第24話 花嫁は新天地で生きていく(5)

 雲一つ無い晴天に心地よい風が吹く。絶好の結婚式日和である。ベルクリスタン城は朝から大忙しであった。

 城の皆が怒濤の飾り付けを魔法で行い、城内は純白で眩しい。キッチンは怒号が飛び交い、パーティー会場セッティングに勤しむ庭の上空では、来賓が乗ってきた飛竜たちが戯れている。


 私が一番暇かもしれない――と純白の衣装に包まれたリーリアは思った。高いウエストラインから裾がふわりと広がるウェディングドレス。肩とデコルテ部分はレース生地になっていて、袖はなくスッキリしたデザインである。ベールにはリーリアの瞳を思わせる金緑の宝石が散りばめられ、白いヒールも同様であった。


「リーリア様~シルヴァ伯爵が来られましたよ」


 部屋に入ってきた父はリーリアよりも緊張していた。むしろ、この父が緊張しているところなど初めて見た。忌み子のリーリアを連れた王宮の夜会でも、堂々とそつなくこなしていた人である。


「ようこそいらっしゃいませお父様。空の旅は少し……疲れたでしょう」

「いや、まぁ……カイル殿の『一人で操縦すんの初めてだけど~墜ちはしないと思う大丈夫』の言葉さえなければ、もう少し気持ちは楽だったと思う」

 今日は人手不足なのである、仕方ない。


「お母様やお姉様たちも一緒ですか?」

「ああ、式は本当に楽しみにしているんだが、今は別室で休ませてもらっている。式までに回復すればいいんだが……。それと、リーリア、本当にいいのか」

「何がですか?」

「バージンロード、私と歩くことにして」


 父の緊張の訳はこれだったのだな、と理解した。いつもに増して父の装いは寸分の隙も無くピシリと磨かれている。

「はい。実は当初、城の重鎮のおじさまたちが立候補してくださったんですが、誰がするか揉めに揉めまして。それなら俺がするよとダンテさんが言ってくれたところ、それはライさんが断固拒否し、白羽の矢が当たったのがお父様です。後回しでごめんなさい」

「いや、それならいい」

「お父様は、……私とバージンロードを歩くのは微妙な気持ちかと……思いまして」


 父はむっとした。

「微妙な気持ちとは?」

「……嫌かなぁと、思ったんです」

 父は俯いて目頭を押さえた。小さな声で言う。

「娘が……リーリアが幸せであればいいと思っている、と言っただろう。嫌な気持ちなどない」

「そう……ですか」

 たぶん、リーリアは酷いことを言った。父のその言葉を信じ切れていなかったのだ。


「リーリアは、侯爵殿のことが怖くはないのか」

「ライさんですか? とっても優しくて可愛い人ですよ」

「そうか……まぁ、彼はわざと我々に脅しをかけていたしな」

「ライさんが本気になったら一瞬でシルヴァ伯爵家の屋敷ぐらい吹き飛ばせるそうです」

「えげつないな天空の魔法使いは……」


 父は見るからにゾッとした。ライが特別なのもあるが、天空と地上では認識以上の差があるのだ。

「両国の友好関係の向上に、私も頑張って働く予定です。ウィリディスの王宮に出向くこともあるかもしれません」

「そうなれば、仕事で会うかもしれないな」

 フ……と笑う父と、こんな風に会話をする日がくるなんて思ってもいなかった。その瞳に失望の色はない。


「お父様、顎のところにあるのはカミソリ傷ですか?」

「ああ、数日前に失敗してな。この年になると治りが遅い……目立つか?」

「いいえ、目立ちはしませんが」

 リーリアは手袋を取り、父の傷口に指を添えた。この十数年間で、リーリアから父に触れるのは初めてに近い。


「私の魔法です――《ティンク・ティンク・ティンク》」

 ぱちぱちと薄緑の光が舞い、傷口に吸い込まれて消えた。赤い痕はすっかり無くなっている。リーリアは父を鏡の前まで連れていく。

「どうでしょうかお父様」

 父は傷があったところを摩りながら、興味深げに鏡を見つめる。

「これが治癒魔法か。すごいな、リーリア」

 父の瞳が無邪気にきらめいた。心からの賞賛を受けてリーリアは笑った。


「お父様、今まで育ててくださり、ありがとうございました」

「私は衣食住の面で庇護しただけに過ぎない。お前は一人で大きくなり、一人で強くなった。達者で暮らせ、幸せであれ。……気が向いたら、伯爵家に侯爵殿と遊びにおいで。そのときはまた別の魔法を見せてくれ」

「はい。ライさんには、幻竜の召喚はやめるように言っておきますね」

「……なるべくお手柔らかに頼む」




 結婚式用に飾り付けられた大広間はまるで様変わりしていた。来賓の方々が座る長椅子が並び、その間にあるヴァージンロードの先、普段玉座を置いてある場所には祭壇がある。祭壇の上にはベルルがちょこんと座っているのだが、視えているのはリーリアと城の者だけだ。

 ステンドグラスから色とりどりの光が降るそこで、ライが待っている。


(初めて会ったのもここだった)


 事務的な冷たい微笑が怖くて、歓迎されていないのだと思った。それはリーリアの考えすぎだった。

 数歩先にいるライの顔は緊張と幸せで綯い交ぜである。ベール越しに目が合って、リーリアは指先まで幸福に痺れた。これから結婚するのだ。


 共に歩む父はぴりぴりと張り詰めている。大広間の扉を開ける直前に「陛下への初めて謁見よりも俄然緊張する」と言っていたのは誇張でも何でもなかったようだ。ライの前に到着して手を離される瞬間、父の握る力がぎゅっと強くなった。頑張りなさい、と言われている気がした。


 ベルクリスタン侯爵が式をするならばと、王都から来てくれた神官の前で愛を誓う。

 ライは花嫁のベールを持ち上げて、額に小さくキスを落とした。

 大広間中に割れんばかりの拍手が響く。ベルルも前足で拍手してくれている。

 リーリアとライは微笑み合った。


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