受動的に選択する能動的な生き方

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彩名と会話をした日以降、ちとせの頭の中にはもやもやとした明確とは言い難い考えが渦巻いていた。


ちとせはあの日、朧げではあるが何か【答え】の様な物に触れられた気がしていた…

まりえの命に対する価値観と、彩名のその価値観への向き合い方は18を迎えたばかりのちとせが想像しうる常識とは大きくかけ離れていたが、それでも一見支離滅裂に見える【救いをもたらす死】と言う2人の価値観には確かな整合制を感じたし、その価値観は自分にも当てはめる事が出来る様な気がしたのだ。


【生きているってどう言う事なんだろう…】


自室のワーキングチェアに体を預け、その背もたれを目一杯後ろにのけぞらせると腰を伸ばしながらちとせは考えた。


【生まれて来たくて生まれてくる人は居ない】


これは間違いないなと思った、生まれてくるか否かを誕生前にあらかじめ自身で選択してこの世に産み落とされる人間なんて絶対に居ない、当たり前だ…命とは常に自分の意志や都合を顧みずに紡がれる物だ、こういってしまえば身もふたもないが、人間における新しい命とは、常に誕生する命側ではなく、【その命を誕生させたつがい】側の都合によって創造される。


【その命を自らの意志で終わらせる事は悪いこと?】


であれば自身の意志の外側で発生した命を自らの選択で終える事は罪とは言えないのではないか?

人はこの世に誕生した瞬間、その人生を生きていく事を強いられる。人生に希望を見出して、生きて行くことに前向きな人間にとってそれは大した問題では無いだろう…

では何らかの事情・思想で生きて行く事に意味を見出せない人間にとってはどうか…

いつ迎えるとも分からない寿命に辟易としながら、すぐにでも終わらせたい人生をただダラダラと歩み続ける。

しかも、生きている事は素晴らしく、人生とは美しいと言う世界の普遍的価値観の中でだ、ちとせにとってこれはもはや拷問に近い物に感じられた。


【最初は常に強制的なんだ、最後くらい、自分で選んでもいいんじゃないかな…】


世界にいる何十億と言う人間達は何故なんの疑問もなく日々を生き、至極当たり前の事の様に迷いなく人生を歩んでいけるのだろうか…

もちろん悩んだり思い詰める事はあるのだろう、でもその悩みや苦悩はより良い未来、人生を生きる為の物であって、生きる事そのものに悩みを抱く人間はそうはいない…

考えれば考える程、ちとせはなぜ自分が今を生きているのかが分からなくなった。


【私はどうしたいんだろう…】


分からない…

彩名にも話した事ではあったが、ちとせには決定的に自主性という物が欠けていた、死にたいのか、生きたいのかと言う生命の根源に関わる問題でさえ、ちとせにとってはどちらでも構わなかった。


答えが出ないまましばらく考え続けた千歳は彩名が言っていた事をふと思い出した。


【精一杯やって、それでも死にたければ死になさい】


彩名がどんな事を意図してちとせにそう言ったのかはわかならい、それでもちとせは彩名のこの一言を落とし所として設定する事にした。


残り四年、学生を卒業するまでは出来る事を精一杯やり続けてみよう…可能なかぎり意識的に…自分の枷を全て外して、したいことをして、したくない事にはしたく無いと言い、欲しいものを買って、食べたい物を食べる、そんな普通の大学生としての生活を全うしよう。


不思議な事に、ちとせは今までどれだけ意識しても出来なかった生き方が何故かいとも簡単にできる様な気がしていた。

皮肉の極みだが【四年経ったら終わりたければ終わればいい】と言う考え方が信じられない程彼女の心を軽くしたのだ。

終わりが見えない道を全力で走り続けるには並々ならぬ意志と覚悟がいる…しかし終了が明示されればどうか?

ここで終わりと言う【ゴール】が有る事が想像するよりずっと強く、走る者の背中を押してくれる物なのだとこの時はじめて実感した。


こうしてちとせは改めて【結城ちとせ】を始める事にした。


【まずはアルバイトでもしてみようかな…】


考えうる世間一般におけるスタンダートな大学生たりえる為、ちとせは【ゴール】に向う為の第一歩を踏み出した。




———————————————————————————



「へぇーあの子がねぇ…」



ガヤガヤと煩わしい環境音に混じって電話口から飾らない声が聞こえる。



「どうなると思いますか?」


彩名は机の淵に腰を当てがいながら寄りかかる様に体を傾けると、左手を机上につきながら、右手で携帯電話を耳に当てがった。


「どう?どうって?」


「彼女はまりえの歩んだ道をなぞる事になるんでしょうか…」


「あのねぇ彩名ちゃん、精神科医は預言者でも超能力者でも無いからね?最終的に個人が出す結論がどうなるかなんて私にも分からないよ、まして彼女の担当医は彩名ちゃんじゃん?君に分からないならお手上げ、私にわかる訳がない…むしろ彩名ちゃんはどうなりえると考えてるの?」


きっと受話器の向こう側で南原唯は大袈裟に両手を広げ、ヤレヤレと言う身振りをして見せている、声を聞くだけで彩名には手に取る様にそれがわかった。


「どうでしょう…結城ちとせと言う患者は私が診察した患者の中でも特に異質な気がするんです、彼女は人に心を開かない、かと言って仮に心を開かせて覗いて見てもその先に隠したいと思う様な何かを抱えている訳じゃない、隠す必要の無い心を閉ざす理由って何なのでしょうか…本人は【受動的】と言う言葉を使っていましたが、それを聞いて"あぁなるほど的を得ているな"と思いました」


「受動的ね、現代人っぽいじゃん!昨今は我が道をブレる事なく進む人より受動的な人の方が多いんじゃないかな?結局は程度の話になるんだろうけどさ…」


「先生が言うと説得力に欠けますね…」


「何それ、どういう意味?」


「言葉のままの意味ですよ?」


「ほーん、言うようになったじゃん」


受話器の向こう側で唯がケラケラと笑うのがわかる


「先生は今どこにいらっしゃるんですか?」


「場所?今はオランダのアムステルダムだけど…根無し草だからね、明日はどこにいるかわかんない様な生活してるよ」


「アムステルダムにはなぜ?」


「んー野暮用?私もまだよくわかんない物の研究してんだよね、まぁ多分彩名ちゃんもその内に首突っ込む事になるよ、これそーゆー案件に発展すると思う、私は!」


「案件ですか…唯先生が言う事って本当に実現してしまうから…怖いです」


「そんなに構えなくても別にとって食おうって訳じゃ無いんだけどね…何か進展したら連絡するよ!いつになるか想像もつかないけど…どうにしろ彩名ちゃんは自分の仕事をやりきるべきだと思うよ、きっちり向き合ってあげなさいな【結城ちとせ君のクランケ】にさ!」


「それは医師としてですか?」


「彩名ちゃんが結城ちとせを患者として見てるなら医師としてだね、彼女を1人の人間だと捉えているならそれはもう医療行為じゃないと思うから…その場合は二階堂彩名としてって事になるのかな…正直な所、私は患者を含む人間関係全般に明確に線を引けないタイプだから、あんまりアドバイス出来ないかなぁーその辺りの話は!」


「頭に入れておきます」


彩名がそう告げると唯は【ま、そう気負わずにね】と言って電話を切った。


久しぶりの2人の会話に特別な所は無かったが、この時の彩名は予感めいた物を感じていた。


そしてその感覚は唯にちとせを紹介された時の物にどこか似ている気がした。
















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