戦場の糸繰草(六)

 戦況は刻一刻と変化する。

 ベオルニア騎兵に分断されたアラン人ではあったが、徐々に恐慌状態から解き放たれつつあった。

 たまたま突き出した槍に、馬が怯んだ様を見た一人のアラン人が「槍を突きだせ!」と叫んだ。その声は戦場の地鳴りのような音どもに掻き消されたが、彼は傍にいた二三の僚友の腕を強引に引き寄せて、自分に倣えと槍を突き出した。槍の穂先に怯えた馬は騎手の統制を無視して槍を避けた。機転を利かせたアラン人の一人が角笛を吹き鳴らし、味方の注意を集めると「槍っ!」と叫んだ。

 槍を持つ者たちが前に出て、穂先を並べて陣を守り出す。

 馬たちが暴れ、それまで突撃を繰り返していたベオルニアの騎馬隊は、馬の制御を失った。ある者は落馬し、またある者は暴走する馬によって明後日の方向へと連れ去られた。かろうじて馬を制御した者たちは、気が付くとアラン人に包囲されていた。それでも馬上で剣や槍やらを振り回して敵に出血を強いていたが、じわじわとアラン人に絡め取られて分断され、単騎ずつ囲まれてしまった。

 完全に機動力を失った騎兵たちは、「馬を狙え!」という指示に従うアラン人によって、次々に落馬を強いられた。怯え逃げ出す馬たちの闇雲な動きに幾人かのアラン人が蹴り倒されたが、取り残されたベオルニア騎兵たちは四方からのなぶられるような攻撃を受け、次々と地に倒れていった。

 それでもこの騎兵による攻撃は、ベオルニアに大いなる戦果をもたらした。

 それまで余裕の表情を浮かべていたアラン人たちの表情も今や険しくなり、無傷の者を数えることが難しくなっている。

 失望の中で、どのような形で退却するのかを見定めていたオラーブは、潮間帯の小径がすでに海中に沈んでいることを知り頭を抱えた。落胆した表情を浮かべ、唇を噛みしめて戦場を睨みつける。退却という選択は失われ、いまや死兵と化したべオルニス人との危険な斬り合いを余儀なくされていた。騎兵の攻撃を受けて、アラン人たちの継戦能力も著しく低下している。もはや勝ったとしても掠奪行を継続する余裕はなかった。中途半端で失敗に終わった遠征として、郷里へと戻らねばならなかった。

 だがそれも、この場を切り抜けることが出来ればの話だった。

 握りしめたこぶしを怒りで震わせながらも、オラーブははまずこの局面を打開するための方策を考えねばならなかった。船上で長年浴び続けた直射光と潮風によって深く掘り込まれた皺をさらに深くして、オラーブは戦場を大きく見渡した。首を動かすたびに、長く伸びた髭にまとわりついた戦場の埃がこぼれ落ちる。それを数度繰り返した時、オラーブの目は、ベオルニス人の指揮官と思しき男の姿を捉えた。

 冑によってはっきりとは見えないが、鋭い眼光に短く髭を蓄えた長身の男が、幾人かを率いて、自らのいる本陣へとまっすぐに進んでいた。彼らの持つ剣は血を吸って赤く、その鎧もまた血を浴びて暗赤色に変わっていた。

「あれがエルドレッドか……」

 敵として相対していながら、オラーブの呟きには感嘆の念がこもっていた。

「これしかあるまい……」

 低く小さくつぶやくと、オラーブは側の兵から槍を強引に奪い取り、声を張り上げてエルドレッドに呼びかけた。

「そこな御仁、エルドレッド殿とお見受けする!」

 戦場の者達が動きを止め、声をかけた方とかけられた方、双方の男を交互に見やった。

「いかにも!」

 大きく荒い息を吐きながら、エルドレッドは堂々と短く答えた。

 両者の視線が交錯し、まるで時が止まったかのような静寂が、戦場を包み込んだ。舞い上がった埃が地に落ちて、朧な視界が少しずつ晴れていく。

 大きく息を吸ったアラン人の首領は、無念の表情を浮かべて敵将に向けて叫んだ。

「貴殿の勇戦に敬意を表し、我々は撤退する!」

 余裕ぶった物言いだが、実際はアラン人の被害も甚大で潮時であった。

 エルドレッドは不敵に笑みを浮かべると、声を張り上げて返した。

「賢明なる判断に感謝する。気をつけて北の故郷へと帰られよ!」

 戦は終わろうとしていた。

「この度の戦に際し、この〈橋〉を渡る許可をいただいたこと感謝する」

 既に潮が満ちて水に沈んだ潮間帯の小径を手で指し示し、オラーブは謝意を口にした。敵として相まみえながら、不思議と両者は穏やかな口調となっていた。

「それゆえに、こちらは手ひどくやられてしまった」

「それは当方も同じこと」

 再び両者の間に静寂が訪れた。全軍が衝突しあう戦は終わった。だが残されたことがある。眼光鋭くオラーブはエルドレッドを睨みつけ、言葉をかみしめるように敵将に告げた。

「エルドレッド殿。当方はここで遠征を終わらせて帰郷する。約束する。だが、手土産の一つもなく帰るわけにはいかんのだ」

 その言葉に、エルドレッドはにやりと不敵な笑みを浮かべ、言葉を返した。

「俺の命が欲しいか?」

 今回の遠征はここで中止せざるをえないが、数年後、再び遠征をおこなう時にこの男がいては危険だとオラーブは考えた。エルドレッドの方でも、ここで敵の首領と刺し違えることが出来れば、しばらくは北の民の脅威は無くなると考えた。

 兵と兵の叩き合いは終わった。動きを止めてその熱を冷ましてしまった兵たちは、もう戦えない。戦を終わらせるのは、将と将の討ち合いだった。

 無念そうな表情を浮かべてオラーブは告げた。

「許されよ。いかなる結果になろうとも、次の潮が引いた時、我々は必ず撤退する」

 穏やかな表情でエルドレッドは語り掛けた。

「承知した。だがこちらもタダでと言うわけにはいかぬ。オラーブ殿とはあの世で酒でも酌み交わしたいものだ」

 オラーブはエルドレッドとともにいる小集団の人数を数え、それを確認すると傍にいる側近たちに声をかけた。

「向こうは六人。五人、俺についてこい」


 水が引いていくかのように兵士たちが傷ついた体を引きずって動き出した。集団としての意志がそこに存在するかのように、敵も味方も同調した動きだった。今この場に立っている双方の兵士は、それぞれの指揮官のために、申し合わせたかのように道を開けた。

 開けた道のそれぞれの終着点には、それぞれの指揮者が立っている。もはや誰のものかもわからぬ血を浴びて、ベオルニス人の誇りを背負うエルドレッド。そして、負傷した右肩から今なお血を流し続けながら、槍を握り締めるアラン人の首領オラーブ。

 その槍を高く掲げ、痛む右肩をねじ伏せて、オラーブは槍を敵将に向けて投げ放った。傷ついた肩では力と制御の加減が難しかったのか、槍はエルドレッドの頭を超えてその後方で地に突き刺さった。

 オラーブは戦斧を手に取ると、敵将を目掛けて走り出した。ひとつの間を置いて、配下の戦士達がそれぞれの武器を手に続いた。最後の力を込めてエルドレッドは剣を硬く握りしめると、後ろに侍る者どもの顔を見遣り、そして彼らは言葉なき笑みを交わしあった。

 べオルニス人の主従は周囲を睨みつけて、敵の首領の一団を迎え打とうと剣を構えた。

 土煙と共にアラン人がべオルニス人の小さな一団に迫る。鉄同士が激しくぶつかり合う音が鈍く響き、舞い上がる砂埃や飛び散る鮮血がゆえに多くの者たちの視界が閉ざされた。

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