ひまわりをさがしに(後)
学生時代のある夏の夜。なんとなく眠れなかったわたしはテレビをつけた。いわゆる「ブライトンの奇跡」でラグビーの面白さを知ったわたしは、ラグビー観戦のためにスポーツ専門チャンネルを契約していた。だけどその夜、わたしの目に飛び込んできたのはツール・ド・フランスのライブ映像だった。
それはスポーツ中継というより紀行番組のようだった。空撮や車載カメラから送られる峡谷や峠道、道すがらの教会堂に城塞……。その風景の美しさにわたしは思わず見入っていた。だけどその時は、レースそのものに興味を惹かれたわけではない。
選手たちの車列は勝負をしているという風ではなく、集団ツーリングのように見えたし、彼らの着る派手なジャージは、沿道の美しい風景を損なうものとしか思えなかった。
でも、ある風景が飛び込んできて、わたしの目は画面に釘付けとなった。
それはひまわり畑。
鳥の目で、雲ひとつない夏空と遠くの景色を映し出していた空撮カメラは、突如急降下して地上に焦点を当てると、黄色で画面を染め上げた。どこまでも続くかのようなひまわりの群生。そして列をなして駆け抜けていく選手たちの集団。
息を飲んだ。
規律あるライン。十数チームが集っているはずなのに、集団全体でひとつの意思を持つかのように一糸乱れぬその動きは、流れるようで美しかった。ただ走っているだけではないんだ、そう感じた。
画面全体を埋め尽くすひまわり。その緑と黄色の狭間に見える青い空。そして、疾走していくカラフルなチームウェア。賑やかだった実況と解説の声が止み、そして、風を切り裂く車輪の響きが耳に届く。
美しい、と思った。
時間にして一分強だっただろうか。初めて見る競技なのに、わたしもこんな景色の中を走り抜けてみたい、と思った。
ひまわりの黄色と緑で覆い尽くされた、この美しい世界を感じてみたくなった。
わたしは歴史から物事に入るくせがある。
この競技をもっと知りたいと思ったわたしは、講義が終わると図書館に篭って書を読み漁り、その歴史を蓄積していった。
黎明期の試行錯誤。ライヴァルたちの物語。勝負の舞台となった名だたる峠の数々。競技中の死。一世紀にもわたる歴史の旅は、やがてドーピングの告白でその名声を地に落とした「王者」の半生にたどり着いた。
わたしは彼の現役時代を知らない。この競技の勝者であると同時に、病魔を克服し病に苦しむ人々に慈善の手を伸ばし続けた偉大な王者と、古い本は讃える。そんな王者の欺瞞を抉った告発本も数冊読んだ。
彼の自伝を手に取ったのは、その後だ。嘘で塗れた本程度の思いでページを開いて、図らずも冒頭数行を幾度か読み返した。
ひまわり畑という単語があって、そこにいて、その夏を走り抜けた者にしか伝える事のできない願望が記されていた。
その偽りの栄光を嫌悪する一方で、でもその数行だけは真実だと思いたい自分がいた。
だから、その後のページは読んでいない。
それから、ようやく自転車そのものの情報を集め始めた。ネットやカタログで想像力を膨らませ、いつか自分が手にする日を想い描いた。
書籍代と生活費に多くを充てていたバイト代の残りは、数年後に日本で開催されるラグビーワールドカップ数試合分の観戦資金として貯めていたけれど、そこに自転車購入資金も加わった。とはいえ給付型奨学金をいただいていたわたしは、学業を疎かには出来なかった。だからバイト三昧というわけにはいかず、思うようには貯まらなかった。それでも少しずつ貯め続けて、就職してからようやく目標額に到達した。
その時には、最初に欲しかった機種は既にカタログにはなく、もう一度選び直して、わたしはようやく念願の
ひまわり畑を探しに行こう! ハンドルを握りしめて期待に胸を躍らせた。
友達の反応は、あんなだったけど。
* * *
目の前のコスモスが風を受けてゆらゆらと忙しなく揺れる。対照的にひまわりの揺れは緩慢だ。そんな花たちの揺らぎを見て、わたし自身も風を受け続けていたことに気づく。身体が冷えつつあった。
秋の日差しは穏やかで弱々しく、枯れて生気のない草花が視界に冷涼さを添えてくる。
「もう行こうか」
わたしは再び走り出すために、ひまわりに別れを告げる。
ゆっくりとぺダルを踏む。
秋は鼻の奥に、冷たい空気とツンとした金属的な香りを届けてきた。冬の訪れも近い。
過ぎ去りし日の名残、このひまわりもまたじきに色褪せていく。
そして次の夏、わたしはまた自転車を駆って、ひまわりを見るたびに足を止めてしまうだろう。そして、その濃い緑と鮮やかな黄色の大輪を見て、遠く異国の夏に思いを馳せるはずだ。
その思い描く景色こそ、わたしが自転車を始めたきっかけ。
だけどわたしはなんとなく感じている。
わたしが本当に見たいのはひまわり畑ではなくて、黄色と緑に覆われた景色のその先にある何かだと。わたしの中で、ひまわりに象徴される何かだということを。抽象的すぎて、それが何なのかはわからないけれど、きっとそれを見つけたいんだと思う。
気恥ずかしいから、二人の友人には「自転車に乗って、ひまわり畑を探したい」なんてことは話していない。きっと「北海道にでも行ってみれば」で終わってしまう。彼女たちの様子と口調を思い描いて、わたしは小さく笑う。それでも、二人ともわたしの自転車話を多少は楽しそうに聞いてくれるようになった。「
いつか、どこまでも続いていくかのようなひまわりの群生に出逢って、その先にあるものが何であるのかを感じとることができたなら、その時こそはひまわりのことを二人に話そう。
もしかしたら、ずっと話すことができないかもしれない。
空気を切り裂く車輪の唸り。
駆け抜ける自転車が起こす風。
それを駆る人の息づかい、熱気。
走り続けていればいつの日か、ひまわり畑に、そしてその先にあるかもしれない見果てぬ何かに出会えるのだろうか。
一瞬だけ振り返って、もはや黄色い点としか映らない小さなひまわりを目に焼き付けた。
風が冷たい。
冬は近くまできているようだった。
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