第22話 花嫁は新天地で生きていく(3)

 白色と露草色で配色されたアフタヌーンドレスは、何重にも重ねた軽い生地で裾が自然に広がる。袖は肘まであるが肩からスリットが入っているので、レースの長い手袋をはめた。

髪は結い上げて真珠のピンで飾り付ける。靴は露草色に白いレースを貼り付けたようなデザインのヒール。

「はい完成です! お美しいですリーリア様」

「ありがとうございます。きれいなドレスですね」

「この日のために仕立てましたもん! 愛されてるんだ、って自慢してきてください」


 コンコン、と壁を叩く音に振り向くと、リーリアと揃いの衣装を着たライがいた。白いシャツに白銀のベスト、露草色のズボンと、右肩にだけかかる同色のマント。髪もいつもとは違い、片側を流すようにセットされていた。色気というものが滲んでいる。ゆっくり歩いてくる姿は気品がたっぷりだ。


「綺麗ですね、リーリアさん」

「ひぇ……」


 ライが想像以上に格好良くてびっくりする。口を開けて固まったリーリアを心配して、ライに顔を覗き込まれた。


「どうしました? 気分でも悪くなりましたか? やっぱり嫌だってなりましたら、やめてもいいんですよ」

「あ、違います。ライさんが格好良くて、驚いて……」

「そ、うですか、それは……嬉しいです」

 もじ……として動かない二人の肩を、ラミーが叩いた。じっとりした目はライを向いている。

「皆さん待ってるので早く行きましょう」


 これからリーリアたちはシルヴァ伯爵家に向かうのである。

 既に城の門前には皆が集まっていた。嫁入り初日、迎えに来てくれたときと同じ一角獣が牽く馬車が停まっている。飛竜で行く方が早いが、襲撃かと誤解される可能性を考えて止めたのだ。御者台には兵士のネシャルヒトと、カイルがいる。操縦と魔法を教えてもらうのだと、カイルは数日前から楽しみにしていた。


「そうやってお揃いの衣装を着ると、夫婦って感じだなぁ。リーリアちゃん可愛いよ、よく似合ってる」

「ありがとうございます」

「それじゃ、城のことは任せたぞダンテ」

「おっけー。ネチネチうるさいオジサマたちと仲良くお仕事しておくわ」


 最近知ったことだが、ダンテは副領主に当たる。彼の言うオジサマたちというのは、前領主のときからいる重鎮の方々のことだ。リーリアにとっては気さくなおじさまなのだが、ライやダンテに言わせると〝狸の皮をかぶった毒蛇〟というなんとも物騒な形容詞がつく。


「それではリーリア様、堂々と、お話してきてくださいね」

「嫌なこと言われても、傷つく必要はねーぜ。何を言われても、リーリアちゃんの帰る場所はベルクリスタンだ。俺たちが待ってる」

 ダンテはリーリアと両親の冷えたやり取りを見たことがあるのだ。きっと思うことがあるのだろう、懸念してくれている。


「はい」

「あとライはァ……腹立つことが起きても、魔力ちゃんと抑え込んどけよ。地上の人間は失神するかもしれねー」

「重々承知です」


 リーリアが首を傾げると、ラミーが説明してくれた。

「ライさんは私たちよりも異常に魔力量が多くって、意識してないと漏れ出しちゃうんですよ。怒ったときとか威圧がすごくて、人によれば立ってられないとか。ダンテさんも同じようなもんですけど」

「そんなに……?」

「トルクルス国の領主とはそういうものです」


 知らないことはたくさんあるのだろう。照れたように笑うライを見上げ、そういえば国全体でも五本の指に入る魔法使いと言われていたことを思い出した。

 とことことベルルが現れて、リーリアの左肩に乗った。

「ベルルも行く?」

 キュイ、と肯定したベルルを見たラミーは感心の溜め息をつく。


「ベルルさんはすごいですよね。べったり一緒という訳ではないのに、ここぞという時は必ず傍にいる。境界の向こう、精霊種の世界に行き来もしているみたいですし、この城で一番優秀なんじゃありません?」

「いつも見守ってくれている、頼りになるお友達ですね」

 ベルルにはベルルの世界があり、リーリアのことも大事にしてくれる。言葉は通じなくとも、確かに繋がっていると感じるのだ。


「そろそろ、行きましょうかリーリアさん」

「はい。皆様、見送りありがとうございます。行ってきますね」

「お二人とも、お気を付けて!」

 城の皆が笑顔で手を振ってくれるなか、馬車が走り出した。来たときと同じ道順だ。島を離れ地上へと下降するスピードはおそろしく速いのだが、馬車の中は至極快適で茶も飲める状態だった。


「来るときは考える余裕がなかったんですが、これ、魔法で保護しています?」

「はい。馬車の中は移動による重力の影響を受けないようにしています。御者台に座る者の役目がそれですね」


 カイルは今それを学んでいるのか。近頃の彼はライたちの訓練にも参加しているので、このままベルクリスタン城に住むような気さえしている。

 窓から下を覗くと牧草地や小さな集落が見えた。王都はまだ先だろう。


「花嫁様のお迎えはダンテが行ったでしょう? リーリアさんは、あのとき、どういう気持ちだったんですか……?」

 ライの言葉にリーリアは視線を戻した。彼は少し潮垂れた顔をしている。


「この馬車の中で、侯爵閣下に恋人や愛人はいるでしょうかとダンテさんに聞きました」

「……はい?」

「そういう心づもりをしないといけないかなと、思っていました。浮気をされたり愛人を作られたら、それはそれでほっとするかもしれないとも思いました。侯爵様もきっと望んだ結婚ではないだろうと、しかも相手が私なんて――と思っていましたね」

「そうでしたか……その先で、僕は、婚約破棄を言ったんですね」

「ウィリディスにいたとしても、忌み子である以上、未来に期待はありませんでした。天空の方が自分を受け入れてくれるのでは、という淡い希望はありました。結果、それはその通りで……。ライさんのこと、正直初めは少し怖かったんですけど、すぐ優しい人だって分かりました」

「すみません……」

「それが今や一緒に父様たちに会いに行くんですよ。ね、未来の旦那様」


 だんなさま、と呟いてライは顔を赤くする。

「僕、いつかはリーリアさんのことを愛称で呼びたいんです。例えば……リア、とか」

 んぐ、と唾を飲み込んだ。丁寧な言葉遣いのライにそう呼ばれると胸にくるものがある。

「できれば……二人きりのときだけで……お願いします」

「ダンテたちがニヤニヤしそうですしね」


 城で茶化されるであろう想像をし、笑い合っていると馬車が停まった。カイルが扉を開けてくれる。

 ライに差し出された手を取って降りると、見慣れた我が伯爵邸である。白亜の壁に黒い屋根、歴史の古さを感じさせるどっしりした佇まい。庭師が丹精込めて管理している前庭は花盛りだ。

 何も変わっていないそこは、懐かしさこそあれリーリアが帰ってくる場所だとは思えなかった。

 屋敷の扉が開き、三女が顔を出した。リーリアたちを見て唖然とし、屋敷の中に引き返していく。


「ちょっとみんなァ――! リーリアがすんごいイケメン連れてきた!」

「姉様……外まで聞こえているわ」


 慌てた様子で出てきた執事によってリーリアとライは客間に通された。ネシャルヒトとカイルは屋敷に入らず、庭先で待つらしい。

 客間で伯爵を待っている間、姉たちがちらちら覗きに来るのだが、話しかけられはせずヒソヒソと話している。


「めちゃくちゃイケメンじゃない。あの人がベルクリスタン侯爵? 若すぎない?」

「あれは鍛えてるわね……ウィリディスの貴族にはなかなかいないタイプ……」

「リーリアもなんだか可愛くなってない? あんな感じだっけ?」

 ライは聞こえないフリをしているが丸聞こえである。

「姉様……全部聞こえています」

「あらやだごめんなさい」


 申し訳ないとは思っていないだろう声音で長女が言った。相変わらず美しい姉たちだ。小首を傾げる様子も可愛らしい。


「ねぇ、父様が来るまで私たちと話しましょうよ」

「――その必要は無い。ベルクリスタン侯爵ですね、遅くなって申し訳ない。重ねて娘たちの非礼を詫びます」

 見慣れた厳めしい顔つきでリーリアの父が客間に入ってくると、姉たちは逃げた。ライはすっと立ち上がり、軽く礼をする。


「シルヴァ伯爵、初めまして。予定よりも早く着いてしまってすみません」

「いいえ。しかし天空の馬車というのは音もなく舞い降りるのですな。それと――リーリア、久しぶりだな」

「はい、お父様」

 無感動な瞳がリーリアを映す。幼い頃から変わらない、何の期待もしていない瞳だ。父はすっと視線を外し、リーリアたちの向かいの椅子に座る。


「今回ご挨拶に窺ったのは、伯爵に直接聞きたいことがありまして。単刀直入に言いますと、何故リーリアさんの帰還要請をされたんですか?」

「……侯爵に婚約破棄されたと聞きましてな」

「はい。大使になってもらいました。形は違えど、友好の証であれば問題ないとウィリディス側から回答を得ていました」

「……。聞きたいことはそれだけですか? 侯爵ご本人がどうしてここまで来られたのですか」

 父は訝しげな様子を隠しもしない。


「目的は二つありますが」

 ライがリーリアを見た。どうする? と目で問われ、リーリアは頷いた。少し喉が震えるが、隣にはライがいる。

「何故、お父様が帰還要請を出したのか、理由が知りたかったんです」

 まさかリーリアが喋ると思わなかったのだろう、父は驚いている。二人の話に口を挟んだことへの怒りなのかもしれない。

「理由、か」

「はい。……厄介払いだったじゃ、ありませんか」


 体よくリーリアを他所にやれる、絶好の機会だった。

 父は黙り込み、目を伏せた。


「お前は……リーリアは、私の娘だろう。お前が婚約破棄されたと知って、……ならば家に戻った方がいいのではと思ったのだ」

「私が伯爵家にいるのは迷惑、と思っているかと」


 いや、迷惑だと思っているのは間違いない。そう確信しているリーリアの気持ちは伝わっているようで、父は深い溜め息をついた。


「そうだ。迷惑だと……厄介なものを抱えていると思っていた。それは変わらない。だが、娘の幸せを願わぬ親でもない……つもりだ」


 腹の底から黒いものが湧き上がってくる。これは毒だ、吐き出さないと己を滅ぼしてゆく、毒だ。


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