でも、でも、お父さんにもお母さんにも謝れなくて、心配だけかけて、こんな……」
「……家族への情報開示は、条件がめっちゃ厳しいけど、できんことはない。ただ、ちょっと、いろいろ書類とかめんどいけど、うん、できんことはないで」
それは本当の話だろうか。言いよどむのは、実際それをした人がほとんどいないからじゃないだろうか。
「実際、FCC隊員のほとんどは『元フール』や。うちもそうやで?」
「え!? え、そ、そうなんですか!? え? 本当に?」
「だから、『殺してくれた方がよかった』とか言わんといて」
「……すみません」
それは知らなかった。
というか、誰も知らないんじゃないだろうか。処理されたフールが生きていて、隊員になっているなんて、そんなこと、誰も。
「あなたは……家族に生きてるって、伝えられたんですか?」
「うち……両親とも死んどるから、その制度は使ってへん」
「あ……」
悪いことを聞いた、とみゆきはうつむいた。
「気にせんでええよ、だいぶ前の話やし」
ひらひらと手を振りながら気軽そうに言うが、本心ではなさそうだ。
「……できるなら……家族に伝えたい……そうしたい気持ちが大きいです」
「OKOK、うちの隊に入ってくれるなら、そのために動いたげる」
「隊に……入る?」
「そ、カテゴリー3のフール発現したやつは、世間的には死んでるやろ? でもあんた、生きてるやろ?」
「はあ……」
「それは、フールの力を『隷属化できた』ってことやねん。まあ訓練とかは必要やけど、一般人よりずっとずっと強い力持っとるんよ。せやから、その力生かして、影で世界を救う『FCC隊員』になってほしいな、と、そう思っとるわけ。あ、もちろん戦闘員な」
「私……運動できません……」
「いやいや、フールの時の力は、なかなかやったで。うちらでも結構手こずったし」
「覚えてませんよ……そのときのことなんて……」
「まあまあ、とにかく、一回ゆっくり考えてみて。うちの隊、女子隊員募集中やねん」
ニカッ、と快活に笑うその人は、とても眩しかった。
きっとこの人も、今のみゆきみたいな心境のころがあったはずだ。フールとして暴れて、制圧された過去があるはずだ。みゆきはそれを思って複雑だった。
……でも、この人も、私と同じ「色」をしている。
これまでめったに出会うことはなかったのに。
「あの……環さん……」
「環隊長、って呼んで。難波隊長でもええけど、うち自分の名字あんま好きちゃうねん」
「環」は下の名だったのか。
というか若く見えるけど、みゆきより二つ年上ってことはまだ18歳だろうけど、それで隊長だったのか。隊長というのがどういう立場なのか、みゆきは知らないのだが。
「いやまだ入隊しませんけど」
「まあええやん細かいことは気にせんで。で、なに? みゆきちゃん」
「環さん、人のオーラって見えますか?」
「は? オーラ? 見えへんけど? なにあんた、占いとか好きなん?」
「いや、そういう訳ではなく……」
「うちのオーラ、濁ってるからこの壺買え、とかこの数珠買え、とか言わんやろね」
「言いませんよそんな詐欺師みたいな」
「あっはっは、詐欺師ちゃうかったか」
ずっと鏡を見ながら、この色はなんなんだろうとみゆきは思っていた。
周りの人間を見回しても、みんな「色が薄かった」のだ。自分と同じような色をした人は、ほとんど見たことがなかったのだ。ごくまれに「色が濃い」人を見かけても、自分との共通点がまるでわからなかった。それに、そういう人たちはすべて「他人」だった。テレビで見かけたり、人混みの中にいたり。そんな人に「あなた、私と同じ色のオーラをしていますが、どうしてですか?」なんて聞けなかった。それこそ詐欺師だとしか思われないだろう。もしくは頭のおかしい人か。だからみゆきは、高校生になっても自分だけに見えるこの「色」が、一体なんなのかわからないままだった。
「私、ずっと人の『色』を見てきたんです。自分の色と同じ色の人、ほとんど出会ったことなかったんです。でも、環さん、私と同じ色をしています」
「……ふうん」
「それって、オーラみたいなものかな、ってずっと思ってました。でも、よくわからなくて」
「それって、写真でも見えんの? その、オーラ?」
「……はい、一応」
「ほな、この写真見て、色教えてくれへん?」
環が差し出した端末に、環を含めた数人の女性が映っていた。
「えっと……え、え、みんな同じ色……です……みんな色が濃い……私と……同じ色です……こんなにいっぱい集まってるの、見たことない……」
環が息を飲んだ。
「ほな、ほな、こっちの写真は!?」
また環が端末を操作し、別の写真を示した。今度は年配の男女が4人映っている。
「……こっちも……みんな色が濃い……です……でも……」
「……でも?」
「このおじさんだけ……他の人よりは少し薄いです。この色の人は……ときどき見かけました……」
「!!」
突然環がみゆきを抱きしめた。
「きゃっ!!」
すぐに体を離すと、満面の笑みで、嬉しそうに、それこそ何億円レベルの宝くじが当たったみたいな顔でみゆきを見つめる。
「みゆきちゃん、なにがなんでもうちの隊に入ってもらうで、もう決めた!」
彼女がなにに興奮しているのか、わけがわからない。
だけどみゆきは、平凡だった自分の人生が少し動き出したことを予感していた。
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