第九話「白狐の奇行」


 そこには、窓にへばりつく稲荷の眷属―――白狐・右京の姿があった。

 東雲の肩はビクリと跳ね、「ぎゃあああ」と声を上げそうになったが、何とか寸前の所で飲み込んだ。深呼吸して乱れた心拍数を整えると、施錠されていた窓を勢いよく開けた。


 「何をやってんだ何を!」

 その横には左京の姿もあった。蜥蜴とかげのような体勢で窓にへばり付いている右京に苦笑し、ベランダの壁に凭れ掛かりながら立っている。

 「家が特定できるなら、いっそ玄関から入ってこいよ!」

 心臓に悪い!――そう言って叱る東雲を他所に、右京は開けられた窓の奥に稲荷の姿を確認するや否や、素早い動きで部屋へと入ってきた。

 「おいこら! 靴を脱げ!」

 左京に至っては、申し訳ないと言いたげな表情で東雲に手で軽く会釈をし、右京の後に続くのだった。

 「稲荷様、御無事で!」

 右京が稲荷の側へと駆け寄り、膝を着いて頭を垂れた。少し遅れて左京も続く。

 「すまない右京、左京。お前達に任せてしまって」

 「滅相もございません!」

 「主をお守りするのが我らの役目です。ご無事で良かった」

 首を横に強く振って否定する右京に続き、左京が答えた。

 「東雲がわたしをここまで連れてきてくれたのだ」

 稲荷がそう言うと、二匹は東雲へと視線を移した。狐独特の鋭い眼光で見つめられ、東雲の体は思わず強張る。

 最初に口を開いたのは、左京だった。

 「東雲と言ったな。稲荷様を助けてくれたこと、礼を言う」

 「あ、いや……」

 「こんな狭い所に閉じ込められて、稲荷様もお辛かったことだろうよ」

 「おい!」

 自分が稲荷を守れなかったことが悔しいのか、右京は素直に認めようとしない。フンと鼻を鳴らして顔を背けた。


 「ところで、稲荷様と東雲は何の話をしていたんだ?」

 「あ、そうだそうだ!」

 見かねた左京が話の腰を折ると、東雲はハッとして稲荷を見た。

 「わたしが何故、大天狗に狙われているのか……という話であったな」

 稲荷は、自分にと注がれたほうじ茶をこくりと一口飲み込むと、再び話し始めた。

 「半月ほど前の事だ……我ら稲荷大神眷属の一匹で、名のある狐の娘が嫁入りするとあって、わたしは立会人を頼まれて参列した。その際に、来賓の一人として同様に参列していた大天狗に見定められてしまってな」

 「……んん?」

 「ああ、その話か」右京が嫌そうな顔をした。

 「以降、恋文や貢物みつぎものが届くことも増えた。最初は全て丁重にお断りしていたのだが……奴は諦めが悪くてな。今もこうして、わたしを我がものにしようと虎視眈々こしたんたんと狙っておるのじゃ」

 「つまり、あの鴉天狗達の親玉は稲荷にだから、何が何でも手に入れようとして襲ってきた……と?」

 「そうじゃ」

 「はーーっ、何だよ……! そんな理由で……」

 とんでもない事情があるのではと想定し、必死で駆けたあの時間は一体何だったのだろうか。――理由を聞いて拍子抜けした東雲は、肩を落として項垂れた。

 一方、眷属の二匹は深刻な面持ちで告げた。

 「そんな理由なものか、大ごとだ」

 「稲荷様が大天狗と結婚でもさせられた日には、神々にとっては大事件だ。勿論、それは我ら眷属にとっても言える話だが」

 「天狗って、あの襲ってきた鴉天狗達みたいに修験者しゅげんじゃってイメージがあるけど……神様とはまた別ものなんだろ? 確か、神道と仏教? ……だから、土俵が違うとか、そういう問題からくる揉め事だったりするのか?」

 「詳しいな東雲」「人間が何でそんな事知ってんだよ」

 感心する左京に対し、警戒心を解かない右京は眉間に皺を寄せた。

 東雲が仕事の影響で少しばかりの知識があることを、『御本人』とも言えるこの人外達にどう説明しようかと悩んでいると、左京は手をかざして気にするなと言いたげに止めた。


 「まあ、それも多少あるが……。今回、一番の問題となっているのはそこじゃない」

 「?」

 左京の言葉に東雲は首を傾げたが、構わず稲荷は続けた。

 「わたしを狙っている鞍馬山の大天狗の名は、鞍馬山僧正坊くらまやまそうじょうぼうという。わたしも京都の山に住む神々や狐達との接点があるから、よく知っているのだが……。人格者であり、とても優秀な大天狗であったよ。時代をさかのぼれば、人間の嫁がいたこともある。種族問わず、慕われておった」

 「? じゃあ、何で……」

 東雲が怪訝そうな顔で見ると、稲荷の顔は深刻なものへと変わった。

 「半月程前、鞍馬山にて大きな落雷があった。……その日以来、鞍馬山僧正坊は変わってしまったのだ」

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