第十話「大天狗の変化」


 「―――あの日、山中さんちゅうで何が起こったのかは分からない。神々は出雲にて神議かむはかりを行っていたし、鞍馬山僧正坊くらまやまそうじょうぼう殿の同胞である天狗達には後日、確認を取ったこともあったんだが……『何が起きたのかわからない』と、状況が掴めず非常に困った様子だった。先刻襲ってきた側近である鴉天狗からすてんぐ―――金将と銀将に至っては、知ってか知らずか、何度聞いても答えてはくれないし……」

 「あいつらは絶対に何か知ってる! ……けど、それを隠してやがるんだ!」

 左京の言葉に続くように、右京が吠えた。


 稲荷は言った。

 「僧正坊殿が変わったのは雷に当たったせいだと、当時はみなが噂していたが……。話が広まるにつれて、彼に何かが憑りついたのではないかと言う者も出始めたのだ」

 「それ程に、全てが変わってしまわれた」

 「ちょ、ちょっと待ってくれ! 整理したい! ……憑りつくって、天狗は神や仏の類じゃないのか?」

 稲荷を筆頭に、白狐達の口から出てくる一つ一つが未知で濃い内容だった。

 いくら東雲が大学一回生の頃からその手の出版業界で働いていたとはいえ、伝承と本物では、天と地ほどの差がある。―――故に、情報量の多さに処理が追い付かなかった。

 「猿田彦サルタヒコ殿など、天狗の外見をしている同胞や、鞍馬山僧正坊殿のように、仏の僧として寺に住まう者もおるよ。しかし、一概に崇高な者ばかりとも言えんのだ」

 「天狗にも善い者と悪い者がいる。我らが狐とて、同じように。……な、右京?」

 「フン」

 確認するように、左京は右京を見た。右京は再び鼻を鳴らして顔を背け、大天狗に対して嫌悪感を露にしているようであった。

 「鞍馬山僧正坊はともかく……稲荷様に惚れている今の大天狗に関しては、そんな清い存在じゃねーよ」

 「ってことは、今の鞍馬山僧正坊って大天狗は……神でも仏でもないと?」

 「な」

 「むしろ、今の鞍馬山僧正坊殿は全くのであると言ってもいい」

 「僧正坊殿も、元は人間だったとも言われている。人間の感情は複雑だというからな。彼が本当に元が人で、憑かれたのが真実だというのなら……何か思いつめることがあったのやもしれん。そこを怪異に付け込まれた……ということも、考えられるわけだ。正真正銘の神や仏に、怪異は憑かぬからな」

 そう言って、稲荷は虚空を見つめた。


 「なるほど……あれ? でも待てよ」

 「どうした?」

 東雲が首を傾げると、稲荷が問うた。

 「今の大天狗が、鞍馬山僧正坊に憑りついた何か……つまり、怪異ってのが本当だったとして……何で稲荷と結婚する必要がでてくるんだ?」

 「いな…っ!? それが分かれば、俺達も苦労してねーんだっつの!」

 東雲の問いに、右京が苛立つ様子で唸った。東雲が「稲荷」と呼び捨てにしている事が気に食わないようだ。彼は一呼吸置いて冷静になると、言葉を続けた。

 「……大方、鞍馬山僧正坊の体を乗っ取って稲荷様を嫁にした暁には、稲荷様の神としての立場をも利用して、自分がのし上がろうって魂胆なんじゃねーのか」

 「確かに、稲荷様のであるということは、強制的に自分が神としてあがめられるわけだからな。それに……」

 「それに?」

 「「稲荷様は美しいからな」」

 「ああ、そう……」

 親馬鹿というか、眷属馬鹿というか。――東雲にとって、神や仏の事情についてはいまいちよく分からないままであった。しかし、白狐達が稲荷を溺愛し、非常に心配していることだけは理解できた。一方、稲荷にとってそれは、いつものことなのだろう。表情を変えることなく、東雲がコップに注いだほうじ茶を、ただ静かに飲んでいた。


 「……ただ、これらのことは全てわたし達の憶測に過ぎない。彼が、何故あのように変わってしまったのか……わたしも不思議でならんよ」

 稲荷は伏し目がちに、小さな声でそう呟いた。

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