第九話「はぐれの問題児」


 東雲は本殿にて参拝を済ませた後、普段から右京と左京が座している楼門前の階段に腰かけていた。

 稲荷は紫苑や結との用事を済ませるべく、今一度『玉山稲荷』の方へと出掛けている。ぼんやりと人々が行き来する参道を眺めながら、東雲は小さく溜息を吐いた。


 「東雲」

 名を呼ばれ、顔を上げる。―――そこには、左京の姿があった。

 右京や左京が持ち場を離れる時に行うすべとして、『変化へんげの葉』なる葉っぱを自身に見立てて『狛狐姿』に変えていた。東雲は当時から、それを「便利だなあ」と感心していたものだ。今もこうして楼門前の左右には二匹の狛狐の石像が座しているが、其処そこの彼らは居ない。

 その片割れである左京は、こうして東雲の目の前に立ち、顔を覗き込んでいつもの笑みを浮かべていた。

 「左京……」

 「さっきは、右京が悪かったな。怪我とかしてないか?」

 「ありがとう、俺は大丈夫だよ」

 「そうか、それは良かった」

 そう言って左京は安心した表情を見せると、東雲の隣に腰掛けた。

 「……右京あいつが、俺を快く思ってないのは分かってる。それだけ稲荷ことが大切で、好きってことなんだろうから。……でも、だからこそ。感情だけじゃ駄目なんじゃないかって、俺は思うんだよ」

 「右京は気が短いからなあ。……あと、東雲のことだけじゃない。そもそも、アイツは人間が嫌いなんだよ」

 「前々から、そんな気はしてたけど……」

 右京が自分だけでなく人間そのものを快く思っていないことは、東雲も薄々気付いていた。しかし、彼がそこまで『人間』という種族を忌み嫌う理由は謎に包まれている。同居している稲荷のことですら、まだ分からないことだらけなのだ。―――ともなれば、それは眷属の狐達においても同様だった。つい先月末、左京の恋路問題をようやく深く知り得たばかりなのだから、当然とも言えるのだが。


 「東雲、昔話をしようか」

 そんな東雲の心境を察してか、左京が口を開いた。

 「昔話?」

 「ああ。……まだ右京が、だった頃の話だ」

 「はぐれ、狐……」

 「『野狐やこ』ともいう。所謂いわゆる、動物霊だな。右京は元々、ごく普通の狐だった。あいつが人間を嫌悪するのは生前……人間に殺されているからだ」

 「え……?!」

 「稲荷様から聞くに、右京の場合は人間が設置した罠にかかっていた同胞を助けようとした所を逆に捕獲され、命を落としたらしい。元々、『狐』という生き物は警戒心が強くて慎重で……そして何より、臆病だからな。抵抗出来なかったんだろう」

 「臆病って……左京もか?」

 「勿論。だから、トラウマ程ではないにせよ、右京は殺された後に恨みから悪霊化してしまった。人間を嫌い、人に危害を加える野狐やこになったわけだ」

 「そんなことが……」

 右京の死亡理由を知った東雲の表情は思わず暗くなったが、左京は前を見据えて続けた。

 「狐にも、人間でいう所の学校があるのは知ってるか?」

 「あ、ああ。それなら以前、稲荷から聞いたことはあるけど……」

 「霊体となった狐は、一先ずは有無を言わさず自動的にその学校に入ることになってるんだ。そして本来―――真っ当な道筋で言えば、神格を得て善を尽くし、長い年月を掛けて進級していく。進級許可さえ下りたら、それを受けるか現状維持かの判断は個々で出来るんだけどな」

 「へぇ……」

 「だが、神格を持たずに百年、二百年と生き、月日を過ごせば妖狐となる」

 「日本で言う所の、白面金毛はくめんきんもう九尾の狐……玉藻前たまものまえ、だっけか」

 「ああ、流石は東雲だ。『モノノケ出版』に勤めているだけのことはあるな」

 「茶化すなよ。……それで?」

 「ただ、九尾の狐が必ず悪い妖狐かと言えばそうじゃない。溜めた妖気を何に使うかで、その狐の進化形態も変わるんだ」

 「あ! それで言えば、結さんのお母さんは最上位の『天狐』だって紫苑も言ってたな」

 「そうだ。俺や右京は平安後期生まれの狐だが―――今、稲荷様の側近で居ることは勿論……自らの意思で白狐から進化しようとは思っていないから、今の所は何年経っても他の狐に変わることはないんだ」

 「ゲームで言う所の、キャンセルみたいな?」

 「ははは! まあ、そんな所かな」

 現代っ子らしい東雲の言葉に左京は思わず大口を開けて笑うと、一呼吸置いて続けた。

 「右京―――旧名・蘇芳すおうは、『野狐』とは言えど実力や才能自体はその辺の狐達より高かったから。道さえ間違わなければ、立派な白狐やそれ以上の狐になれるんじゃないかって……当時から稲荷様は興味を示していたし、既に次期側近と決まっていた俺も一目いちもく置いていたんだ」

 「右腕になれるくらいだから、潜在能力は高かったんだな」

 「ああ。……だが、肝心な部分である『態度』と『素行』が悪くてな。はぐれ狐同胞と人間を陥れるだけでなく、しょっちゅう他の狐とも喧嘩したり、何かと揉めていたんだよ」

 「まあ、確かにあの性格は衝突も多いだろうけど……」

 東雲は過去に右京から言われた暴言や罵りの数々を思い出し、苦笑する。その様子を横目で見て小さく笑い、左京はぽつりぽつりと話し始めた。

 「あれは、もう千年以上は前だったか。遥か昔の話だ―――」




               〇                       




 「蘇芳! またしてもお前は……!!」


 時は遡ること平安時代末期、京都。

 『東寺』の造営にあたり、正式に鎮守神ちんじゅがみとなった稲荷大神の鎮座する社とあって、名のある公卿くぎょう修営しゅうえいを行っていた稲荷山。その内部では、霊体と化した狐達が一刻も早く進級すべく、日夜修行に明け暮れていた。……にも関わらず、教えを説く眷属白狐の言葉など聞く耳も持たないといった様子の野狐が一匹。

 旧名―――『蘇芳すおう』。後に『右京』の名を授かり、白狐として稲荷の側近・右腕となる、雄狐の姿があった。


 「お前はいつもいつも! どうしてそう態度が悪いんだ!!」

 「へいへい、ごめんなさいよっと」

 獣耳と尾を付けた人型に化けた眷属白狐の教員が、両腕を組んで眉間に皺を寄せている。一方で、同様の人型となっている蘇芳は退屈そうな表情をして、片耳に指を突っ込みながら視線すら合わせようとはしなかった。その時―――。


 「蘇芳」


 名を呼ばれた本人だけでなく、教鞭をっている白狐もが声の方を見た。

 そこには、氷のように淡い水色をした毛並みの野狐がちょこんと上品に座っていた。彼の毛色は、太陽に反射してキラキラと輝いている。

 「薄氷ウスライ!」

 嬉しそうに表情を明るくする蘇芳とは違い、教師である白狐の眉間は深くなるばかりであった。それもその筈―――薄氷は蘇芳の同期であり悪友で、この学校における一番の問題児だったのだから。

 薄氷はチャカチャカと伸びた爪を鳴らしながら近付くと、蘇芳達と同じ人型へと化けた。その姿は『雅』という言葉がよく似合う、中性的で細身の美青年であった。

 「授業が終わってもまだ待ち合わせ場所に来ないから迎えに来てみたら……何だ、先生に捕まってたんだね」

 「いつまで経っても説教が終わんねーからさ」

 「今月に入ってから、どれだけお前達の問題行動報告を受けていると思ってるんだ! 塚に置かれた神饌しんせんを勝手に食べたり、その辺で粗相そそうをしたり!! 挙句には人を騙して金銭をくすねるだの、先日も他の生徒達との喧嘩を繰り返しているらしいじゃないか…!!」

 「すっげ、流石は先生。俺達のことをここまで把握してるなんてよ」

 「たかが二匹の野狐にここまでの時間を自由に使えるなんて、羨ましい限りですよ。僕らに執着せんと、自分の英気でも養われたらどやろか?(訳:暇なんですね)」

 「~~~~~~!! い、いい加減にしないか――――ッ!!!!」

 生徒という名の問題児二匹に揶揄からかわれ、顔を真っ赤にした教師の白狐は、「コヤーーッ!」と狐独特の威嚇声を上げる。


 そんな怒鳴り声を尻目しりめに、二匹は顔を合わせながらケラケラと笑い、その場から逃亡を図るのだった。

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