無幻の蒼

suiho

序章 継承、冬の始まり

 魔術士。それはこの世界、星、果ては宇宙にまで点在する力、魔力を応用して人間の身で人間以上の奇蹟を起こす者たちの相称。魔力を媒介に掌から火を出したり、箒で空を飛んだりする術(わざ)を全部ひっくるめて魔術と呼ぶのだが、その系統も人の数ほどあるという。

 言葉で言うと魔術士はとても神秘的なことをする超人のように思われるが、今は魔術そのものを受け継ぐ人数が少なくなっているために、現代社会からは世捨てみたいな扱いになっている。理由は今の現代があまりに便利になり過ぎたためらしい。手の平から火を出しても今の時代はライターがあるし、空を飛ぶにも飛行機を使えば誰だって遠くに行くことができる。百年以上前ならいざ知らず、今の世に魔術士の需要はほとんどないと言って差し支えがないのだ。

 だが私こと夕草瞳はそんな魔術士の後継者であり、しかも酔狂なことに実の両親からも止められていた魔術士の道を進むことに決めた。

 理由は至極簡単である。復讐だ。


「お嬢様、準備が整いました」


 仄暗い闇の中で蝋燭(ろうそく)のか細い炎が揺れる。窓のない暗く閉じた空間に、私は木製の椅子に腰をかけ閉じていた瞼を開けた。

 私がいるのは、自分の自宅にある地下室。バスケットコートと同程度の地下空間には、数多の書物や骨董品が乱雑に置かれ、棚に置ききれない物品は床に放置されている。今は床に置かれていた物全ては端に押しやられ、無理矢理に作られた何もない空間が存在する。

 目前には先の空間を利用し、自分の血で描いた魔法陣が敷かれている。円の中央には焦げ茶色の台座が設置されていて、台座の上にはガラスのケースがある。中には人間の皮が入っている。

 人皮(ひとかわ)には浅葱色に光る花の紋様が浮かんでおり、それは今から行われる儀式のために私が大枚をはたいて用意したもの。

 深い憎しみと大恩ある私の父親の右肩の皮だ。


「……時間は?」

「午前二時ちょうどです」


 私の質問によどみなく答えるのは二十歳前後の女性だ。服装は紺色を基調としたスカートで頭にカチューシャを付け、純白のエプロンまで装備している。顔や手以外に肌は見えないが、透き通った肌色がきめ細かな手入れをしていることを容易に想像させる。


「丑三つ時だし、私の中の魔力も大分安定してる。これなら失敗はないわ。じゃあ始めましょう。やるなら今しかない」


 私が行おうとしている儀式、それは父親の皮に刻まれた紋様を私の身体に移植するというものだ。継承の多くは形なき神秘を形ある力として体に馴染ませることで、それが先の移植である。魔術士はそれらの儀式を神秘印章と名付け、今の世にも魔術士たちは生存し続ける要因ともなっている。

 魔術士は血の濃さを何よりも大事にしている。理由は代を重ねるごとに魔術の精度が上がるから。私の勝手なイメージだが、やってることは老舗の料亭が創業当時から付け足ししている秘伝の付けダレを作ることと大差ない。美味しく食べられるなら私も乗り気になるのだが、魔術士のそれは全く美味しくもなければ楽しくもない。

 魔術士の家が十代に近付けば貴族(ノーブル)とも呼ばれ、その家は名の通り金持ちが多い。これは魔術士になって分かったことだが、魔術を扱うには何かとお金がかかる。教材となる魔導書、実験器具、術を扱うための土地など、とにかく湯水のようにお金を使わなければならない。よって古くから貴族の半分は魔術に精通した人間がいたとか。魔術の発祥も英国だというのもこのことから来ていて、妖精や竜の存在さえも言い伝えられている英国は、神秘の残りやすい土地でもあった。よって魔術を扱うための土地が豊富に用意されている。それも金持ちたちに占領され、英国にいる一般の魔術士にはなかなか扱えないというのが現状らしいが。

 ちなみに日本は独自の文化を発展させた島国なので、周りの影響、魔術や神秘を一切受け付けない国として形成した。英国のような魔術体系を組むことは出来なかったが、代わりに日本という土地そのものを神秘の対象として崇拝することにした。これが自然崇拝の始まり、だそうだ。

 兎にも角にも、血の濃さを何よりも重要とする魔術士にとって、親が自分の魔術を子どもに継がせるということは、それまでの家の魔術の研鑽を全て引き継がせるということ。時には十代分の重責を子どもに負わせるのだ。子どもにしてみればたまったものじゃない。しかも移植なので、ただ皮膚を縫い付けるだけでは終わらない。移植中も移植後も酷い痛みを伴う。


「魔導痕の移植による痛みは最短でも一週間、最長で一月は長引きます」

「痛いのは慣れっこよ」


 魔導痕。前述の儀式を経て完全に継承が終われば、継承者の身体に浮かび上がる紋様である。紋様がある限り継承者は先代から続く秘伝を扱うことが出来る。上手くいけば術を扱う際の準備を全て省いて一瞬で術を発動することも出来る。表向きは家が持ち得る魔術をその身に宿すことは誇りであり個人を表す要因となるが、裏を返せばそれだけ濃い呪いにも結び付く。

 何百年分の先祖の怨念とか恩讐とかが紋様になって生きていると思ってもらえれば、いや想像もしたくないな。


「宜しいのですね、本当に?」


 従者たる女性が問う。質問の意味を取り違うことなく、私は従者に対して静かな怒りを見せる。


「どういうことかしら?」

「失礼を承知で申し上げますが、あなたにはまだ迷いがある」


 従者がそう進言したのは、毅然としている私の心に僅かな隙を感じ取ったからだろう。本当に鼻が利く。


「誰も強制はしませんし、これからもお嬢様の身に起きる問題は私が引き受けます。ただしお嬢様の意志でこちら側に来るというなら、あなたは常人ではなくなる。魔術士として生きていくということは世界の理から外れ、不要な闘争を繰り返すことになる。それでもいいのですか?」


 従者がここまで私を引き留めるのにはちゃんとした理由がある。

 魔術士はその性質上「隠す」ことを信条に置いている。どれほど素晴らしい魔術を編み出そうとも、魔術士は自分たちの術を見せるためでも、広めるためでもなく、たった一つの目的のために魔術を扱う。魔術の研鑽はそれまでの準備に過ぎず、決して他人に口外してはならない。そして魔術の研鑽には魔術士同士の闘争も含まれる。命をかけた本気の殺し合いの中に魔術の向上があるのだとか。聞いた時には心底から呆れたものだ。そもそもの絶対数が少ないのに、もっと数を減らしてどうするというのか。

 そんな馬鹿げた行いをしてでも向かいたい魔術士たちの最終目標が『真理への到達』。全ての魔術士の悲願ともされるただ一つの目的(ゴール)。内容はそこまで知らないがそこにあるのは全ての始まり、この世全ての知識、霊長の理想郷、中には神様がいるとも言われている。

 要約すると魔術士になるということは、自分から行き止まりの道程を歩むということ。死期を早め、叶うはずのない夢のために命まで使い潰す大馬鹿の集団の一人になることなのだ。


「今なら、常人として真っ当な世界に帰ることが出来ます」


 それでも、私は従者の救いの手を払う。


「言いたいことは、それだけ?」


 覚悟が足りないことは私自身が分かっていたことだ。これから起こる全てを許容出来るかどうかなど私にだって分からない。だがそれでも私には譲れない信念がある。


「そりゃ私だって悲惨な人生を歩みたくないし、どうせなら楽しく生きたいわ」

「なら」

「でも確実に言えることがある。魔術士になることを否定して、楽しい人生を過ごしている間中、私は『この幸せは両親の死があったから』だって思い続けるんだろうなって」


 少し悲しそうな表情を浮かべたが、従者はすぐに迷いのない表情を露わにした。


「師匠が言ってたわ。魔術士になる最初の心構えは『自分の死を受け入れること』だって。どんな惨い死に方をしても、どうしようもなく理不尽な終わりが襲おうともそれは全て必然だと」


 まともに死ねれば御の字。肉片も残さずこの世から誰の記憶にも残されず消えることの方が多いというのだから、そんなところに好き好んで行きたい人間などいはしない。少なくとも何不自由ない生き方をしていた私には無縁のものだった。

 でも、私は歩みを止める気はなかった。


「敵討ちしようとしてるんだから、殺される覚悟もなしに生きていこうなんて思わないわよ。それにあなたは私に何かあれば助け(ころし)てくれるんでしょう?」


 従者に言い聞かせながら私は陣の中心へと移動する。出来る限り強い意志と笑みを湛えて。


「……まったく、あなたという人は。どうしてそんな顔で笑えるんですか?」

「あなたがこれから気にしなきゃならないのは、私の道行きじゃない。私が決めた道から逃げないように見張る役目よ。もし逃げそうになったら」

「心得ております。覚悟が揺らいだその時は一思いに助け(ころし)て差し上げます」


 確信を得た従者は胸をなで下ろし、従者の忠誠に少女は迷いを晴らす。


「さぁ、やるわよ。このままじゃ朝になっちゃう」


 深呼吸しゆっくりとケースを持ち上げ、床に置くと皮に刻まれた紋様がより光を放つ。呼応するように魔法陣も紅く光る。精神を統一させるため、中央に立つ少女は両目を閉じた。


「我、世界の理を紐解く者。汝、真理の智に至る道を指し示す者」


 静かに、囁くように読み上げる。


「我は求め、尋ねる。真理の門を叩き、全てを求むる我に栄光と断罪を与えよ。狭き門をくぐる我に、祝福と災厄を与えよ」


 だが力強く、決意を込めて誓う。


「我、ユウクサの全てを継ぐ者なり」


 私の求めた、復讐の道に至るために。

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