やきとり

ケイスケの祖父は民謡の師範だった。

子供の頃から民謡を仕込まれ、才能のなかった父に変わって幼少期に頭角を表したケイスケは、祖父の希望、夢、そのものだった。


「民謡はな、ご先祖様からの贈り物。大切に、大切に受け継いで、また次の世代にプレゼントするものだけどな。お前は、お前の好きな道を歩めばいい。」


祖父が繰り返し言っていたこの言葉の、真意。額面通りの意味は理解できるが、その中に、祖父が込めた思い。分かりたかったが、幼いケイスケには到底理解が及ばない。言葉を生々しく。そのまま受け取った。祖父の表情は笑顔。幼くてもわかる、少しの陰り。短く息を吐いた祖父は満足げに、ケイスケの頭を撫でる。


「それでいい、お前が考えて、お前が生きていくんだ。」


暖かく、大きな手。小さな頭を包み込む。祖父の好物である近所の鶏肉屋で買ってきたやきとりのお相伴に預かりながら、穏やかな声の、祖父の話を聞く。この時間が、祖父の優しさが、大好きだった。

その後も、ケイスケの歌は、尾鰭をつけても有り余るほどに、上達を続けた。


民謡の上手い子供がいる。


地域のお祭りで唄を披露したことをきっかけに、地元で噂が広まった。最初は、ご年配方が集まるカラオケ大会だった。祖父に連れられて参加し、祖父から教えてもらった演歌を歌った。賞賛の嵐。期待の声。羨望の眼差し。どれも、初めての体験。驚きつつも、気分はよかった。祖父の顔は、誇らしげに笑っている。尾鰭は少し形を変えた。


演歌の上手い子供がいる。


演歌と子供、というギャップから、噂は前にも増して勢いをつけて、広まる。一本の電話。地元のラジオ局だった。

親御さんと出演し、一節で良いので得意な演歌を歌ってほしい、という依頼だった。あまり意味もわかっていなかったが、より多くの人に聞いてもらえる場所で歌える。そう聞かされたケイスケは、考える間もなく、承諾の返事をしていた。心配する両親をよそに、祖父と共に。ラジオ局に向った。

出演、は思ったよりもあっけないものだった、自己紹介、好きなもの、さぁ歌って!歌えたのはたったの一節。拍子抜けして、生まれて初めて、歌ってフラストレーションを感じていた。しかし。放送後、間もなく。顔も見えない人たちから、ケイスケを讃える言葉がどんどんと、送られてくる。怖いくらいに。嬉しかった。

うまく歌うと、周りも褒めてくれるし、大きな舞台にも立てる。大きな舞台は、より多くの人から、褒めてもらえる。単純な考えだったが、ケイスケが歩みを止める事はなかった。小学生になる頃には、地元のテレビ番組に出演するようになり、演歌の神童として話題にもなった。

賞賛、を浴びる。悪い気分じゃ、ない。

順風満帆な人生。演歌歌手として、有名な「先生」に作詞・作曲をしてもらい、オリジナル曲でデビューする。その、最高の晴れ舞台を用意することが、目下のマイルストーンになっていった。

中学に上がる頃に、祖父に勧められるがまま演歌専門のスクールに通うようになり、夢は着実に実現に向けて進捗を続けた。磨かれるスキルを讃えるように、地元では知らない人はいないくらいの、有名人になっていた。鼻高々とケイスケのことを自慢する祖父を、恥ずかしくも、嬉しくも思っていた。

ケイスケが高校へ進学してすぐの頃。

新緑が雨に濡れる季節。風は、強い。段々と陽が長くなり、蒸し暑い日も増えてきたが。声変わりを無事に乗り越えられた安堵と、高校での新生活への期待感で、気分は上々だった。

その日も。いつも通り、演歌スクールからの帰宅途中。祖父の家に立ち寄った。

いつも通り、学校や演歌スクールでの話をして、祖父が好きな歌を1曲歌い、いつも通り、いつも通り。19時過ぎには、祖父の家を出た。何も変わらない、取り止めもない、日だった。

翌日、葉に落ちた雨粒に陽射しが煌めいて、蒸し暑く、眩しい朝。

父のスマホに着信。落ち着いた声が、応答している。電話を切り、ケイスケを見て、深く息を吐いた。


「おじいちゃんが、亡くなったそうだ。近所の・・・」


そこから先、ケイスケの耳には届いていなかった。昨日、いつもと同じように会話して、歌を聴いてもらって。笑顔でおやすみって。祖父の家を出て。変哲もない、ありふれた、日常だったのに。

呆然としている間に、祖父は長細い箱に収められ、花で飾られ、火葬された。

周りの雑音が耳障りだ。95歳なんて、長生きねぇ。寿命まで生きられるなんて幸せなことよ。天命ね、立派なお孫さんまでいて。うるさい、うるさい、うるさい。耳を塞いで、俯いて。何も聞こえない。聞きたくない。祖父はもう、いないんだ。

ケイスケの頭を撫でる、温かい手。生ぬるい風が通り過ぎただけだった。そこには、誰もいない。


祖父の葬儀時の落ち込み様から、周囲はケイスケの気落ちを心配していたが、すんなりと日常へと戻っていった様に見えたケイスケに、周囲は安堵していた。事実、ケイスケ自身も、思ったよりも喪失感が薄く、自分自身でも拍子抜けしていた。

ふとした時の、やめなければならない習慣を思い出して、それが、祖父を思い起こさせて、悲しい気持ちが湧く。なんてことは、もちろんある。だからといって、四六時中落ち込んでいる、という訳ではなかった。

これまで通りに、学校へ行き、演歌を習い、食べて、寝る。学校は楽しいし、歌も伸び悩んでない。変わらず、ケイスケの人生は順風満帆だった。

それでも、思い出すことはある。祖父の大きな手。ケイスケのことを誇らしげに自慢する顔。嗄れた声。温かさ。祖父以外に、自分のことを手放して褒めてくれる人なんて、いなかった。父母は相変わらず、心配しかしない。祖父にそのことを愚痴ると、よく。


「親なんてそんなもんだよ。心配するしかできないんだ。本当にバカだし、無力だな」


と。遠い目をして、ケイスケではない誰かを見て、つぶやいていた。ケイスケは相槌を打ちながらも、内心しっくりきていなかった。父母から伝えられない言葉は、ケイスケに憶測を植え付け、父母の想いを錯覚させる。


「俺が歌うことを、なんとも思ってないんだ。関心ないんだよ。歌のこと、話もしないし、褒めてくれたこともない。」


祖父に伝えると、顔を歪めて。そうだな、そうだったのかもしれないな、って。笑っていた。言葉尻に違和感があったが、同意してくれたことに満足し、それ以上その話はしなかった。

褒めてくれるどころか、こんな些細な愚痴を聞いてくれる人も、いなくなったんだ。時折、道端で綿帽子を見つけるみたいに思い出しては、やり場に困って、無理やり吹き消した。

心の中の蟠りは、増えることも減ることもなく。日々は表面上。筒がなく進んで行った。

高校に入ってから広がった友人関係は、ケイスケの行動範囲をも広げることになった。特に、ケイスケが歌を歌っている、ということを知っている友人は、多くの音楽に関する話題をケイスケに運んできた。


「野外フェス?聞いたことあるけど、行ったことなんてないよ。暑くね?」


ケイスケの反応に、友人は得意気な表情。少し苛立ちながらも、話を促した。前年に、兄に誘われて行ったと言うその友人は、熱気や、盛り上がりを熱弁する。友人自体が騒々しいだけで、野外フェスがどんなものかは全く伝わってこなかったが、あたらしい世界に、興味が湧いた。

ケイスケの住む街にはライブハウスや大型のイベント会場はなく、ライブやフェスに参加するには、県外に出るか、電車で1時間かけて市街地に出る必要があった。父と母は、ケイスケの遠出を嫌った。そのせいでこれまでに、友人たちだけで、遠出をしたことはなかった。しかしもう。ケイスケも高校生だ。いい加減、お許しが出てもいいはずだ。


「同年代の友達だけで行くのであれば、ダメだ。俺が送り迎えしてやるから、時間と場所を言いなさい。あと、一緒に行く友達の名前と、親御さんの御連絡先も」

「はぁ?バカじゃねぇの?このご時世、フェスに行く程度で親に送り迎えしてもらう男子高校生なんて聞いたことねぇよ。恥ずかしすぎてどこにも行けねぇじゃん。まじでやめてくんない?」


父の要求は、そこまで無理難題ではなかった。過保護な親を友達に見られる。自尊心が傷つきそうで、居た堪れなくって、思っても見なかった反抗的な言葉がスラスラと出てきてしまう。


「わかったから、時間と場所は教えなさい。一緒に行く友達の名前も」


それっきり、父親と視線が合うことはなかった。流石に一発殴られるか?そこまで覚悟していたのに。拍子抜け。余計に苛立って。何の罪もない扉に当て付け。その場を、離れた。

フェス当日。ケイスケは両親に行き先を告げずに、早朝に家を出た。待ち合わせ時間まで1時間以上ある。両親に顔を合わせるより、1時間駅で待ちぼうけする方が、まだマシだ。駅の待合室で、フェスの参加アーティストを検索する。友人が好きだと言っていたグループは、友人のおかげで事前予習済みだが、それ以外のアーティストは名前も、歌も聞いたことがない人たちばかりだった。


「色々聴いてはいるつもりだったけど、やっぱ演歌中心だったもんなぁ」


扇風機がカタカタと音を立てて首を振っている以外、音のない待合室で、ケイスケが呟く。派手な格好のバンド、オシャレな弾き語り系のシンガーソングライター。そういえば、好みの音楽って、何なんだろうと、自問自答。演歌は好きだが、歌っているから、歌えるからであって。聴くのが好きとか、誰が好きとかではない。先輩歌手の歌い方がどうだとか、振る舞いがどうだとかは日々勉強しているが、その世界が好きだとか、ファンだとか、そう言う類の感情は、一切なかった。

友人が熱弁していたとあるバンドの曲や歌詞。確かに、その曲のリズム感やメロディー感に好感はあったし、歌詞に共感もした。だからと言って、必死に聞きかじるかと言われると、よくわからなかった。


「すごい人・・・これ、並ぶの?」


まとわり付く蒸し暑い熱気。騒々しい蝉の鳴き声。

夢の国のアトラクションの待ち行列も驚くほどの、長蛇の列。会場までのシャトルバスに乗る列らしい。ここでも友人は、得意気に肯定の返事。やっぱ頭にくるな、その顔。悪態を吐きながらも、バスを待つ行列の中。どのアーティストを見に行くのか、相談をはじめる。とは言え、ケイスケに意見など、全くない。友人に言われるがまま、蒸し暑い炎天下で、興味ありげな声色で、うなづくだけだった。

会場に着くとすでに、四方八方から、音楽が聞こえてくる。ケイスケは他人事のようにそれを受け取る。わざと、蚊帳の外。馴染みたくなかった。何かが、拒絶反応を起こしている。

友人はすでに興奮状態で、お目当ての会場への経路を探している。人混みの中。逸れないように。必死に友人の背中を追った。背中、背中、背中。途端に、景色が広がった。

音が、広がる。大きな、衝撃が押し寄せる。

ただ単に、音を聞く環境としては、最悪だ。野外でスピーカーの音は発散しているし、一部の楽器の音は聞き取れない。それに、何と言っても。聴衆の声が大きすぎる。音楽を阻害している。それなのに、なんて。

なんて、心地よい空間なんだろう。みんな、演者も、聴衆も。純粋に音楽を楽しむためにここに集まっていて、それが暑い空気と入り混じって、大きな熱気になって、異次元を作り出している。

気づけば、ケイスケも。その群衆の1人として溶け込んでいた。


「疲れたけど、楽しかったな。お前の言う通り、って言うのがイラっとするけど、マジで楽しかったわ。誘ってくれてありがと」


「だろ?」


帰りの電車の中、疲労感たっぷりで座席に埋もれながら。ここまで充実した1日を過ごせたのは、いつぶりだろうか。初めてなんじゃないか。ケイスケは高鳴るテンションを抑えきれないまま、帰路についた。

帰宅後、予想した通りに父親からの小言がうるさかったが、気にならなかった。ごめん、次はちゃんと言うよ。それだけ言って、部屋に篭った。今日聞いた曲を、配信サービスで繰り返し流し続けた。脳内で音が補強される。聴衆の声、シャウト。全て煌めいていた。いつか、俺も。


「歌手として、あんなステージに立てるんだろうか」


興奮は続いていたが、疲労には勝てなかった。ベッドの上に倒れ込むと、そのまま眠りに落ちていた。

翌日。学校の帰り道。ケイスケは独り、カラオケに向かっていた。あんな風に歌ってみたい。その衝動が抑えきれず、学校が終わると同時に、飛び出して。カラオケに駆け込んだ。早速歌ってみる、脳内では、あの歌が再生されている。


「違う。こんなんじゃない・・・」


何度も、何度も、繰り返し。歌ってみても、あの音に、ならなかった。

2時間延長して、喉が疲れて、諦めて。渋々帰宅することにした。声の出し方?唇の動き?喉の閉め方?一晩中、頭がぐるぐる回っていた。

翌日になっても、もちろんその課題に答えが出るわけもなく。陰鬱としながら、朝食を頬張っていた。


「いつまでぼーっとしてるんだ。早く食べなさい」


父親に急かされて、苛立つ。


「うるせぇな、何もわかってないくせに」


殆ど手をつけていない朝食を置き去りに、カバンを引っ掴んで家を出た。ケイスケの気分は前にも増して、澱んでいた。

学校に着いても、苛立ちを引きずったまま。気を遣った友人が周りで騒ぎ出す。雑音に苛立ちながら、ふと。ケイスケは思い立った。


「なぁ、今日学校終わったら、カラオケ行かね?」


気性のアップダウンが激しいケイスケに、友人たちは戸惑いながらも、頷いていた。

予定通り、放課後にカラオケに立ち寄ったケイスケたちは、思い思いの曲を予約していく。ざわざわと、くだらない会話をしている友人をよそに、ケイスケは軽い緊張感を覚えていた。音を思い出す。頭の中で反芻させる。繰り返しているうちに、ケイスケが入れた曲が流れ始める。

歌い始めて間も無く、周囲の雑音が鳴り止んだことに気づいたが、気にせず歌い続けた。思ったような音は出ていない。それでも、今日、友人たちを誘ったのは。客観的な感想が欲しかったからだ。


「おま・・・やっぱ、めっちゃ歌上手いな・・・。ってか、それって癖?何歌っても演歌調になっちゃう感じ?」


何歌っても演歌。そうか。そう言うことだったのか。

ケイスケは項垂れて、何を考えるでもなく、己の浅はかさに沈んでいた。


どんなに美味しい料理でも、提供される店は限られている。高級フレンチレストランのメニューに、やきとりは並ばない。

そうなんだ。そうだったんだ。つまり、俺の歌は、そう言うことなんだ。


たったひとつの気の落ち込みが、脳内のありとあらゆることに伝搬していく。

整理しきれないほどの、これまでの他人任せが、無責任が、一度に押し寄せてきたように、混乱を巻き起こす。

友人たちの声が遠くに聞こえる。


やきとり、か。


乏しい比喩表現にか、自分自身がフレンチレストランの目の前で指を咥えているやきとりそのものだと、気付いたからか。

その両方かもしれないな、ケイスケは自分自身を嘲笑ってから、前を向いた。今はまだ、混乱していて、何から片付ければいいのかが、わからない。それでも。いろんなものに。これまで、放置して、蔑ろにしてきた、全てのことに。向き合わなきゃいけないんだ。祖父と、父の顔が浮かんだ。気付いた感情は重たかったが、頭はクリアになっていた。


「はいはーい。次、津軽海峡冬景色、歌って欲しい人ーー!」


ケイスケが落ち込んでいた一瞬に気付いた友人はいないようだった。何食わぬ顔で、騒がしさの中に、ケイスケも戻っていった。

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