第23話 花嫁は新天地で生きていく(4)
「お父様やお母様から、姉様たちのように愛された覚えはありません。だから、娘の幸せを……と言われても腑に落ちません。ただ、育ててくれたことはとても感謝しております」
父は疲れた目をして呟いた。「侯爵、少し席を外していただいても……?」
リーリアは咄嗟にライの手を掴んで握った。ライはぎゅっと握り返してくれ、父に完璧な笑顔を見せる。
「無理なお願いですね」
「……侯爵は婚約破棄されたはずでは?」
「その件については後ほど」
ライの有無を言わせぬ圧に、舌戦は百戦錬磨であろう父が負けた。
「リーリアがそう思うのは、その通り、私たちが悪い。忌み子であるお前のことを、姉たちと同じように愛することができなかった。それは認める。どう接すればいいのか分からなかったところもある。私たちは、どうして我が伯爵家に忌み子が産まれてしまったのかと苦悩した」
リーリアの手を握りしめるライの力が強くなった。
(ありがとう、ライさん。私は大丈夫)
ずっと分かっていたことなのだ。これくらいでもう傷つきはしない。むしろ、父が口に出して認めたことに奇妙な達成感がある。
「忌み子は災厄を引き寄せる。シルヴァ伯爵領を預かっている者として、それはなんとしても避けねばならぬ。ベルクリスタンとの婚姻に、姉たちを差し置いてリーリアを指名したのは、地上の国内外での結婚は難しいと考えたからだ。天空は地上と世界軸がズレているとも聞いている。もしかして、そこならば忌み子のお前も普通に生活できるかもと思った。なのに婚約破棄されたと聞き――そんな状態で天空の地に一人きりならば、地上の方がマシだろう思ったのだ。それで帰還要請を出した。その後は領地の端にある別荘で暮らしてもらうか、検討中だった」
「……。まるで、私のことも、少しは大事に思っている、みたいなお話ですね」
父の顔が泣きそうなほど歪んだ。
「大事に思っている、のだ。私の娘よ」
「……」
「どうしてこうなってしまったんだろうな」
「……」
「分かっている。私たちが悪いのだ、分かっているんだ」
受け止めたくない反面、少し嬉しく感じている心が嫌だった。
私が忌み子で産まれたから、伯爵家に産まれたから、こうなったのだろうか。忌み子というものに振り回されたから、素直に愛せなかったから。
――無理だ。飲み込めない。
「許してくれと言うつもりはない。だが、お前が幸せであればいいと、思っているのは本当だ」
「……はい。父様たちに、虐げられたことはありません。十分な教育も受けさせてくださいました。これまで育ててくれたことに感謝しています。それは本当です」
それでも、消化できない食べ物を腹の中に詰め込まれた気分だった。
泣きたくはない、その一心でリーリアは父の瞳を見つめた。
「ただ……姉様たちみたいに……私は、愛されたかった」
ぐ、と父は奥歯を噛みしめた。まるで痛みを感じているかのように、目尻に皺を寄せる。
後悔しているような、そんな顔など見ていたくなくてリーリアは目を逸らした。
「ライさん、お願いします」
「分かった」
落ち着きのある声がリーリアの心を撫でた。
ライがパチンと指を鳴らす。マーガレットやガーベラ、薔薇にトルコキキョウ、様々な花がどこからともなく降ってきて、客間を文字通り花だらけにした。父は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
「報告なんですが、僕たち結婚します。だからリーリアさんはウィリディスには帰りません、と言いに来ました」
「……は、そう、ですか」
「僕がリーリアさんを好きになって、結婚を申し込みました。幸せになります」
「……そうですか。それは……良かった」
にこ、と微笑みながら、ライは空中で文字を書くように指を動かす。マーガレットの花が宙に浮かび、ひとりでにリースが編まれていく。ポカンとしてそれを見る父の膝に、出来上がりの物がそっと置かれた。
「これは、魔法ですか侯爵」
「はい、簡単なものですが」
これが簡単なもの……と、父は床を花で埋め尽くされた客間を見渡した。リーリアは父の気持ちが分かった。これを簡単と言われては、住む世界がまるで違うのだ。
「リーリアさんも魔法が上達したんですよ。ね?」
「リーリアが魔法を?」
「はいお父様。私は治癒特化型らしいのです。ライさんに教えてもらって、少しは使えるようになりました」
「そうか……」
父は両手で持ったリースに視線を落とした。疲れたような自嘲気味の笑みを浮かべる。
「リーリアは、ベルクリスタンに行って良かったな」
「はい」
リーリアは誇らしく答えた。
「それと伯爵、忌み子について言っておきたいことがあるんですがよろしいですか? できれば周知に努めてほしいことです」
「はぁ。それなら……、そこの盗み聞きしている娘たち、母を呼んできなさい」
どうやら扉の向こうに姉たちがいたようだ。しばらくして母を伴って部屋に入ってくる。
「えっ、なにこれ、花が大量。どういうこと?」
「あ、すみません」
ライがパチンと指を鳴らし、部屋中の花が浮き上がる。姉たちは口をあんぐり開け、母は一歩後ずさった。それぞれひとりでに花束やリースになり、青色のリボンで結ばれたそれらはフワフワと宙を漂い、姉と母の手元に収まる。残ったリースは部屋の窓辺に積まれていった。
「初めまして、ベルクリスタン侯爵のライオネルです。その花はベルクリスタンから持ってきたプレゼントです、どうぞ」
「ありがとうございます……」
一番上の姉が戸惑いながら言った。それを見て父が補足する。
「侯爵殿の簡単な魔法だそうだ。忌み子について、伝えたいことがあるそうだ。聞いておきなさい」
顔を見合わせながら、四人はおずおずとソファに座る。
「――さて。地上の国で信頼ある地位をお持ちのシルヴァ伯爵とご夫人、《ウィリディスの宝石》と賞賛されているお義姉様方にお願いがあります。忌み子に関する風習を、間違った情報を無くすよう動いてください。忌み子という言葉を無くしてください」
「……リーリアが忌み子だから?」
きょとん、と言ったのは三女の姉である。
「金色の瞳は祝福です。まさか未だに、忌み子の謂われが続いているとは思っていませんでした。確かに精霊に魅入られやすいですが、災厄など引き寄せません。良いことの方が起きやすい」
「いや、侯爵。……天空ではそうなのかもしれないが、地上では本当に災厄を引き寄せている」
「この国ではそうなってもおかしくはありません。精霊の愛し子に対し、忌み子だと忌避し差別しているじゃありませんか。精霊たちが怒って災いを起こしているんでしょう。その場合、愛し子だけは無事だったんじゃありませんか?」
「……確かにその通り。忌み子だけはいつも無事だ」
だからこそ忌み子はさらに忌避される悪循環にある。
「祝福を持った子は、精霊の世界に連れ去られる危険はあります。だからこそ、現世への執着を持ってもらうよう、天空の地の親は過保護になりやすい傾向はあります」
「リーリアは……」
「どうやらシルヴァ伯爵領は精霊世界との境界が遠いところにあるようです。外出もあまりしなかったようですし。それとカイル君との文通と、相棒のような友達のおかげじゃないでしょうか。なぁベルル」
「キュイ!」
リーリアの左肩にベルルが姿を現した。それまで見えないように姿を消していたので、父たちは驚いている。「リス……?」
「彼は精霊種です。とても賢い。この家にずっと出入りしていたようですよ」
「はぁ……」
「ウィリディスとベルクリスタン間での魔法留学の話を進めているので、王家の方にも話はします。けれど、風習はすぐにはなくならないでしょう。シルヴァ伯爵家の皆さんは、『金色の瞳を持つことは祝福である』と、その立場を必ずとってほしい」
「分かりました」
父はすぐ答えたが、母や姉は戸惑っている。それはそうだろう。今まで常識だと思っていたことが、忌避してきたものがそうではなかったと言われ、受け入れたくないのだ。それは過去の自らの行いを直視しなければならない。時間はかかる。
気まずく、気持ち悪い沈黙が流れた。
「そうだ! 皆さん、僕の魔法をみてみませんか?」
ライが明るい声で提案した。ニッコリと笑っているのだが、何か企んでいるのだろうなとリーリアは察する。
一同は庭に出た。カイルとネシャルヒトが近寄ってきて「どうしたの」と問われ、説明するとネシャルヒトは「なるほど……」と遠い目をした。
「少し危ないのでそこから動かないでくださいね」
皆から離れたところに立ったライが右腕を横に払った。足下から魔方陣が浮き上がる。それは禍々しい赤色の光を放ち、風を起こしてライの服をたなびかせた。
「――ウツシより現れ出でよ、業炎の幻竜!」
ギィアオオオオオオオオオオ!!
この世のものとは思えぬ咆哮をあげ、炎を纏った――炎そのものの竜が上空に現れた。カイルとネシャルヒトは目を輝かせているが、シルヴァ伯爵家の皆は腰を抜かしている。凄まじいな、と思いながらリーリアはライを見つめた。ライは楽しそうに笑っている。それが逆に怖く、凄惨さを醸し出していた。
幻竜は屋敷すれすれを滑空し、再び上空に上がると炎の竜巻を空に向かって吐いた。火の粉はちらちらと下まで降ってくる。
「いかがですか? 僕の得意魔法は風系統なんですが、炎もいいですよね。迫力があって」
爽やかな笑みを浮かべてライが歩み寄ってきた。
「ひっ……」
姉の一人が悲鳴を漏らす。
これは、脅しである。圧倒的驚異の片鱗を見せ、力尽くで「忌み子は忌み子ではない」と分からせている。――不満を黙らせている。
こんな大規模な魔法を使っても、ライは少しも疲労を見せず涼しい顔をしていた。事実、見せかけではなく余裕なのだろう。
「ライさん、領民の皆さんが遠くから見てしまったら脅えてしまいます」
「そっか」
ライが「ありがとうねー」と手を振り、幻竜は還った。何事もなかったような青空が広がっている。
リーリアは姉たちを見遣る。姦しい彼女たちがすっかり黙り込み、リーリアを見る目さえも恐怖に満ちていた。
ライがリーリアへと身を屈め、内緒話をするように囁く。
「ちょっとやりすぎたかな?」
「おそらく」
父ですら慄然としている。ライは口の端を引きつらせた。
「エート。僕ら、そろそろ帰りますね。お邪魔しました」
「お父様、お母様、お姉様、お元気で」
ライは逃げるように馬車へ向かい、リーリアも続いた。カイルは興奮気味にライを賞賛し、ネシャルヒトが「風魔の大竜にしなくて正解でしたね。風で屋敷崩れちゃってたかも」と物騒なことを言った。
馬車に乗り込む前に、もう一度シルヴァ伯爵邸を振り返った。父に言われたことはモヤモヤと胸の内で渦を巻いている。きっとずっと消化はできないだろうけれど、この気持ちはこのままでいい。無理に、何かの言葉に当てはめられるものでもない。
愛されたかったけれど、いま、愛して欲しい気持ちはない。
「リーリア!」
父が慌てた様子で駆け寄ってくる。忌み子についてのライの話をそのまま信じたのかは不明だが、父は理性的な為政者である。ベルクリスタン、もしくはトルクルスから正式に話があれば、忌み子の風習を無くすよう動くだろう。
「なんでしょうか」
「リーリア、その……」
父が言葉に詰まる。何を言おうか分からないで走ってくるなんて父らしくない。
「お父様。もし私たちの結婚式があれば、来られますか?」
「――行くとも」
「でしたら、招待状をお送りしますね」
リーリアが笑むと、父も微笑んだ。初めて見る、泣きそうな微笑だった。
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