あの大きな天球ドームの下で

私と旦那の母校は渋谷にある。

今は綺麗に建て替えられ、学生たちも若々しく今どきの若者が多いように見える、神道系の大学である。

門を入ると神社があって、そこの前を通る時は二拝二拍手一拝を推奨されていた、〇大神殿である。

毎年箱根駅伝に出ているのを見て、「古代紫」の大学カラーの旗が翻るを見て、何年か前テレビカメラの前でルートを間違えそうになり「あぶねーあぶねー」と苦笑してしまった選手の顔を見て


いい時代になったもんよ


とほうれい線の浮いた顔をほころばせてしまう。


息子ほどの歳の子たちが何ごとかに打ち込み、一生懸命になっている姿はそれだけでとても尊い。推し味あふれてしまう。それも男の子を持ったからであろう。女の子だったらこうはいかなかったろうな(自分と母親の時折り表出する緊張関係を振り返りつつ


さて、その箱根駅伝ランナーたちと同じ学生時代、私と旦那が撃ち込んだのは、特撮とアニメであった。

とはいえ「山形県女子寮」という半官半民の施設で団体生活をしていた私に、基本食堂のチャンネル権はなかった。

若者が溢れる情報バラエティーを見たい他の寮生を押し切って「北斗の拳」を選択し、夕飯タイムに「お前はもう死んでいる」「あべしっ」「ほわたたたたたた」と

千葉ちゃんや神谷さんの血圧大丈夫ですか絶叫を響かせる勇気は、私にはなかったのだ。

(下級生の時は先輩がチャンネル権持ってたしね)


しかし、旦那は違った。

多摩川近くの、タバ作戦失敗でゴジラに踏みつぶされたあたりで生まれ育ち、四畳半の自室に少年ジャンプ、サンデー、ヤンサンの切り抜きと、エアチェックした番組のビデオを一杯に持っていた彼は、家にいる間中、それらにどっぷり浸る事が出来るのだ。

ニルスと北欧に飛び、モルテンと別れたくなくて泣き、シュトロハイイイイイイイムと叫び、くりいむれもんシリーズに浸る。

しかも父親の部屋と兄の部屋に囲まれ、鍵もかからない障子で仕切られた部屋で。


剛の者である。


そんな旦那と私は「〇學院大学遊びの映像研究会」の一員だったわけだが、このサークル、某『夜明け』アニメ制作会社や、某財団Bの映像部門に先輩が行った、小さいながらもガチな団体であった。

「あー、ゴットマーズとか好きだしな」という感覚で入ってしまった私とは、めざすところが違うのだ。

同じく「兄貴もここだったし、自分はここしかない気がするわー」と入った旦那もガチではなかったが、持ち前の人当たりの良さで、ややもすれば分裂しそうになる、作画ガチ勢とゆるふわ語り合いましょう勢の間を、泳いで過ごしていた。


サークル活動は学食(本当は駄目です)でだべるのが主だったが、そのあと渋谷の映画館になだれ込むのもありだった。

私は本郷の寮から歩いて行ける岩波ホールや丸の内線で120円の池袋、大塚、バスで行ける高田馬場あたりの小さな映画館に入り浸っていたが、東急沿線民の旦那にとっては、映画館は『東急文化会館』と『渋谷東映』だったそうだ。

家族で車で渋谷へ行き、父と子供たちが映画を見ている間に女衆がデパートで買い物をする。

そしてデパートの大食堂や東急プラザで食事をし、デパ地下で夕飯のおかずを買って帰る。

そういう休日だったそうだ。


ブルジョワ! 打倒ブルジョワ! 万国の労働者よ団結せよ !


ではない。


我が実家の「大沼デパートと本屋」のカップリングが、山形市or米沢市VS渋谷になっただけである。

かなしくなんかないぞ。


と、渋谷を活動拠点にしている割にはお店や名所に疎い旦那が、私を映画に誘ったことがある。

旦那が、と言うよりサークルの男衆が、である。

「南さん、門限大丈夫だったら一緒に映画見に行かない?」

「みんな一緒だから大丈夫だよー」


サークルの男ざっと10人、女は私1人。旦那よ、普通大丈夫とは言わない。


「いいよー、で、なに?」

駅前の渋谷東急文化会館は大箱の映画館が4つくらい入っている、今にしてみればシネコンのはしりのような建物だった。

常に洋画、邦画の最新作をかけていた。

私は何に誘われるんだ?


「『プロジェクトA子』だよー」


お、おおおう


聴いた事のないタイトルだけど、今どきのアニメっぽいじゃないか。

併映が『亜美・旅立ち・終章』という、思わせぶりなタイトルだ。


部活帰りのオタクたちに囲まれながら観た『A子』と『亜美』

全く予備知識なしに観た1980年代アニメ。


わけわかんねー

A子は目が疲れるし、亜美はセーラー服の女子高生がふらふらと行きずりの逢瀬や芸能活動を満喫しつつ、やっぱり実の兄が良いー、と言う『みゆき』をほうふつとさせるアニメであったが、後者、やたらと昼ドラっぽい演出。

そもそも何も知らずに「終章」をいきなり見るというのが無茶ではないのか。


女が一人いるせいか、一緒に見た彼らも、旦那以外は少し気まずそうだった。

「わけわかんなかったでしょー、ごめんね」

と言ってくれる部長。

「なんで女性である南先輩を誘ったんですか。嫌にさせるに決まってるじゃないですか」とプンスカする後輩のはっちゃん。


そんななか、旦那は余程面白かったらしく、興奮して大声早口で内容や感想をまくしたてていた。

渋谷の駅前。バスロータリー、歩道橋。東横線のかまぼこ駅舎。旦那の大声。

分かったからA子の太ももが―、とか、亜美ちゃんが―、とか。


天真爛漫でとても好ましい。でももうちょっと声を絞ってほしい。


でも、そんな旦那と4年後に結婚するのだから人生面白い。

しかもプロジェクトA子のパンツと太もも丸出しアクションを見た、亜美の虚ろな瞳と半開きの唇を見た東急文化会館内の、『東急ゴールデンホール』で。


結婚後、二人で同じ建物の『五島プラネタリウム』に行った。

池袋のサンシャインプラネタリウムにはかなわないが、やや狭めのしっくりするチェアに並んで座り、手をつないでカシオペア座への旅を楽しんだ。

渋谷の駅を出るとすぐ目に入る映画館の手描き看板。そしてプラネタリウムの丸い天球ドーム。


それはどれも、もうない。


再開発された駅前の同じ場所には、『渋谷ヒカリエ』という高層ビルが建っている。


NHKの『ドキュメント72時間』東急東横線渋谷駅最後の日を見る旦那は、泣いていた。


歳を重ねると感性が柔らかくなる人と、私のように硬直してくる人がいるらしい。旦那の柔らかな心がうらやましくもある。


『亜美・旅立ち・終章』の原作・脚本の倉田悠子氏は、後に川端康成文学賞他数々の文学賞を受賞した作家・稲葉真弓氏のペンネームだったと知ったのは、ずっと後になってからである。

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