蛇足 風変わりな手紙

 中世において、兄弟姉妹の関係性は如何なるものであったのか。

 兄弟間の紛争や、または兄弟が協力した政治的・軍事的成功の例は枚挙にいとまがない。だが、そこにはいかなる感情的交流があったのだろうか。

 それを探ろうと思っても、残念ながら兄弟姉妹間のストレートな感情を推しはかることの出来る史料は限られる。

 詩や俗謡といった文学的遺産から想起するのがもっとも簡便な方法であろう。

 また、書簡もそうした感情的交流を探るのには有用である。しかし、古典古代以来の「書簡文芸」のゆえか、残された多くは後世の公開を想定してのものであるため、感情は文芸的装飾を帯び、率直な感情表現を見出すのは難しい。なおかつ書簡そのものの内容も、宗教や政治、学問や哲学であることが多く、当然ながら感情吐露は極めて少ない。またそうした往復書簡は師弟間や恋人・夫婦間は多いものの、兄弟姉妹間となるとそれほど多くはない。保管されて我々が目にすることの出来る兄弟姉妹間の書簡の大部分は、相続や財産分与等の取り決めを定めた用件のみのものである。

 公開を目的としない私信のような書簡も多数存在したであろうが、羊皮の再利用のために文字を削られほとんど残されていない。

 その他、公開を目的としない文筆活動の一つである日記の中に、兄弟姉妹に対する感情の発露を見つけることがある。


(中略)


 兄弟間の感情的な交流を推し量ることが出来る史料として、領主家系の兄弟間の書簡(史料132から137)、市民の日記に残された兄弟についての書き付け(史料138から146)を取り上げた。そこに残された、兄弟を思いやる感情は現代の我々が持つそれとさほど変わりないように思われる。

 だが、男女の兄弟姉妹間に関しての史料となると少ない。男性側の兄弟から女性側の姉妹への書簡として三通(史料147から149)、女性側から男性側への史料として二通(史料150、151)を取り上げた。だが書簡の本旨は政治的内容や相続に関することなどであり、感情が表現されている箇所はごくわずかである。

 そのような中にあって、特筆すべきは史料151の妹から兄へ送られた「私信」である。


(中略)


史料151解説


 若き日のラヴァルダン伯姫アンジェリークが、兄(後のラヴァルダン伯ランベール二世)に送った書簡である。〈学院〉に学び、博識で知られるこの伯姫が、当時もっとも先進的であった〈学院〉の統治機構の詳細を兄に伝える用向きの書簡である。

 十二世紀末から十三世紀初頭にかけて、ラヴァルダンでは他に先駆けて官僚的統治機構が芽吹こうとしていた。伯の尚書部が整備され、同身分集団を廷臣化していくなどの改革が行われようとしていたが、恐らく伯姫によってもたらされたこの情報もまた、その兄を通じて改革に活かされたのであろう。

 この書簡は羊皮紙二葉からなっており、一葉は上述の統治機構の様相をラヴァルダンに伝える公的なもので、手写され伯領の各部局へ発給されることを見越したものである(第2章統治編に史料32として掲載)。

 もう一葉が妹から兄へと宛てたユニークな私信である。

 定型的に「親愛なる兄君」に始まる書簡は、兄の健康と父母の様子を尋ねる紋切り型の文章へ続く。だが中盤、急に砕けた文章に変わる。口語を文語に改めることなく、そのまま書き記したかのようである。整えられていた書体も急に丸みを帯び、ハネやハライ、ノバシが過剰なほど躍動的で流麗な文字へと変わっている(これによりアンジェリークの本来の筆跡を知ることができる)。

 内容も、「冬の寒さに震えながらも、兄様のために〈学院〉の統治の仕組みを報告するこの可愛い妹に、暖かい衣装など贈ってみる気にはなりませんか?」などとおどけた文言が並ぶ。兄に甘える妹の姿は、さほど現代と変わりないように思える。その後、近況や様々な雑談の類が続いた後、アンジェリークの署名でこの書簡は終わる。

 署名も「ラヴァルダンの伯姫アンジェリーク」ではなく「愛すべき可愛い妹アンジェリーク」と最後まで戯けており、極め付けは本来モノグラムや印章を添えるべきところに、可愛らしい女性の顔が落書きされている。恐らく自画像であろうが、当時の絵師が描く静的な描画ではなく、現代の漫画に通じるかのような自由なタッチの線画である。

 この手紙を書いた当時、アンジェリークは二十歳前後であったが、この書簡は十二世紀末の若い貴族女性(アンジェリークは〈学院〉に学んでおり、典型的な貴族女性とは言い難いが)の自由なメンタリティーを垣間見る上でも極めて貴重な史料である。


 兄ランベールが、なぜこのような非公式かつ戯けた書簡をラヴァルダンの書庫に保存したのか、その真意は定かではない。単純に面白がって残したと考えられるし、重要なもう一葉とセットで残しただけかもしれない。

 ラヴァルダン伯家の系図に分かる通り、アンジェリークとランベールは同母の兄妹である。幼少時に母を亡くし、離れて暮らす血を分けた妹姫の身を案じ憂え、兄妹の絆を示すものとして大切に保管したのかもしれない。憶測でしかないが、感情的にはそうであって欲しいと思わずにはいられない。


*O.デュベイ編(枚鐘 琉音 訳)『中世史料をめぐる旅』,雲母堂出版,2007年刊(原著1989年)より。脚註略。

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