第十一話「狐達の思案」


 「しかし稲荷様、もう鴉天狗は入って来られませんよ」


 右京が嬉しそうに尾を動かしながら、稲荷へと告げた。

 「紫苑しおんが我らがやしろに帰還するとのことです」

 「なんと、紫苑が」

 「ええ、後日には妹のゆいもやって来るとのことでした。神宮司兄妹が揃えば、再び強力な結界を張れましょう。ですから、もう心配はございませんよ。我らが住処へ帰りましょう!」

 右京は、一刻も早く稲荷を連れ戻したい!と言わんばかりの忙しない口調だった。

 人に「稲荷様を連れて逃げろ」と言ったかと思えば、早く帰ろうなどと、身勝手な狐め。――そう思わなくもなかったが、自分の大切な主人を側に置いて守りたいと思うのは、忠実な眷属であるならば当然だろう。加えて、子どもの姿であろうと、稲荷も人間が住む単身用アパートにいつまでも閉じ込められているというのは窮屈な話である。


 「なあ、紫苑と結って?」

 東雲は、稲荷と右京のやり取りを聞きながら、左京に耳打ちで尋ねた。

 「俺達の社へよく手伝いに来てくれる、出仕しゅっしと巫女のことだ」

 「へぇ……」

 「境内は広いからな、人手は多いに越したことはない。勧請かんじょう―――つまり、全国で稲荷様を中心に豊穣神の分霊わけみたまを祀っている神社があるのは分かるだろ? 紫苑と結は、その神社の一社を任されている家系の息子と娘なんだ。……まあ、それだけじゃないんだが」

 「え?」

 「いいや、何でもない。今度紹介するさ」

 左京が勿体ぶる言い方をしたので、東雲は首を傾げた。―――と、同時に右京と話していた稲荷が口を開いた。

 「わたしは東雲が気に入った。だから、暫くここで世話になることにする」


 「「…………はい?」」

 意外な返事に、右京だけでなく左京までもが硬直した。そんな二匹を気にする様子もなく、稲荷は口角を上げて東雲を見た。

 「よろしく頼むぞ、東雲」

 「は? いや、お前の眷属達が……」

 「そうです稲荷様! 何故このような人間と……! も、もしや、我らが頼りないばかりに、愛想を尽かされたのですか?! も、申し訳ございません……! 今後、このような失態は決して致しませんので……」

 どうか捨てないで!――とでも言いたげな瞳で稲荷に縋る右京の耳と尾は垂れ下がり、先ほどまでの強気で自信家な狐の姿はない。まるで、捨てられた子犬のようであった。


 「落ち着け、右京」

 見兼ねた左京が、右京の肩を叩いてうながした。

 「こ、これが落ち着いていられるか! 俺達が不甲斐ないばかりに……」

 「稲荷様と俺達の関係がそんなもろいものじゃないことくらい、お前が一番分かっているだろう。稲荷様のお考えあってのことだ、俺達はそれに従うべきじゃないか?」

 「それは……そうだが」

 この右京という狐は、余程稲荷と離れる事が苦痛らしい。稲荷への忠誠心が強い証拠だが、何かしら問題が起こると冷静さに欠けるのだろう。それを補っているのが左京のようだ。上手くバランスが取れた関係性だな――と、東雲は二匹を静かに見つめた。

 「すまない右京、わたしの我儘を聞き入れてはくれぬか」

 「稲荷様……」

 「もう何百年と人の前に姿を見せてはいなかったのでな。久々に人間と話して、わたしは心がおどってしまったのだ」

 稲荷は右京の手を取り、申し訳なさそうに告げるのであった。

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