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渋谷区にほど近い神奈川県のベットタウン、小綺麗な住宅が立ち並ぶ一角、白を基調とした一軒家の前で凛は立ち止まり、呼び鈴を押した。

インターホンが【ピンポン】と短く鳴く、ほどなく家人の声がした。


「はい…」


「こんにちわ、はじめまして…橘凛と申します、こちらは結城ちとせさんのお宅でお間違いなかったでしょうか?」


「はい、ええと…」


「自分はちとせさんと同じバルで働いていた者なのですが…、その、今回突然こんな事になって…生前、本当にちとせさんには良くして頂いていたので、その、お話を聞けたらと思って」


「まぁ、貴方が…ちとせのお友達なのね?よかったらお茶でもいかが?どうぞ入って」


「…?」


何処となく受け答えに違和感を覚えながら、凛が首を捻っていると、インターフォンが切れ、ガチャッと言う音と共にドアが開き、そこには少し背が丸まり始めた品の良い老女が立っていた。


「ごめんなさいね、主人は今家を開けていて…」


「とんでもないです、こちらこそいきなりお邪魔してしまって…」


「あら、一向に構わないわ、老人しか居ない家にとって、お客様がいらっしゃる事はこの上なく喜ばしい事なのよ、貴方みたいな若い子ならなおさらだわ」


「まだ結城さんが亡くなってさして日も経って居ないのに…本当にすいません…」


「いいえ、ちとせが生きていたら、お茶を出さないで帰したなんて聞いたらきっと怒るわ、どうかお気になさらないで、あぁそうだったわ…紅茶位しか無いのだけれど、お嫌いでは無かったかしら?私たち夫婦はコーヒーを飲まないから…」


そう言いながら婦人は台所に向かうとポットをコンロにかけ始めた


「どうかお構いなく…」


凛は自分の言葉が婦人の耳に届いたか少し不安だったが、結局ティーポットを運んできた婦人を見て、ご好意に甘える事にした。


「ちとせはね、本当にいい子で…私はあの子の祖母なんですけれど、それでも親バカと言うのかしらね?とにかくワガママや文句を口にしない子だったわ…あの子の両親がもう死んでしまっている事はご存じ?」


「あ、はい、詳しくは聞いていませんが…」


「あの子が9か10か…その程度の歳の時だったかしらね、私の息子とそのお嫁さんが事故で亡くなったの、その日以来、ちとせを私達が引き取って育てて来たわ、あの子は一度教えた事はすぐに覚えるし、体を動かす事も得意で、何より綺麗に成長していった…きっとお嫁さんの遺伝子ね」


夫人は優しく微笑むと紅茶に2つ、角砂糖を入れてティースプーンをカップの中で滑らせる、アールグレイの独特な香りが、ほのかに凛の鼻をくすぐった。


「私たち夫婦には子供が息子1人しか居なかったから…正直なところ、ちとせの存在は救いだったわ…彼女を引き取る事を主人と決めた時、息子が残したかけがえのないこの子を残りの人生を全て捧げて育てよう、それくらい入れ込んだ覚悟をしたものなのよ?」


「…」


「ただね、なんと言うのかしら、こんな事になったからそう思うのかもしれないけれど、あの子はいい子過ぎたと思うの、私としては、もっと怒ったり駄々をこねたりして欲しかったわ、あまりにも聞き分けがいいから、私の心を全て見透かしているんじゃないかと思った位…もっとワガママを言って欲しいだなんて、贅沢な悩みよね、母じゃなくて、祖母だからそう思うのかしら…」


そう言って婦人はまた笑った。

よく笑う朗らかな人柄が、凛にはどこか、結城ちとせと重なって見えた…。


「ところで貴方は、その、ええと、ちとせのボーイフレンドなのかしら?」


凛は口をつけていたティーカップから紅茶を吹き出しそうになったが、すんでの所で耐え切った。


【こんなドラマや漫画の様な反応を実際にしてしまうものなんだな…】

自分が酷く滑稽に思えて、凛も頭をかいて微笑む。


「いいえ、違います、同僚と言うか、仕事を丁寧に教えてくれた先輩で、特別な関係では…」


「あら、ちとせにとっては橘さん、貴方は【特別な人】だったと思うわよ?」


どう言う事だろうか…と凛は少し混乱した、確かに自分は結城ちとせに対して憧れを超える特別な感情を抱いてはいたが、すくなくとも結城ちとせにとって自分はただの同僚のはずだ…


「これ、」


婦人は凛に小さな封筒を手渡した


「あの、これは…」


「ちとせの部屋の机の上に置いてあったの、付箋紙には【もし訪ねてきたら渡す様に】と書かれていたわ」


封筒には小さく丸い、几帳面文字で【橘 凛様】とだけ書かれていた。


「中は勿論読んでいないわ、その中に【貴方が探しているちとせ】が記されているかはわからないけれど…主人なんて、自分達に何も残さず逝ってしまったってワンワン泣いて大変だったのよ?」


そういって婦人は凛にウインクして見せた。


「橘さん、私はちとせにとって貴方がどんな存在だったかは分からないわ、だけどそうね、ちとせを大切に思ってくれて本当にありがとう…」


「俺は…そんな…」


「この歳になるとね、相手の顔をみると大概の事はわかる様になる物よ?まして、気にもとめない人間の生家を訪ねたりしないでしょう?」


「…」


「あら、もうこんな時間、長々と引き止めてしまってごめんなさいね?またいつでもいらして、貴方ならいつでも歓迎するわ」


凛は小さく一例して席を立つと、ジャケットの内ポケットに結城ちとせからの手紙をそっとしまい込んで、婦人に改めて礼を伝えると、結城ちとせの家を後にした。

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