第十話「面皮を剥ぐ短慮達」


 蘇芳すおう薄氷ウスライが稲荷山の麓まで降りてくると、若い雌狐達が人だかりならぬ狐だかりを作り、きゃあきゃあと黄色い声を上げていた。


 目を凝らして見てみると、そこには宇迦之御魂神ウカノミタマノカミの次期側近に決まっているつるばみが姿勢正しく佇んでおり、その周囲には彼を慕っているらしい雄狐達の姿もあった。

 「橡様! 眷属の継承式、楽しみにしています!」

 「えっ? あ、ああ。ありがとう。……でも、百年以上は先の話だぞ? それに、まだ右大臣右腕も決まっていないし……」

 「でも、きっとあっという間ですよ! 次期・右腕はこの青鈍あおにび様が候補に挙がっているのですから!」

 困惑する橡を他所に、取り巻きの狐達の話は盛り上がるばかり。青鈍と呼ばれた狐に至っては、橡の相棒となるのは自分だと信じて疑わないらしく、胸を張って誇らしげな顔をして見せた。

 そんな様子を遠巻きに見ていた蘇芳は、以前から修行を積む狐達の手本的存在だったつるばみのことは認識していた。『清く正しく』が似合うアイツとは馬が合わないだろう――とは思っていたが、本人の意思とは関係なくも周りに集まってくる取り巻き達の姿もあって、やはりいけ好かない思いは変わらない。……それどころか、増す一方であった。

 「宇迦之御魂神の次期側近ってことは、相当強いんだろうね」

 「! ……へぇ、面白れーじゃん」

 「えっ……蘇芳、気になるの? ま、待ってよ!」

 初めこそ素通りしようと考えていたが、血の気が多い蘇芳は薄氷が何気なく呟いた『強い』という言葉に反応を示す。口角を上げて橡の元へと歩みを進めれば、薄氷は焦った様子でその後に続いた。



 「橡、俺と勝負しようぜ」

 「ねぇ、蘇芳……!」

 「! お前は……」

 「何だお前は!」「橡様に向かって馴れ馴れしいぞ!!」

 目を見開いた橡が言葉を続ける前に、取り巻きの数匹が蘇芳に向かって吠えた。しかし本人は彼らを相手にする様子もなく、そでを引いて制する薄氷の声も聞き流して、橡だけを真っ直ぐに見つめて続ける。

 「宇迦之御魂神って言やぁ、『稲荷大神イナリオオカミ神徳しんとくにおける神名しんめいの中でも、中央に座してる神様なんだろ? その側近に決まってお高く止まってるくらいなら……御厚意として、ひとつ俺とも手合わせを願いたいね」

 「! お前……野狐やこの蘇芳だな!! はぐれ者が橡様に何という無礼を!!」

 「下っ端の取り巻きなんぞに用はねーんだよ。俺は橡と話をしてんだ」

 「な……っ、こいつ……!!」

 青鈍が眉間の皺を深くして唇を噛み、拳を握りしめて蘇芳に向けて振り上げる。それには蘇芳だけでなく、薄氷も警戒し拳を握った。―――しかし、それらの騒擾そうじょうは未遂に終わる。

 「喧嘩はよせ、ここは稲荷山の麓だ。神々も見ておられる神聖な場所で失礼を働くのは俺が許さないぞ」

 橡が厳しい口調でそう告げたので、青鈍は渋々と拳を解く。その様子を見て蘇芳と薄氷も肩の力を緩めたが、お互いに睨み合うことは止めなかった。

 「蘇芳、と言ったな。正式な手合わせなら相手になろう。だが、見た所……お前は野狐だから『神通力』は持っていないだろう。それなら、俺は『神通力』だけでなく、『妖術』も使わない。体術の真っ向勝負っていうのはどうだ?」

 「馬鹿にしてんのか?」

 橡の提案に、蘇芳は怪訝な顔を向けた。

 「そうじゃない。俺の得た『神通力』と『妖術』の違いを明確にする必要があるってだけさ。勝負において平等じゃないのは信念に反するからな。それに……素手なら実力を見せるのに後腐れがないし、手っ取り早いだろ」

 「! ……ケッ、優等生が」

 「悪意はない」と、橡に嘘偽りない笑みを向けられた蘇芳は思わずたじろぐ。返す言葉が分からず悪態をいてはみたが、内心は側近確定の相手と勝負が出来ることを楽しみにしている自分がいることにも気付いていた。

 そんな二匹の様子を、不安気に見る薄氷。―――と、不服そうに見つめる青鈍率いる取り巻き達の姿があった。







 夕刻―――稲荷山、現代で言う所の『間ノ峰あいのみね』付近にて。

 蘇芳は、全身がボロボロになった人型姿で、薄氷の肩を借りながら足を進めていた。


 「ってぇ~~……」

 「まったく、無茶するんだから」

 蘇芳と橡の体術勝負は、橡の圧勝だった。

 何度も起死回生を狙って攻撃を繰り返した結果、何発かは橡にも痛手を負わせることができた。……が、技術力の差は圧倒的で、蘇芳は授業を怠ってきたがここに来て現れるとは――と、後悔したものだ。しかし、それ以上に驚いたのは、勝負が終わった後だった。

 「アイツ、宣言通り『神通力』も『妖術』も一切使ってなかったのに、あれだけの体術を……。しかも、霊格を解放した瞬間あんなに別人みてぇに……」

 勝負を終えると、橡は蘇芳に握手を求めてきた。その時は悔しさも相まって渋っていた蘇芳だったが、おずおずと彼の手を握り返す。―――と、抑えていた狐の霊格を解放させた橡の力が、蘇芳を貫いたのである。正確には、「通り抜けた」と言うのが正しいのかもしれない。

 手を握っただけで伝わった圧倒的な『強者』の気に当てられ、悪友の心配を他所に興奮冷めやらぬ様子で独り言を続ける蘇芳。それに対し、薄氷は面白くなさそうに口を尖らせた。

 「もう! いつまで橡のこと考えてるつもりなのさ! ……此処ここで待ってて、今から薬草を採取して来るから」

 「悪いな、薄氷」

 「まったく……いいよ、君のことを一番分かってるのは僕なんだから。こんなことくらい想定内だよ」

 薄氷は満身創痍な蘇芳を木の下に腰掛けさせると、世話焼き女房のような台詞を吐いて狐姿に戻り、薬草を探しに山の上へと駆けて行った。そんな様子を申し訳なさそうに笑って見送った蘇芳は、緊張の糸が切れたようにその場で大の字に寝そべった。


 橡の実力は本物だ。――蘇芳は揺れる木々を見つめながら、先刻の勝負を思い出す。

 それは、攻めの姿勢だけではない。相手の気を読み、緩やかな動きでも徹底した防御をやってのけた。蘇芳は、のらりくらりとかわす彼の動きについて行くことで精一杯だった。修行を積む狐達が憧れるのも、今となっては頷ける。――自身の至らなさ故にとんだ醜態を晒してしまったが、蘇芳は不思議と清々しい気持ちであった。

 「側近、か。……ま、俺には縁のない話だけど」

 木々の隙間から見える空は、夕焼け色に染まっている。それをぼんやりと眺めながら呟いた蘇芳だったが、体術勝負で昼間から動きっぱなしだったこともあり、すっかり体力を消耗していた。

 強い眠気が襲い、そのまま深い眠りに落ちそうになった時―――。


 「随分と惨めな負けっぷりだったな」


 「……?」

 蘇芳が気怠そうに声のする方へ顔を向けると、青鈍率いる橡の取り巻きをしていた雄狐三匹が彼の元へとやって来た。

 「何だ、橡にくっ付いてた金魚の糞か。……何の用だよ?」

 「っ、こいつ……!」「よくもそんな……!」

 「橡様に負けた挙句、お仲間と逃亡して不貞寝ふてねか? はぐれのお前に相応しい姿だな」

 青鈍と呼ばれた『次期右腕』が、寝転がる蘇芳を見下ろして小馬鹿にした。しかし、当の本人は面倒臭いと言いたげに欠伸をひとつすると、上半身を起こして口を開く。

 「んなこと言っても……俺は青鈍お前に負けたわけじゃねーからよ」

 「!! お前……っ!!」 

 「だってそうだろ。俺は橡にこそ負けたけど、強い奴にへつらってるお前らには負ける気しねーもん」

 さらりと正論を言う蘇芳に、青鈍の眉間の皺は深くなり、顳顬こめかみに青筋を立てる。取り巻きの二匹もぎゃあぎゃあと騒ぎ立てた。―――が、感情的になった表情とは裏腹に青鈍の口角は上がり、取り巻きの二匹に目配せをした。

 「まあいい。そこまで言うなら……おい、お前ら」

 「「はい!」」

 「あ? ……おい、どういうつもりだ」

 青鈍の一言で、取り巻きとして人型に化けている狐二匹が蘇芳の両脇を固めた。

 そのまま―――強制的に起こされて身動きが取れなくなった蘇芳の顔面を、青鈍は自身の拳で殴打おうだした。

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