誓いの雪起花(九)

 あくる日、リュシアンは〈学院〉の楽師組合ギルドを訪れ、冬の間の営業許可を申請した。

 昨夜、眠くなってきたと娘は先に居間をあとにした。ひとり残された詩人は、灯火の揺らめきを眺めながら、自身のこの冬の過ごし方を考えたのだった。

 どこかの城で冬を越すことは諦めていた。今更、数ヶ月をかけて、縄張りにしているエメリア伯領近郊の諸領主の城塞まで赴くなどばかばかしい。ならば、この〈学院〉の街路で日銭を稼ぎつつ、安宿に逗留するしかなかった。

 組合ギルドの建物を出て、リュシアンはとぼとぼと街を歩く。

 もう少し若い十代の終わり頃は、冬の路上で過ごしても平気だった。しかし、詩人としての経験を積み、冬を領主たちの居館で過ごすことを覚えてしまった今、路上の暮らしは耐えられそうになかった。我ながら軟弱になってしまったものだとリュシアンは独りごちた。

 本音を言えば、メリザンドの屋敷を使わせてもらえれば良いのだが、さすがにそれは厚かましく思われた。不幸な報せをもたらした縁起の悪い自分は、早々に彼女の前から姿を消すべきだと考えていた。

 それにしても、とリュシアンは思う。もっと別の形で──例えばエルドレッドが引き合わせた、あるいはまったくの偶然で──彼女と知り合えていたならば、あの美しい娘に美辞麗句を並べたて関心を惹こうなどと考えたかもしれないし、手に入れたいと薄っぺらい愛の言葉を囁いたかもしれない。だがその父親の壮絶な生き様を間近に見た者としては、その娘に不実な気持ちで接することは憚られた。詩人は自身を軽薄な人間だと考えており、そのような者が彼女の周囲にいるべきではなかった。

 娘に対する下心などは起こらず、むしろ詩人は、彼女が再び幸福しあわせをその手に取り戻すのを見届けるまでは、降りかかる不幸から彼女を遠ざけてやりたいとさえ考えつつあった。何ができるというわけでもないが、せめて冬の間は陰ながらその姿を見守り、来春、エルドレッドの墓前に彼女の様子を報告してやりたいと思った。

 結局、エルドレッドから渡された金は受け取りを拒絶され、リュシアンが持つことになった。だがそれを使う気になれず、宿代を工面するためには稼がなければならない。

 組合ギルドに向かう前、屋敷を出る時のメリザンドの様子を詩人は思い浮かべた。その身に起きた不幸を忘れ、振り払うかのように彼女は一心に針をはこんでいた。だが幾度も小さな悲鳴をあげて、そのたびに針に刺された指先を口に咥えていた。痛ましかったが口を挟んでやめさせることもできず、詩人は戸外へと逃げ出したのだった。

 吐息をついて、詩人は街の様子を眺めた。祝祭の準備に人々は浮かれ湧きたっている。今を境に、深まりきった秋は去り冬が訪れる。大きく息を吸えば、鼻の奥にはツンとした鉄のような匂いが刺さる。冬はもう目の前だ。

 どこかで音楽が流れている。祝祭の練習かそれとも営業か。それほど上手くはないと詩人はつぶやき、メリザンドの屋敷へと戻っていった。

 

 相変わらずメリザンドは上の空で針を操っていた。

 薄暗い室内に閉じ篭もり、差し込むわずかばかりの光の中でぼんやりとした表情をしている。窓は開け放たれていたが、空気は澱んでいた。卓上には食事が用意されいていたが、ほんの僅かしか手をつけてはいなかった。世話役の老夫婦はそんな彼女を案じながら、傍でそっと見守っている。

 ──幾度指先を傷つけたのだろうか。こんな生活は良くない。

 娘を見つめて詩人はそう思った。いつかは立ち直るにしても、これが続けば気を病んでしまう。

「メリザンド様」

 少しだけ大きく、はっきりとした声を出してリュシアンが呼びかけると、ビクッとその身を震わせてメリザンドは我にかえった。

「あ、リュシアン殿。戻られたのですね、お帰りなさい。今日はどちらに?」

「楽師組合ギルドに、営業許可を申請してきました。この冬は、〈学院ここ〉に逗留するのが現実的だと思いましたから」

「そうなんですね。わたしたち父娘おやこのために、ごめんなさい」

「お気になさらず。それよりも、域内のどこかに宿を見つけますので、明後日ごろまではここに置いてもらえないでしょうか」

「え? 出て行かれるのですか?」

 キョトンとした表情でメリザンドは答えた。それを受けた詩人は意外そうな表情を浮かべた。メリザンドの表情が、今度は悲しそうなものへと変化した。

「お父様の頼みを果たしてくださった方を、何故追い出すことができましょうか」

「いや、こんな怪しげな放浪楽師を住まわせるなど、御家名に傷がつきます。それに、あらぬ噂でも立ってしまえば貴女の名誉にも傷がつきますよ」

 メリザンドは自嘲した。

「もはや家名も何もありませんよ」

 エルドレッドの死によって、彼女の故郷である父の所領タインが接収されることは必至だった。相続者の資格を持つ夫も子供も持たないメリザンドは、もはや首長エアルルの娘としての生活や将来は望むべくもない。この状況では親族の庇護下に入るのが常套だが、彼女は有力領主である従兄の庇護は拒否するつもりだった。

 そうである以上は、首長エアルルエルドレッドの娘ではなく、ただのメリザンドとしてこれからは生きていかざるを得ない。うら若い娘がそれを心細く思わないわけがない。だから同じ悲しみを共有する詩人に対して、ここにいてほしいと彼女は言外に伝えている。

「じいやたちとも話し合って、そうするのがわたしたちの誠意だと決めました」

 この言葉を受けて、おずおずとリュシアンの顔色を伺うように世話係の老婆が口を挟んだ。

「詩人さん。お嬢様と私たちの話し相手になってはくれませんか?」

 老婆の言葉に詩人は不意をうたれ狼狽した。返す言葉を探す詩人をたたみかけるように、ぽつりぽつりと老婆が語りかけた。

「この異国の地では話し相手も少なくて寂しいのです。ましてや、こんな不幸があると同郷の方の存在がどんなに心強いことか」

 黙り込み思考を巡らせる詩人に、老婆の夫が穏やかに語りかけた。

「お嬢様がお望みだ、この屋敷を使うがいい」

「ですが」

「おまえさんが心配するようなことは何もおきない。俺はエルドレッド様のお父上の頃から仕えた戦士だ。往時ほどには動けぬが、それでもまだ戦にだって出られる。だから、わかるな。お嬢様の名誉が傷つくことはない、安心しろ」

 この脅迫めいた言葉に苦笑を浮かべた詩人に、老戦士は近づきそっと余計な一言を耳打ちした。

「お嬢様に手を出すのは許さんが、お前さんは若い。困ったときは、そういう姫たちの集うところを教えてやる」

 怪訝な表情を浮かべた女二人の目が詩人に注がれ、詩人は居心地の悪さを覚えた。素知らぬ顔で老人が離れると、詩人は期待に満ちたメリザンドの眼差しに気づいた。

 だから詩人は、メリザンドの屋敷で一冬を過ごす事に決めた。

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