やがて、死に至る愛

10



この日、田口が小津まりえの投身自殺を知りえたのは、本当にまったくの偶然だった。


たまたま初期捜査に当たった所轄の警察官が顔馴染みだったのだ。


刑事課に転属してしばらく経ち、ようやく職務にも慣れてきたその日、新橋まで足を伸ばして居酒屋でハイボールを煽っていた田口は、同僚の話に耳を疑った。


「今日の仏さんなんてもう、救われなくてな、いやぁ、状況としちゃぁまぁ良くある話だよ、でもなぁ…交通課上がりのお前ならわかるだろ?」


同僚は盛大に煙を吐き出しながら、既に溢れ出さん数の吸い殻の森を抱えた灰皿にタバコをねじ込みながら、少し声を顰めて話し始めた。


「病気か、それとも借金とかか?」


「いや、交通事故で家族が亡くなってな、その遺族だったんだが…」


「…」


「何年か前に旦那と生まれたばかりの娘を自動車事故で無くしたらしくてな…それ以来精神がおかしくなっちまって、入退院しながら通院を繰り返してたらしいんだが…」


「似たような事故の本人確認に立ち会った事があるよ…」


「仏さんの身元調べてたらな、旦那と娘が事故死したのが12月24日なんだよ…まったく、この仕事してると神も仏も信じられなくなっちまうよ…」


「…12月24日?」


「ひっでぇ話だろ?こっちまでめいっちまう…」


「仏さんの名前は?」


「確か小田?とか小津?とかそんな名前だったような気がするけど、どうしたんだお前、急に…」


「悪い、会計ここ置いておく!」


田口は5000円札をテーブルに叩きつけると背広を椅子から掬い上げ、飲み屋の看板やネオンサインが彩る夜の赤坂を駅に向かって走り出した。




ーーーーーーーーーーーーーーーーー



【何をしているんだ…俺は】


田口は後日、小津まりえの実家を訪れていた、小さな箱に収まった【小津まりえ】に対面し、焼香を終え、手を合わせる、何を祈ったのかはよく覚えていない。


遺体の身元を確認してもらったあの日以降、まりえとは一度として連絡を取った事も、会った事も無かった。

友人でも知人でもない2人には他に接点もなく、焼香を上げにいくような関係では無かったが、それでも田口は彼女の死を偶然知ってしまった事実に運命めいた物を感じていた。


何というか、【責任】に似た何かを感じていたのだ。

この人を殺してしまったのは自分なのではないか…訃報を聞いた時、そんな事が頭をよぎって、気が付いたらここにいた。


「ガラじゃぁねぇな…」


田口は小津まりえの両親に深々と頭を下げると彼女の家を後にし、さして大きい訳ではない生垣に挟まれた門をでた所でポケットからクシャクシャのタバコを取り出し、慣れた手つきで火をつけ、ため息と共に煙を吐き出していく。

今一度ソレを口元に運ぼうとした田口は、まりえに小さな子供がいた事を思い出して、なんとなく吸い出したばかりのタバコを携帯灰皿に放り込んだ。


「あの、刑事さん、ありがとうございます」


唐突に後ろから声をかけられた。


「あぁ…えぇと…」


「成宮雪乃です、小津まりえの妹です」


振り返るとそこには何処か小津まりえの面影を映す、綺麗な少女が立っていた。

14.15歳…中学生、いや、高校生だろうか…隙なくまとめ上げられた髪を一束に束ね、黒い喪服のワンピースを着た少女は少し大人びて見える。


「あぁ、妹さん…この度は本当に…なんと言って良いか…残念でした…」


「いえ、父も母も酷く気を落としていますけど、私はお姉ちゃんが決めた事だからこれで良かったんじゃないかと思います。」


【気丈だな…こんな子供が…】田口は少女の歳に見合わない意志の強そうな流麗な目元が、数日は泣き続けたであろう程度に腫れぼったくなっている事に気がついた。

それでもなお、姉の葬儀の弔問客に礼を言って回るこの少女に感嘆した。


「姉は、とても迷って居ました」


「迷う?」


「孝弘さんとしずなちゃんに会いたいって…最近ずっとそう言っていて…」


「…」


「私、言われたんです…ほんの数日前、久しぶりに見る嬉しそうに笑う姉から、【理由が見つかったんだ、私の人生だもん、私が選んでいいんだよね、そう教えてくれた人がいたの、いつか雪乃ちゃんにも紹介するね】って」


「それは…」


「姉の死は間違いなく自殺だっと思います、私は刑事さんから見たらまだ子供かもしれないですけど、なんとなく、それはわかるんです…たった1人の姉だったので…」


「自殺を強要された可能性が有るって事かい?」


「わかりません、姉の笑顔は命令された人間に出来る顔じゃなかったと、そう思います…でも、確実に姉の死に関与した人がいます、関与と言うか、少なくとも姉が死ぬ事を知っていた人が居るはずなんです。」


「…」


「私は姉の死の真相を知りたいです、いいえ、真相とは少し違う物かもしれません、私が知らない姉を知りたいと思っています。」


田口は背筋が寒くなる感覚を覚えた、10代の半ばであろうこの少女の目は、確実に目標を追う者だけが放つ鈍い光を宿していた。

この子は全て覚悟しているんだ、姉の死に関わった人間がいる事、そしてそれはきっと法では裁けない事、それでも真実を追い続ける事…この少女は、大人が事務的に片付けてしまった箱を紐解こうとしている、肩を震わせながら姉の死に向き合おうとしている、こんな子供が……


「そうか…」


田口はもう一度内ポケットからタバコを取り出すと、火をつけて深く煙りを吸い込んだ、目の前に居る人間が【子供】だと、彼にはどうしても思えなかったからだ。

そして、これが後に桜舞う桜田門前の警視庁で再開する事になる、田口裕也と、成宮雪乃が初めて顔を合わせた瞬間だった。

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