ひまわりをさがしに(前)

 道路沿いに広がる収穫後の耕作地、その一角にコスモスが揺れていた。

 その中に一輪だけ、小さなひまわりがあった。

 それに気づいたわたしは自転車を漕ぐのをやめ、転回してその花のもとへと近づいた。秋の冷涼な空気の中で咲く、小さなひまわりの花。

 まるで季節の忘れ物。

 夏の日、このあたりには背の高いひまわりが列をなして咲いていた。

 だけど今は秋。青空にその存在を誇示していた黄色い花の影はない。目の前のちいさな一輪に、わたしは過ぎ去った夏を思う。

 この自転車とともに駆けた夏はまだ数回。ずっと乗っているような気がしたけれど、まだまだそんなものだ。

 そしてはわたしは、ふと、この自転車を手に入れた数年前のことを思い出した。


* * * 


 「はぁ? 競輪でもするん?」

 うきうきで自転車ロードバイクを買ったと話した時、二人の友人は一瞬だけ唖然として、そのあとわたしを揶揄からかった。

「てか、いきなりどうしたん?」

「なんかの影響?」

「男か?」

「いや、舞香マイの場合、アニメじゃね?」

 二人の友達──メイとユウはすぐにわたしで遊ぼうとする。わたしは、努めて穏やかに反論した。

「違うよ」

「じゃあどうしたん、いきなり」

 メイの質問に答えようとして、どこから説明すればいいのか考えて、ざっくりと答えた。

「いきなりでもないんだよね。前にツール・ド・フランスの中継見てから、ずっとお金貯めてたの」

「ずっと?」

「大学のバイト以来だから三年くらいかな」

 少し呆れた顔をされた。

「マジ? そんな貯めるのに時間かかるん?」

「いくら?」

 遠慮なくユウが値段を聴いてきた。まぁ、そこに行き着くよねと思いながらも、答えることを少し躊躇ちゅうちょした。本格的に取り組んでる人からすると安い部類かもしれないけれど、わたしにしてみたら高額商品だ。少しずつ貯金をしていたけれど大学生のうちには貯まらず、社会人になってようやく目標額に到達していた。林檎印のタブレットなら上位機種が二、三台は買えてしまう。

「※※※※※※円」

 躊躇ためらいながら、装備品の値段は省いて極力安くした上で、小声で値段を告げた。

 だが、やはり盛大に呆れられた。

「はぁ?」

「そんなするん? バカじゃないの?」

 バカはひどいと思いつつも、その反応はわかる。自転車なんてホームセンターで安く売られている。スポーツ量販店でも十分な機材は置いてある。より高額なロードバイクを買うお金があれば、他にもたくさん欲しいものが買える。

 彼女たちの反応は理解できるから、特に反論はしなかった。でも、ムッとした顔をしていたらしい。

「拗ねるな、拗ねるな」

 メイが言いながら頭をぽんぽんしてきた。わたしの方が背は高いけど。

舞香あんたのすることはいつもよくわかんねー」

 ユウの感想が引っかかる。「いつも」ってどういうことよ。

 さらにムッとしかけていたわたしに、ユウが素朴な質問をしてきた。

「てか、そのフランスって何?」

 一瞬で機嫌が直ったわたしは、待ってましたとばかりにまくしたてる。

「世界最大の自転車レースだよ。知らないと思うけど、自転車選手って格好いい人多いんだよ、※※※って選手とかね……」

「わかんねー」

 わたしの説明をメイが遮り、再びムッとした感情が沸き上がる。でもまぁ、自分に興味のないことには、誰だってそうかもしれない。友達であっても共有できない世界はあるし、仕方ない。そう思った。

「でも、舞香マイが格好いい男の話題をするのも珍しいね」

「うんうん。あんた可愛いんだから、そっち方面にももっと興味持ちなよ」

 妙なところから彼女たちは話を引き継いだ。

 あれ、自転車の話してたよねと、なんとなく取り残されてしまったわたし。

 でも興味のないことに冷淡な彼女たちを、わたしは批判できない。芸能ネタとかにあんまり興味がないわたしは、普段は他人の話に適当に相槌を打っているだけ。お隣の国のなんとかというアイドルだって、彼女達の話の中にしか存在しない。仕事に集中したくて、恋愛とかも今はいいかななんて思っている。年齢と性別でSNSが提示してくる「おすすめ」も、わたしの興味にはなかなか合致しないし、AIも困ってるんじゃないだろうか。

 自分がズレているのは百も承知だ。でもその上で友達をしてくれているこの二人には感謝している。彼女たちからすると、珍獣を可愛がっている感覚なのかもしれないけれど。

 そんなわたしの目に、自転車選手達は格好良く映った。素敵だなと思う俳優やアイドルを見ても、名前を覚えられないわたし。それなのに外国語の長いチーム名や中心選手の名前はスッと覚えた。万難を排して(おおげさ?)、自転車レースの中継はたくさん見た。時差の関係で、ヨーロッパの自転車レースは深夜にしか放送がないから、散々夜更かしもした。

 実際のところ、ヘルメットとアイウェアで覆われていて、競技中の選手たちの顔立ちはよくわからない。けれども、競技に打ち込む姿にときめいた。口元を歪めながらの登坂とはん、力尽きて失速しながらエースに後を託すアシスト選手たちの誇らしげな笑み、ゴールスプリントの勝者と敗者の明暗……画面越しにそれらが伝わるたびに、わたしは胸を打たれた。

「あとね、ひまわり畑が……」

 とつけ加えようとして言葉を飲み込んだ。

 メイとユウはもう明らかに次の話題に移っていた。そしてわたしはホッとする。

 ひまわり畑、これはきっと通じないと思うから。

 これが数年前。初めて自転車を手にしたときの、友人たちの反応だった。


* * *


 我にかえった。

 目の前には、風に揺れるコスモスとひまわり。

 駆けた季節はまだ少ないけれど、こうしてひまわりを見かけると、わたしはつい立ち止まってしまう。

 ひまわりはわたしを自転車に誘った花。

 その花を眺め、わたしの思考は大学時代へとさかのぼっていく。

 自転車を手にしたあの日から、さらに三年ほど前のことだ。


* * *

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