㊙いぬみみ男子調査ファイル
空廻ロジカ
全1話
――A.D.二八〇X年、地球に大規模隕石群が降り注いだ。
地球陥落と呼ばれるその出来事で、人類は多くの尊い生命と、そして、文明を失った。
それから二百年余り。
生き残りの人類はシェルターに潜み、再び人類が地上の覇者とならんことを夢見て文明を再構築していた。
そしてついに人々はシェルターを出て、地上で新たな生活を開始する。
しかしその時、地上には――……
「その時、地上にはヒト型の未確認生物がコロニーを構えていたのです」
壇上から響く
白川・K・
「その生物は、犬のような耳と尻尾をもつ以外はヒトと寸分変わらない、男性型のデミ・ヒューマン――亜人類でした。ただし彼らの生態は、ヒトとは大きく異なります。彼らには性染色体XXを持つ性――すなわち女性型は存在しません。よって、彼らの繁殖方法は、長らく謎に包まれていました」
冴理はそこで言葉を切った。
聴衆は壇上の冴理に注目し、次の言葉を待っている。
この先に語られるだろうことなど、講演会の参加者にとっては既知の事実である。だが、彼らは他でもない冴理の講演を聴きに来ているのだ。冴理の一言一句を聞き漏らすまいと、壇上へ意識を集中させている。
「ですが近年、当研究所による調査で彼らは分裂による単性生殖を行っているのではないか、という仮説が唱えられています」
聴衆はさらに期待を込めて、冴理を見つめる。
この先に語られることは、白川・K・冴理の輝かしい功績だ。それを、本人自らが解説しているのだから。
聴衆の異様な熱気をよそに、冴理は淡々と、頭のなかの原稿を読み上げてゆく。
「さらに私、白川・K・冴理の調査により、彼らのうち繁殖可能なのは『始祖』とでもいうべき一個体だけである……との推論がたてられます。現在、彼らからは新たな繁殖活動が認められません。よって、現在『始祖』はロスト――消失した可能性が議論されており……」
□□□
講演を終えた冴理は、会場を後にするべくエントランスまでの廊下を歩いていた。
講演会の参加者も、取材陣もすでに会場を出ている時間だ。今ならば、誰にも煩わされず思考に没頭できる。
といっても、今の冴理が気にかけていることと言えば――……
「……白川女史!」
その時、背後から突然声をかけられた。
歩みを止め振り返ると、その人物はまだ若い、学生のようだった。
講演会の参加者だろう。どこかに隠れてでもいたのだろうか。
「なんでしょう?」
冴理が問うと、学生らしき人物はぴしりと背筋を伸ばし、ハキハキとした声で応える。
「本日の講演、非常に感銘を受けました! 僕も、将来は未確認生物研究所を志望しています。ぜひ、貴女のもとで働きたいんです……!」
まるで敬礼でもしかねない勢いだ。
しかし、学生のそんな様子が冴理の心に響くことはない。
「そうですか」
「……がんばります!」
すげなく返す冴理を意に介することなく、学生は自らの決意を語る。
「どうぞ。……私は所用がありますので、これにて」
「は、はい!」
「では」
冴理は再び歩きだし、振り返ることなくエントランスを進む。
「待っててくださいね、女史……!」
学生の声は冴理の耳には届いても、心に落ちることはなかった。
□□□
――中央官庁街・居住エリアS地区。
知的エリート層である上級市民の家々が立ち並ぶ一角に、冴理の家はある。
大きな家ではあるが、権威付けのための広い庭や、豪奢な玄関などはない。
頑丈だが簡素なドアに、腕につけたデバイスをかざす。僅かな音をたててスライドしたドアのその先に、ひとりの人影があった。
冴理を待っていたのだ。
「おかえりっ、サエリ……!」
「こ、こらっ。犬のように飛びついてくるんじゃない」
冴理は慌てて、抱きついてきた彼を引き剥がす。
「えー、ぼく犬だもん! サエリたちが名付けたんでしょ。ヒト型の亜人、男性型のみのデミ・ヒューマン……」
口を尖らせて抗議する彼の頭には、獣の耳がピンと立っている。
「『いぬみみ男子』って!」
彼はその言葉を誇らしく思っているらしい。名付けた冴理の功績だとでも考えているのだろうか。
「だがな、ユール」
冴理は下を見ないようつとめて視線を高い位置に固定し、いぬみみの彼――ユールに言い聞かせる。
「お前は言葉も解するし、耳と尻尾を除き、ヒトと同じ肉体を持っている。……つまり、もっと恥じらいを持て!」
「え?」
「裸で抱きついてくるなと言ってるんだ、ユール!!」
「ええー」
至って当然の主張をした冴理だが、ユールは頬を膨らませて不満そうにする。
「ええー。サエリいつも、ぼくの身体きれいだって、褒めてくれるじゃん!」
「……つ、それはっ」
それは今、言うべきことではない。冴理のそんな思いは、ユールには通用しない。
「昨夜だってぼくの胸に顔を埋めて……、うっとりと甘いため息……ついてたよね」
「……!!」
だって、それは。
それは「夜」の話ではないか。冴理の耳は、熱を持ち赤くなってゆく。
「言うな……」
「やだよーだ。サエリ、ぼくのこと大好きじゃん。寝るときもいつも、仲良くしてて……」
「~~っ、ゆ、ユール! 私を誰だと思って……っ」
「……誰って」
何を当たり前のことを訊くのか。ユールは少し耳を寝かせてみせる。
「未確認生物研究所、デミ・ヒューマン調査室特任主査。弱冠二十二歳で今の地位に上り詰めた才媛……でしょ」
「わかってるなら……」
自分も彼も、わきまえなければいけない。
冴理は世間の若い女性とは、何もかもが違っているのだから。
「でも、ぼくの前では――ひとりの寂しがり屋な女の子」
「っ」
「ぼくに抱きしめられるだけで泣いちゃうような……純粋な女の子、だよ」
頬が熱い。冴理を見つめるユールの瞳から伝わる熱が、冴理の体温を上昇させる。
「ねぇ、わかってる? ……キミはもう、後戻りできないんだよ。サエリが『始祖』って名付けた存在であるぼくを匿って――」
始祖。それは、『いぬみみ男子』すべての元になる存在。
「毎晩、ぼくと一緒に寝てる……それが、キミの姿。……本当の、サエリ――……」
「……、だ……っ、て」
何が「だって」なのか。冴理にもわからない。
講演会で理路整然と演説する姿とは打って変わり、ユールの前での冴理は、理屈も何もわからない赤子のようになってしまう。
「わた、私……っ」
どうしたらいいのかわからない。冴理は目頭が熱くなるのを感じた。
「……わかってるよ、サエリ」
ユールが腕を伸ばし、サエリの頬に触れる。
「ひとりは寂しいからね」
「――……っ」
冴理はこれまでの人生、勉学と研究にすべてを捧げてきた。
それが人類のためだと、優れた頭脳を持って生まれた自分の使命だと信じていたから。……信じているから。
――だけど……。
「だから、ね。ぼくがずっと……抱きしめててあげる。サエリを離さないで、ずっと、一緒にいてあげるから」
「ユー、ル……」
「ね? ほら……キスしよ?」
ユールの色の薄いまつげが揺れる。熱を帯びた瞳が、容赦なく冴理の
本性を、曝かれてゆく……。
「……っ、ん……は……っ」
くちづけ、舌を絡めあう。
――もう止まらない、止められない。身体が、潤み始めている。
冴理の身を灼く熱は、けして綺麗なものではないというのに。
受け容れられたい。すべてを肯定されたい。華々しい功績など脱ぎ去った、ただの冴理を愛してほしい。
ユールは冴理の身勝手な感情を受け止めてくれる存在。可愛らしく誘い、けれど雄の身体で冴理を慰めてくれる。
渇望も、甘えも――さみしさも、欲情も。すべてを受け止めてくれる存在なのだ。
それが『いぬみみ男子』の始祖たるユールの、種としての生存戦略なのだろう。
わかっていてなお、冴理は。
「サエリ、……しよ?」
ふたりで寝室へとなだれ込み、身体を貪り合う。
熱にせかされ身体をつなげ、焦れるような快楽を味わった。
「ユー、る……っ」
果てるとき冴理はいつも、ユールの耳を掴む。
肉厚でふわふわとした感触は、冴理を安心させてくれる。
身勝手な感情、身勝手な欲望。人類を裏切ることさえ辞さない、いやらしくて罪深い女。
それでも今は、ただユールと感じていたい――……。
□□□
「……かわいい寝顔」
疲れて眠る冴理の髪を、ユールは指先で弄ぶ。
「――……」
行為のあとの汗が引き始めている。ユールは上掛けを冴理の肩まで引き上げた。
「ぼくは、ずっとずーっと、サエリの味方。味方は……多い方がいいよね?」
ユールのくちびるが笑みの形に象られる。
「サエリがぼくを、
ユールは目を細め、冴理を見つめる。堪えようもなく愛おしい、ただ一人の存在。
「ヒトがみーんないなくなっても、サエリだけはぼくたちと一緒。いつまでも、ずっと……世界が変わっても、一緒に愛し合おうね」
〈了〉
㊙いぬみみ男子調査ファイル 空廻ロジカ @logi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます