日日在片
南 伽耶子
プロローグ いかりを上げろ
近年、絞り忘れた流しの隅のスポンジからぬるぬると水がしみ出すように、脳みそから記憶がなくなりつつある。
生活に密着し、いつも思わざるを得ない事以外の、たまに思い出す必要のないものから、「それ」の輪郭が曖昧模糊、もにゃもにゃとにじみ、そのものずばりと出てこなくなる。
これはいかん
古くなった感性を道に落として徘徊するようになる前に、日々思いついたもの、感慨の堰に引っかかったものを、言葉として書きとめておこうと思う。
言葉を学び、自由に本が読めるレベルの脳みそになったとき、初めて面白いなと思ったのが、佐藤愛子氏のエッセイだった。
母の実家に住む、15歳以上年上の従姉妹たちが読んでいた、集英社の女性雑誌「non-no」に掲載されていた『娘と私の部屋』である。
遊びに行くたびに読みふけっていたので、とうとう従兄弟がバックナンバーを全部くれた。
豆腐・あぶらげ屋を営む母の兄が、配達用の車に積んで持ってきてくれた、ハーフの美女が表紙を飾る雑誌は、母に連れられて行く『しろばら美容室』のヘアスプレーやパーマ液の匂いのしみた婦人誌より洒落ていて、米沢の端の山脈のはるか南、いくつものトンネルをくぐり平野と町を抜けた先にあるという「東京」を感じさせた。
山形県長井市では浮いてしまうであろう流行りの服や、街角ショット、流行り始めたという「甘くない白いチーズケーキ」や軽井沢の別荘、教会。
それらがグラビアと共に軽やかな文章でつづられ、恐らく私は旅行のパンフレットや外国の少女小説を読むように、空想の『都会王国』を築いていったのであろう。
そんななか、圧倒的な重量感を持って異彩を放っていたのが、佐藤愛子のエッセーページである。
マジカル空想都会女子パワーを圧して、満ち満ちる異質感。まさにページごと異界であった。
代表作と言われる「戦いすんで日が暮れて」を読むのはずっとあと、大学四年になってからであるが、ノンノエッセーにおいてもスタン・ハンセンのような果てしないエネルギーと鋭さに恐れ入り、また何でも飲み込んでは受け入れられないものを毅然と吐き出す強さに驚いた。
小学生当時の感想としては「怒ってばかりで疲れないかなあ、この人」だったが。
そんなわけで、還暦近くなりそろそろ赤いちゃんちゃんこを自ら縫うべき年になって来た際、思い出されるのが、あの佐藤愛子エッセーの怒りパワーを「面白い」と喜んで読んでいた母である。
アマチュアの物語作者が『昭和の』ときいてすぐ思い出すような、「しかたないごで」「ちゃんとすろず」が口癖の母は、30代後半、私がもらって来た「non-no」を一緒に読んでいた。
ちなみに前褐の二言は「仕方ないでしょ」「ちゃんとしなさい」の西置賜弁だ。
自分を押し殺すことを持って美徳とし、織物屋の一人息子に嫁ぎ働き続けた母であるが、共感するところ大であったに違いない。
言葉が欠片になって、わたしが歩く道に落ちていくが、風化しても見つける方もあるだろう。
そんな一群を書きたいものである。
(追記)
話を聞くと旦那も佐藤愛子のファンであった。
元々北杜夫ファンの彼は、遠藤周作、川上宗薫らのエッセイに登場する『懐深い猛女』先生として認識していたらしい。
子供の頃放映された「すばらしき仲間」において、躁状態の北杜夫、いたずらっこの遠藤周作を悠然とながし笑い飛ばす佐藤愛子の雄姿が強く残っているらしい
見たかったです。
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