16

ーーーーーーコンコンーーーーーーー


バックルームで書面に軽快なリズムでペンを走らせていた唯がノックに気がついて視線を上げると、看護師が申し訳なさそうに眉を寄せてコチラを窺っていた


「あのう…先生…」


【またか…】事態を把握して唯は心底ゲンナリした。


「いいよ、わかった、ここに通して」


唯は何かを諦めた様子でため息と共に看護師へそう告げると、彼女は小さく一礼して下がっていく。


間をおかず今度はノックを挟まずにガラガラと扉が開く、そこには無精髭の男が立っていた。


「よう先生!」


「無理です、」


「まだ何も話ちゃいねえだろ…でもまぁ悪いな先生、忙しいトコ、おしかけちまって…」


「気にして頂けているのであれば、訪ねて来ないで頂けると嬉しいんですけどねぇ」


唯はデスクの上で器用にペンを回し始める、右へ、左へ、さながら生き物の様に様々な軌道を描いてクルクルと回転を続けるペンに男は【ここまで来ると最早一芸だな】と息を巻いた。


「いや、ぐうの音も出ない程におっしゃる通りなんだけどな、こっちも余裕なくてよ」


「で、今度はなんなの田口さん…」


「殺しだ、容疑者のアタリもついてない状況だ…何とかして犯人像を絞りたい」


「あのねぇ、ここ心療内科なんだよ?心療内科!おわかり?探偵事務所でも科捜研でもないの、そもそも私、犯罪心理学は専攻してないし、慈善団体と勘違いされてるならおあいにく様違います!然るべきトコと連携とってよ…」


「そうは言うけどよ、こないだだって先生のプロファイリングのおかげででホシが上がった訳だし…な?」


「【な?】じゃないから本当に…お陰様で通常の診察に支障が出るレベルで時間が切迫してるの!私は!」


「感謝してるよ!本当に…」


男はそう言ってジャケットの内側からタバコを取り出すと、器用に上下に振って一本飛び出させ口に咥える。


「院内禁煙!」


しかし唯に一刀に伏され、舌打ちと共にしまい直す事になった。


「とりあえず捜査資料はFAXで追って送るよ」


「一っ言も引き受けると言ってないんだけど…ていうか今時FAXって…昭和かよ…」


「先生だって昭和生まれだろう?うちじゃバリバリ現役だぞ?血税で運営されてる公僕を舐めんなよ?」


「FAXのがよっぽどコストがかかると思うんだけど…限りある地球資源の浪費だわ…」


「善良な市民のご意見として上に伝えておくよ、ま、伝えるだけな…」


「急ぎなの?」


「明後日には捜査本部が立ち上がる、とりあえずの形にはしておきたい」


「無理!、午後の診療もあるし、帰って旦那の夕飯も用意しなきゃならないし、共働きの主婦舐めないでよね…」


「そこを何とか頼みたいんだよ、もちろんきちんと謝礼はする、闇雲に足と時間を使うよりよっぽどコストかからねぇんだ!善良な市民の血税の為にも…な?今回だけっ!」


「天才の脳の占有率を割く行為は足を使うよりよっぽど高くつくって、【善良な市民】とやらに言っといてくれる?」


「傑作だ。あぁ、そういやぁ先生にもう一つ知らせがあったんだ、小津まりえ、覚えてるよな?奇妙な縁で、そいつの妹とちょっとした顔見知りなんだが、今年警察学校へ入学が決まったよ、ねぇちゃんの死の真相?を追いたいらしい、その為に警察になる必要なんかないって何度も言ったんだが、これがガキのくせになかなかに強情でな…」


「小津さん、妹さんいたんだ…でも彼女の死は…」


「あぁ、別に何一つ不審点が無い事も伝えてある、ソイツもそれに関しては納得してるみてぇなんだけどな、アイツが追いかけようとしてんのはもっとこう、なんつうか、姉の死の背景っつうか、そういう事らしい…まぁ、好きにやらせようと思ってるよ」


「そっか…私もいつかきちんと話てみたい物ね…」


「先生は小津まりえのメンタルケアの担当医なんだ、もうちっと歳とったら訪ねてくるだろ、親バカだが、アイツはいいデカになるぜ…度胸もあるし頭もキレる」


「田口さんに染まらないといいんだけど…」


「心からいらん心配ありがとよ、そういやそっちのお嬢ちゃんはどうなんだ?」


「彩名の事?」


「だいぶ優秀って話じゃねぇか」


「ええ、私よりよっぽど資質は高いと思ってる、何であの子が精神科医に興味を持ったのか、本当にわから無いんだよね…大学病院で外科でも目指せばとんでもなく出世しただろうに…」


「そりゃお前、憧れてたんじゃないか?先生に」


「あははは、それは無いね、田口さんもしばらく話てみればわかると思うよ、彩名は絶対にそう言う凡俗的な理由で自分の進む道を決めたりしない、絶対に!」


「言い切るじゃねぇか」


「言い切れるね、それが二階堂彩名って子なの。正直、犯罪心理学とかプロファイリングとかは私よりよっぽど彩名の方が向いているよ」


「何でそう思う?」


「彼女、純粋なんだよね、と言っても汚い物や悪いことを避けて白く保たれた純粋とは全然違っていて…言葉にするのは難しいんだけど、無垢っていうか、良い事も悪い事も同じ、フラットな目線で接してしまう、善悪の分別が無いのではなく、善悪の分別に一般常識や社会的倫理の影響を受けない。これは犯罪心理学においてとても重要なセンスなんだけど…」


「どういう事だそりゃ」


「通常人間は、何かを決断する時に必ず自己の欲望や希望以外の外的影響を受けるの、例えばダイヤモンドが欲しいとして、宝石店のガラスケースを割る術があって物理的にそれを入手出来たとしても、通常そんな事をする人間はいない、【欲しい】という動機に【物を正規の手順を踏まずに奪取してはいけない】と言う倫理がストップをかけるからね、だけどこの倫理と言うものは人が集団社会生活を送るために後天的に生み出した通念だから、本人の本能的思考では無い…これを彩名の場合に置き換えると、彼女はまず、【ダイヤモンドの必要性】を思案する、そしてその有用性を確認したら、次に【法を逸脱してまでこれは必要な事・物なのか】と考える訳…少難しくて回りくどい言い回しになっちゃったけど、やってはいけない事だからやらない、ではなくて、やってはいけないことをしてまでする必要性があるかと言う手順で物を考えるって訳」


「別に普通の事じゃぁねのかそれは?」


「じゃぁ、もう少し趣向を変えて…田口さんの大切な人が、今まさにビルの高層階から飛び降りようとしていたら、どうする?」


「止めるに決まってるじゃねぇか」


「そう、それが人としてあるべき通常の反応ね、普通近しい人間が自殺を企てていたら条件反射的にそれを止めてしまう…【命は尊い】から、【生きている事は素晴らしい事】だから、盲目的にそう信じているから…でも彩名は違う、その人が【本当に飛び降りるべきなのか】を考えるのよ…飛び降りる事と飛び降りない事の有用性を必ず天秤にかけるの」


「………」


「これは見る人によってはサイコパスや異常者と映りうる思考ロジックだと思う、ただ、他人の精神に触れ続ける精神科医にとって、ギフトと呼んでも決して大袈裟ではない才能でもあるわ、隣に並んで同じ光景を目撃していても、彩名には見えている景色が他人とは違う…パブリックスタンダートになってしまった倫理や道徳を加味した上で、それに囚われず最善手が何であるかを思案する…どう?とんでもない精神科医になりそうでしょう?」


「まぁ、よその畑の話だし、どうこう言うのも野暮だと思うけどよ、俺にはとんでもねぇ爆弾に思えるけどな、そんなの」


「可能性の話なんだよね、彼女は患者にとってどんな病も治す世界樹の雫にも、飲めば即死するバジリスクの血にもなり得る資質を持ってる」


「おいおい、穏やかじゃねえ話だなぁ」


「医療なんてもんはその起源から穏やかな話じゃぁ無いっての、そもそもね」


「そんなもんかね…」


「彼女は間違いなく、近いうちに精神分析学の世界に一石を投じる、それが社会が求める医療の形である補償はないけど、現在のメンタルヘルスケアのあり方は是非を問われることになるだろうね」


「言い切るじゃねぇか」


「言い切れるわね、重複するけど、それが二階堂彩名なのよ、まぁでも異端だよね、草分けってのはどんなジャンルでも異端ではあると思うけど…江戸時代に死体バラしてた杉田玄白だって、今の西洋医学に対する社会的信用が無ければキチガイと言えるだろうし…」


「死体ばらしてたってお前…」


「考え方がスタンダードかイレギュラーかなんて、結局時代のニーズが決めるのかもね…」


「そうかも知れねぇな…そこまでなげぇ間柄じゃねが、俺もお前さんについて一つ言い切れる事がある」


「………?」


「お前さんが精神科医でよかったって事だ」


「何で?」


「先生に腹やら頭やら開かれるなんて悪夢は想像したくねぇからだよ」


「結構得意なんだけどなぁ…」


「…?」


「お裁縫…」


「笑えねぇよ」


笑えねぇと言う田口は声を出して笑い、【じゃぁ頼んだぜ、】と言い残して部屋を後にした。

唯はなし崩し的に仕事を増やされたことに、しばらくしてから気が付いた。

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