第十一話「嗤う風口の蝋燭」


 ゴッ、ゴッ、―――と、鈍い音が数十回。


 何度も殴られたことで蘇芳すおうの口元は切れ、頬の皮膚は濃い青紫色へと変わっていく。一方で、青鈍あおにびも殴り慣れてはいないらしい。自身の拳も、反動で内出血を起こしていた。

 「はぁっ、はぁっ……!」

 「……フッ」

 鈍い痛みこそ感じたものの、喧嘩慣れをしている蘇芳にとっては青鈍の拳など赤子同然であった。

 数発殴っただけで汗を噴き出して息切れするなんて滑稽だ――と、蘇芳は思わず鼻で笑ってしまったが、それが火に油を注ぐ結果になろうとは。

 「こいつ、まだそんな態度を!!」「野狐やこのくせに!!」

 「……フン、まぁいいさ。僕には、のお前が持っていない『神通力』があるんだ。『妖術』なんて比べ物にならないくらいの力だぞ。『神通力これ』の本当の恐ろしさを、次期右腕の僕がわざわざ教えてやるんだから感謝しろよ」

 そう言うと、青鈍は不気味な笑みを浮かべた。

 「! く、そがぁあ……!!」

 そんなものを使われてはたまったものではない――と、本能的に危機を感じ取った蘇芳は、人型の状態で押さえつけてくる取り巻き達に抵抗して吠えた。

 しかし、神々から使用許可すら得ていないであろう青鈍の『神通力』によって背中に重力を掛けられ、抵抗も虚しく肩を脱臼させられてしまった。腕に力が入らず、蘇芳はだらりと脱力する。それだけに収まらず、ボキリと骨の砕ける音が聞こえたかと思えば、腕をし折られていたのである。

 「ぐ、ぁ……!!」

 後から襲ってくる激痛に、流石の蘇芳も唇を噛み締めてくぐもった声を出す。

 叫び声なんて、負けを認めるようなものだ。――痛みに耐えながらもそう思う蘇芳だったが、この状況はどう見ても自分が不利であり、危険だということも分かっていた。

 まずは両脇を固めている取り巻きを振り払うすべを考えるため、必死に普段は使わない頭を巡らせる。だが、頭を使うのは蘇芳だけではない。青鈍は浮かべていた不気味な笑みを更に深くすると、蘇芳の顔前に手を掲げ―――それを斜めに振り下ろした。


 ザシュッ!!


 布や皮膚の裂ける音が、稲荷山に響く。先程の拳よりも遥かに大きな音に反応したのか、木々に止まって休んでいたらしいカラス達がギャアギャアと騒ぎながら空へと飛び立っていった。

 右耳から斜めに顔を通って、首、左胸の皮膚を鋭利な爪で抉られた感覚になった蘇芳は目を見開く。噴き出す自身の血が、スローモーションの様に見えた。


 血飛沫を上げ、バランスを崩して地面に倒れ込む蘇芳に対し、取り巻き達は小さく悲鳴を漏らして固めていた彼の両脇から腕を放した。

 「あ、青鈍様!」

 「流石にやりすぎでは……っ」

 「何を言ってる。僕は尊厳を踏みにじられたんだぞ。宇迦之御魂神ウカノミタマノカミ様の次期右腕である、この僕が!」

 「し、しかし……こんなことに『神通力』を使ったと眷属様や神様方にバレたら……!!」

 「お前もこうなりたいのか?」

 「め、滅相もない!」

 我が身の可愛さ故に、取り巻きの二匹が真っ青な顔で首を横に振る。青鈍は彼らを横目で睨んだ後、地面に倒れて動かない蘇芳へと再び視線を向けた。 

 「フン。蘇芳こいつは只のはぐれ者……言わば、『御先稲荷おさきとうが』の素質もない部外者だ。本来なら、稲荷山ここに登ることすら烏滸がましい」

 「そ、そうですよね……!」「さ、流石は青鈍様!!」

 「こいつと一緒に居た、あの色素の薄い同胞をは危険だと言っていたが……僕に言わせれば、こいつの方がずっと危険因子に見えるね」

 「確かにそうだ!」 「仰る通りです!」

 「僕はそれを正し、稲荷山における治安を守っただけのこと。……蘇芳、いずれお前の肉体は再び滅んで霊魂へと戻り、無に帰るだろう。せめて、腐敗していく生身の体くらいはこの地の肥料として役立てるよう頑張るんだな」

 愉快だと言わんばかりに高笑いをして、青鈍は場を後にする。取り巻きの狐達も、必死にその後を追って行った。



 蘇芳は青鈍率いる狐達の姿が完全に見えなくなり、気配が消えたことを確認すると、全身の痛みに顔を歪めながらゆっくりと体を起こした。

 「はっ、俺がこの程度で気絶するわけねーだろうが……っ!」

 そう悪態をいてはみたが、また青鈍達が此処へ戻ってくる可能性もある。薄氷ウスライの身を案じないわけではなかったが、普段から見ている逃げ足の早さや、勘も働く彼のことだ。

 自分の血の臭いが周囲に残っているから、状況も察してくれるだろう。――蘇芳は相棒とも言える悪友を信じ、体を庇いながらその場を後にした。





 生前、蘇芳は罠にかかった同胞を助けようとした際、人間に捕まり無惨な殺され方をした。

 「一層のこと、ひと思いに楽にしてくれ」――そう嘆きたくなる程に、甚振いたぶられたのだ。

 ねずみ駆除をしてくれるからという理由で、狐を『益獣えきじゅう』と重宝している地域もあったが、蘇芳が住んでいた場所では同様に田畑を荒らす『害獣』扱いだった。蘇芳はそれを理由に、人間の捌け口として数日間の動物虐待行為をされた挙句、命を落としている。―――故に、青鈍の『神通力』によって右耳から上半身の皮膚までを抉られたとて、生前の苦痛に比べればたかが知れたものだった。


 とは言え、非常に危険な状態であることに変わりはない。瀕死とも呼べる程に大量の血を流し、何とか引き摺って歩いてきた足も重力攻撃の際に巻き込まれ、負荷がかかって一緒に折れていたらしい。人型に化けていられなくなる程、体力も気力も消耗した蘇芳は、現代で言う所の三ノ峰付近にて塚を背に、もたれ掛かる形で崩れ落ちた。

 「俺、また死ぬのかな」

 折角、霊体から生身の体を得られる妖怪化できるまでになったのに。ようやく、人間に負けないくらいには強くなったのに。――蘇芳は、ぼんやりと思考を巡らせた。

 「……で、次の敵は同胞かよ。はは、笑えねぇって……」

 自嘲した蘇芳の脳内で、二度目の走馬灯がぐるぐると回り出す。野狐になってからの記憶はお世辞にも褒められたものではなかったが、悪友の薄氷と過ごしてきた日々は有意義なものであった。

 「ごめん、薄氷。これは薬草じゃ治りそうにねーわ……」

 残される彼を思い、蘇芳は今にも消えそうな声で謝罪の言葉を呟いた。


 その瞬間―――朦朧とする意識の中、蘇芳がもたれかかっている塚の背後に鎮座していた社が光を放つ。

 温かな風に包まれた蘇芳は、不思議と安心感を覚えてそのまま瞼を閉じるのだった。

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