第五話「東雲の逃走」


 「人の子よ、もういいぞ」

 子供の声がして、東雲はそっと目を開けた。

 「もう大丈夫だ、礼を言う」

 「……あれ? 何ともない、のか?」

 「ああ、彼らのおかげでな」

 子供の視線を追って東雲が顔を上げると、似たような着物を身に纏った二人の青年が鴉天狗達の攻撃を刀と槍で受け止めていた。


 彼らにも鴉天狗の時と同様、不思議な点がいくつか見られた。―――美しく真っ白な髪に深朱色のもみあげがポイントとして際立っており、頭部から生えている髪と同色の狐耳、極めつきは尾である。二人とも袖を捲り上げ、腰紐でたすき掛けをしている。

 金将の錫杖を受けた青年は短髪で、着物を正しく着用しているのに対し、銀将からの攻撃を受けた青年は長髪を布紐で一つに纏め、胸元は広く開いて着崩している。腕には包帯やいくつもの傷痕があり、右耳は欠けていた。どうやら、古傷の様だ。


 「一体、何がどうなって……」「おいそこの人間!」

 欠けた狐耳の青年が叫んだ。

 「稲荷様を連れてさっさと逃げろ!」

 「稲荷様を頼む!」

 錫杖を受け止めている青年も、それに続いて叫んだ。


 東雲は混乱した。

 思えば、朝から奇妙なことの連続であった。―――つばくらに神社参拝を勧められ、向かっていたらあっという間に夜へと変わり、獣か人かも分からない声に誘われて、鳥居を潜ると思考はぼんやり夢の中。参拝すれば神様と名乗る子供からタックルをくらい、現実世界そとから鴉天狗が襲ってきたかと思えば、今度は青年の姿に扮した狐達に子供を連れて逃げろと言われた。

 東雲は、これらを一瞬でも「今日は偶々たまたま」だと、前向きに考えようとした先刻の自分を叱咤したい気持ちにさえなった。自身の体質など、とうの昔に自覚していたというのに。

 また同じことを繰り返しているじゃないか。俺には学習能力はないのか!――と。



 「おい、大丈夫か? …………お?」

 沈黙を貫く東雲を不思議に思う神―――もとい、稲荷と呼ばれた子供が声を掛けた。東雲はその声に答えることなく、再び発しようとしたこの幼子を無言で小脇に抱えて立ち上がった。

 「何なんだ……何なんだよ……!」

 沸々と湧き上がる苛立ちに、東雲は震えた。他の誰でもない、自分に向けての怒りだった。

 「何なんだよちくしょおおおおお!!」

 東雲は、叫びながら一目散に鳥居へと走り出した。

 怪異を恐れているくせに、自ら足を突っ込んでしまう。挙句には、それらを受け入れてしまう。自分の弱さや愚かさに辟易している。している筈なのに。――楼門を跨ぎ、階段を駆け下りて正門鳥居へと全力で駆け抜ける。その姿は、まさに平成の韋駄天のようであった。

 

 「あっ、テメェ…っ! もっと丁重に扱え! あああ、何て乱暴な抱え方を…! おいたわしや稲荷様――っ!!」

 背後で欠けた狐耳の青年が叫んでいたが、韋駄天状態の東雲には届かなかった。


 今一度言う。東雲は、霊感が強い故の『巻き込まれ体質』だ。

 一度踏み入れたら最後、決着あるいは解決するまでは怪異から逃げ切ることはできない。それが霊障による誘導なのか、それとも自分の意思の弱さから起こしているものなのかまでは、彼にも断言出来るものではなかったが。これまでもその都度、あの手この手で難を逃れてきたのだ。


 この時の東雲も、目の前の問題を解決することに必死だった。故に今回も、「よくあること」の一つだと思っていたのだが。―――この出会いが東雲の運命を大きく変えることになろうとは、今の彼にはまだ知る由も無かった。

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