第十三話「弱り目に祟り目」


 「……は?」

 「―――だから、俺は今後悪さはしない」


 翌日―――稲荷山の四ツ辻付近にて。

 蘇芳すおうはいつものように「悪戯をして遊ぼう」と誘ってきた薄氷ウスライに対し、「悪行から足を洗う」と宣言した。その言葉を聞いた薄氷は一瞬こそ呆然としていたが、すぐに怪訝そうな顔になり口を開いた。

 「何、突然わけのわからないことを言ってるのさ。……一体、誰にそそのかされたの」

 納得がいかない薄氷は、元凶を突き止めようと蘇芳の両肩を掴み、軽く揺すり始める。そんな困惑した悪友を宥めようと、蘇芳は昨夕起きた出来事の詳細を話した。


 初めこそ相槌を打ちながら大人しく聞いていた薄氷だったが、次第に呆れた表情へと変わっていく。仕舞いには、大きな溜息まで吐き始める始末だ。

 「……蘇芳、君は純粋過ぎるよ。もっと疑わなきゃ! 神だか仏だか知らないけど、君のことを都合よく使ってやろうって思ってるだけかもしれないじゃないか!」

 「嘘を吐いている様には見えなかった。それに、あの人に触れられた瞬間―――今までは疑うことをやめられないまま生きてきたけど……そんな気持ちが全部浄化されたみたいに安心できたんだ」

 「!」

 「生前の母親のことなんてすっかり忘れちまったけど……何というか、それに近いものを感じて」

 「……何だよそれ」

 「薄氷?」

 蘇芳が伏し目がちに、しかしあまりにも穏やかな表情で話すので、薄氷の中で渦巻く黒い感情が大きくなっていく。彼が吐き出すように呟いた声を聞き取って、蘇芳は首を傾げた。

 「今までずっと一緒に居た僕よりも、そんな昨日今日出会った神の言うことを信じるっていうの?」

 「違……俺はただ、薄氷と一緒に眷属になれたらって……」

 「眷属ぅ?! さっきから何だよ、その笑えない冗談は!!」

 『眷属』―――その単語を耳にした瞬間、ついに薄氷の不満が口から零れ始める。突然声を荒げた悪友に、蘇芳は思わずたじろいだ。

 「じ、冗談なんて言うかよ! 俺は本気で―――」

 「笑えない……笑えないよ、蘇芳。僕がどれだけ規制されるのが嫌いか、君は忘れちゃったの?! 眷属になったら、ずっと神につかえなきゃいけなくなるんだよ?!」

 「忘れてねーよ! ずっと仕えることも分かってる。……それでも、俺はお前と一緒に居たくて。だから、こうしてお前に話してるんだろ」

 「あーあー! もういいよ、もういい。君がそんな単純馬鹿だったなんて思いもしなかった」

 「薄氷……っ」

 「眷属になるっていうなら、好きにするといいさ。……でも、もしそうなったら僕は今後一切関わりたくもないけどね!」

 「!」 

 「お前は誰かの下に永遠と属すような……愚かしい奴らとは違うって思ってたんだけど。僕の見当違いだったみたいだね」

 興醒きょうざめしたと言わんばかりに、嫌悪感を剥き出しにする薄氷。話し合う姿勢も見せず、聞く耳すら持とうとしないその態度に、蘇芳も次第に腹を立て始める。

 「……ああ、そうかよ。俺もお前がそこまでの分からずやだとは思わなかった」

 「フン。精々、良い子の仲間入りでもするんだね。いつまで続くかは分からないけど。……後で泣きついてきたって、僕はもう知らないから」

 「それはこっちの台詞だ! お前こそ、一人じゃ何もできない臆病者だろうが!」

 「!! よくも、よくも言ったな……! 僕が居ないと手当てどころか後始末ひとつできないくせに!!」

 「『僕が居ないと』?! 何をするにも人の後ろにくっついてきて、悪戯だっていつも先に俺にやらせて! ……大体、昨日手当てしたのはお前じゃないだろ! 肝心な時に側に居ないくせに、調子の良い時だけ女房ヅラすんな!!」

 「っ、絶交……いいや、絶縁だ! 眷属を目指すなら、もう絶対お前となんて遊んでやらない!! 顔も見たくない!!」

 「好きにしろ! こっちだってもうお前と関わる気はねーよ!!」

 頭に血が上った薄氷が「縁を切る」と断言し、蘇芳も決意は揺るがなかったことから互いに引くことができず、悪友解消・絶縁となってしまった。二匹は互いにそっぽを向き、正反対の方向へと歩き出す。

 その際―――薄氷は一度立ち止まり、少しだけ蘇芳の方へと顔を向けたが……苛立ちが抑えらない蘇芳は、振り返ることなくその場を後にするのだった。





 納得がいかない思いを抱えながら、蘇芳は稲荷山を下山した。彼が本殿までやって来た時、何やら辺りが騒がしいことに気付く。見物人ならぬ見物狐達が、人に化けた姿で何かの周りを取り囲んでいた。

 「何だ?」

 蘇芳は状況を把握するため、人混み狐達を掻き分けて前の方へと進んだ。


 「ち、違います! 僕達は被害者なんです!!」


 目を凝らして確認すると、そこには昨夕―――蘇芳に『暴力』を振るい、挙句には『神通力』を使って瀕死にまで追い込んだ青鈍あおにびと、彼の取り巻きだった二匹が地べたに座り込んでいた。そんな彼らを囲むように、つるばみや白狐の教師達、そして宇迦之御魂ウカノミタマを始めとする佐田彦サタヒコ大宮能売オオミヤノメの稲荷三柱が立ち塞がり、見下ろしている(他二柱の田中タナカシノは中世から祀られ始めたのでここでは登場しない)。

 どうやら、青鈍達は尋問を受けているらしい。

 「あっ、蘇芳!」「蘇芳だ!!」

 周囲に居た狐が、紛れていた蘇芳を見つけたらしい。一匹が声を上げると、続くように騒ぎ始める。その声を聞き取ったのか、注目の的となっていた神々は蘇芳に視線を向けた。

 神格の圧を感じ、蘇芳は思わず後退あとずさる。視線は定まらず、どうしたものかと考えていた時―――。

 「蘇芳、ちょっといいか」

 橡が真面目な表情で声を掛けて手招きしたので、蘇芳はおずおずとその場まで歩み寄った。


 間近で見ると、青鈍達は怪我をしていた。彼は腫れた自分の左頬を押さえ、右手で蘇芳に向けて指を差して訴えた。

 「こいつ……! こいつです!! 蘇芳が僕達を殴ったんです!! 殺されると思ったから、僕は機転を利かせて『神通力』を使っただけで……!!」

 青鈍は蘇芳の姿を見つけるや否や、「先に手を出してきたのは蘇芳の方だ」と主張をし始めたのだ。―――更に彼は、周囲にも聞こえる程の大きな声で叫ぶように言った。

 「僕は……僕はただ! 自分と、この二匹を守るために『神通力』を使っただけなんです!! 稲荷眷属になる者が―――いいえ、稲荷様方の側近候補であるこの僕が、一方的に相手を傷付けるなんて……そんな野蛮なことは致しません!! なっ?! そうだよな……?!」

 「は、はい……」「青鈍様の言う通り……です……」

 有無を言わさない剣幕で確認を取る青鈍を恐れた取り巻きの二匹は、怯えた小さな声で同意した。


 蘇芳が生きていることを察した青鈍は、彼を貶めるため……そして自己保身のために自分の顔を取り巻きに殴らせ、更に自分も取り巻きを殴って痣を付けた。『神通力』を使用して蘇芳を傷付けたことも、蘇芳に襲われたことの正当防衛だとしてしまえば見逃してもらえると考えたのだろう。

 「(大方、一連の流れはこんな感じだろ……)」

 蘇芳は眉間に皺を寄せ、彼らを睨みつけた。―――実際、青鈍は狐の学校において橡に次いで授業態度も良く、成績も優秀だった。表向きは、教師である白狐のいう事もよく聞く『善良な生徒』を演じていたのだ。常に反発して授業態度も悪く、喧嘩や悪戯が絶えない蘇芳の言葉を信じる者などいないだろう――青鈍は、そう確信しての行動だった。そんな彼の主張を聞いた見物狐達は、

 「やっぱりそうか」「あの蘇芳だしな……」

と、ぼそぼそと噂話の声量で騒ぎ始めた。

 青鈍は「信じてほしい」と言わんばかりに、稲荷三柱を前に頭を深々と下げて忠誠を誓っているようだった。しかし、周囲の狐達が騒ぎ出したことを感じ取ると、状況が自分にとって有利に働いている――と確信し、見えない口角が上がっていく。

 「(やられた……!!)」

 その一方で、疑われ始めた蘇芳は唇を噛み締めて拳を握る。このままでは濡れ衣を着せられてしまう――と危機感を覚え、顳顬こめかみからは嫌な汗が滴った。

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