第20話 花嫁は新天地で生きていく(1)

「「「おめでとー!」」」


 パァン! と乾いた音が続けて数発響き、空からキラキラした紙吹雪が降ってくる。王家の祝賀会パレードで見たことがある祝杯のしるしだ。


「もともと婚約していたのに今更結婚前提のお付き合いかよ!」

 楽しそうなダンテの大声が響き、ヒュー! と囃し立てる口笛や歓声で静かな夜が賑やかになる。城の窓という窓が開き、皆がのりだしていた。

「みっ……見てたのか!」

 ライが慌てて身を離し、彼らに向かって叫んだ。

「そーおーでーす!」

「リーリアごめんね、ボクは止めたんだけど一応」

「とか言って、カイルさんめちゃくちゃ前のめりだったじゃないですか」

「ラミーさんだって、タイミング合わせて皆さん集結させたじゃないですか」


 全員グルだということだ。

 ライはパチンと指を鳴らした。突如として上空に風が吹き荒れ、小さな竜巻となって各窓に吸い込まれていく。「げ」「うわ」「きゃっ」など小さな悲鳴を飲み込みながら、風は窓に群がっていた人たちを室内に押し込んだ。バン、と窓が閉じて、シャッ、とカーテンも閉じられる。


「明日の訓練は激しく厳しくしてやる……。ほんとすみません、リーリアさん」

「いいえ大丈夫です。ちょっと恥ずかしいですけど。皆さん、心配してくれていたんですね」

「まぁ心配といえば、心配してくれていたのかな……。たくさん怒られました」

「皆さん仲がいいですよね。ベルクリスタン城のこの雰囲気、私とっても好きです。それは侯爵であるライさんがライさんだから、それもあるんでしょうね」


 なんですかそれ、とライは苦笑した。そうしてリーリアの頬に手をのばす。親指でさりさりと撫でられて、リーリアは自然に瞼を閉じた。ライが屈み込む気配がする。

 そっと柔らかなものが額に押し当てられ、離れていく。

「……。口にはしないんですか?」

 リーリアが小さくぽつりと言うと、ライが咳き込んだ。

「ほんと、僕は格好が付きませんね」


 ライが両手でリーリアの顔を捕らえる。上を向かさせられ、おりてくる唇と唇がくっついた。なんだか夢心地で、やわらかい、とぼんやり思った。

そろそろ離れないのかなと薄目を開けると、ライの美しい顔が間近にあって、慌てて瞼を閉じた。あむりと唇を食まれ、心臓が飛び上がる。驚いて身を引こうとしたが、ライがそれを許さない。唇を舐められて、リーリアはもう限界だった。ライの胸を拳で叩く。


「……すみません」

 そう言って解放してくれたライはゆるく笑んでいて、全然申し訳なさそうではなかった。

「す、少しずつに、してくれませんか……!?」

「僕のことを可愛いなんて言うから」

「可愛いものは可愛いんだから仕方ないでしょう!」

「では僕も、リーリアさんが可愛くて仕方ないから、ですね?」


 目を細めてうっとり笑うライは意地悪な雰囲気を出している。こんなライは初めてだ。それにどきどきしていると、ベルルがひょこりとやってきてリーリアの右肩に乗った。ライに対してキュイキュイと鳴いている。

リーリアには何と言っているのか分からないが、ライには通じているようで「うっ」と喉を詰まらせたような声を出した。


「僕、もう一つリーリアさんに言っていないことがあるんです。すみません……ちょっと見ていてください」


 ライは深呼吸して目を閉じた。彼の周囲に無数の光が舞い、その体を包むと大きな黒い犬の姿に変化していた。ベルクリスタンに来た当初、森で精霊種に囲まれた際に彼らを黙らせて助けてくれた獣である。


「……ライさんだったんですか?」


 わふ、と犬は返事をした。手を伸ばしておそるおそる頭を撫でる。しっとりしてふわふわの毛並みだった。誘惑に抗えず、首元に抱きつくととても気持ちいい。ビクッと犬の全身が緊張したのは分かったが、抱きしめることを許してくれている。


「あったかい、気持ちいいー……」


 すり、と頬をすり寄せる。実はずっとこうしてみたかったのだ。犬は全身をぶるぶるさせてクゥンと鳴き、きらきら光を纏って元の姿に戻った。両手で顔を隠したライが座り込んでいる。


「今日はもうおしまいです。僕は大犬の精霊獣の血をひいていて、彼らと似たような姿をとることができます」

「犬さんの姿だったら喋れないんですか?」

「人間の言語は無理ですね。精霊種とだったら完璧とはいかないでも意思疎通はできます」

「だからあのとき森にいたんですね」


 頷いたライがリーリアに手を差し出す。手を繋いだ二人は城へと戻る。


「明日からも、よろしくお願いします。これからはリーリアさんの我が儘をいっぱいきかせてください」

「我が儘ですか?」

「はい。僕、リーリアさんの我が儘をききたかったんです。考えておいてくださいね」

 わくわくと期待に満ちた顔を向けられ、変わっているなぁとリーリアは思った。


       ○


「結婚を前提のお付き合いってさ、まぁ婚約ってことでしょ? 結局リーリアたちっていつ結婚するの?」

 昼食時の賑わいが一瞬で静かになった。

 カイルはこうやって、普通なら気になってもなかなか訊けないことをポンと発言する。んぐ、と閉口したリーリアの代わりにライが言う。


「リーリアさんが僕と結婚してもいいと思ってくれるまで、です」

「そうなんだ。リーリア待ちなんですね」

 はい、と頷いて食事を再開するライをリーリアは凝視した。

「私、結婚してもいい……というか、したいです、けど」

「え」


 今度こそ食堂は静まりかえった。ライがフォークを取り落とす音だけが響く。

 カイルはやっちまったと口をひき結び、ダンテは呆れ、ラミーは頭を抱えてうなだれる。


「ほ、本当ですか」

「はい。もちろん」


 愕然としているライを見つめる。そうか伝わっていなかったのか。このまま結婚してもいいか考えているのはライの方だと思っていたのだ。リーリアの顔が自然とゆるむ。

(ライさんもすぐ結婚したかったんだ……)


「こ……、こんなとこじゃなく、せめて二人きりのときに言おうと思っていたのに」


 呆然として言うライに、ああ……と聴衆から同情の声が漏れた。特に男性陣は自分のことのようにうなだれている。

『つい先日、二人が仲直りして付き合う場面をノリノリで隠れて見ていたので、プロポーズはきちんとさせてあげたかった。こんな、同僚だらけの真昼の食堂、しかも会話の弾みなんかではなく』――と、ライに謝る部下の姿を、後日リーリアは見かけることになる。


 事の発端であるカイルが小さく挙手をした。

「こんなところで不躾に聞いて、本当にすみません。でも理由があって。実は、ウィリディスのシルヴァ伯爵家から書簡が届いたんです。〝結婚しないのならば帰還せよ〟って」

 ライが息を呑んだ。リーリアは頭をガツンと殴られたようだった。


「……カイル、それ本当? 父様たちがそんなこと言うわけない」

「ほんと、書簡も持ってきた。それに半分はボクのせいかも――ウィリディスや師匠と連絡してるなかに、リーリアが婚約破棄されたこと書いてるんだよね。そんで大使として駐在してるって。双方納得して機能しているのならウィリディス的には問題ないんだけど、伯爵が帰還を要請してるっぽい」

「どうして。……どちらにしても私は帰らないけど」

「はい、帰しませんよ」

 ライがしっかりと言う。「でも一度、僕は挨拶に行こうと思います。いいですかリーリアさん」


 ライに覗き込まれてはっとした。たぶん、酷い顔をしていた。ライにゆっくり頭を撫でられ、強ばっていた緊張が解ける。


「さっきまではまだ結婚する予定なかったのに、もう旦那面してらぁ」

 ダンテがぼやくと、ラミーがその口にパンを突っ込んで黙らせた。



 城の北西にはハーブガーデンがある。今日はそこの東屋を使い、リーリアは魔法の実技練習をしている。小さな土人形を作ったり、カップに水を注いだり、できることは増えてきた。

「結婚式の準備、はじめてもいいですか?」

 リーリアの集中力が途切れ、魔法で起こしていたつむじ風が霧散した。けっこんしき、と復唱する。

「式をしたくないのであれば、ひっそりと宣誓式だけ行うこともできますが」

 隠そうしているようだが、ライの声には少しだけ残念さが滲んでいる。リーリアは急いで首を振った。


「ベルクリスタン侯爵の婚姻ですので結婚式はするべきです。確かに、そういう晴れやかな場は不慣れですが、頑張りたいです」

 ライは苦笑した。

「トルクルス国の領主というのは、ウィリディスとは扱いが違います。実のところ、ただの役職ですからね。結婚式をしなくてもどこにも迷惑はかかりません。形態も好きなようにしていいし、気負わなくていい。それに、リーリアさんが無理することはないですよ」

「だったらなおさら……私、新郎の衣装に身を包んだライさんが見たいです。絶対かっこいいじゃないですか」

「なに言ってんですか。それはこっちの台詞ですよ」


 ライは腕を組んでわざと怒ったように言った。リーリアが笑うと、ライもへにゃりと笑う。

「では、半年後を目標に進めていきますね。シルヴァ伯爵への挨拶は近々行くつもりですが……リーリアさんも一緒に行きますか? 僕一人でも大丈夫ですよ」


 あの家に行く。そう考えると、胃がずしんと重くなるようだった。憎んでいる訳ではないのに敬遠したい。体は素直である。

「行きます。……何を思って帰還を要請しているのか、気になるんです。真意を、聞きたい。……家族を、憎んでいる訳じゃないんです。虐められたわけじゃない。両親は、きちんと私を育て上げました。でも、彼らを思うと苦しいんです」

「はい」

「私を育てるのは責務でした。恵まれた不自由ない生活です。感謝はしています。でも……私、姉様たちみたいに、愛情が欲しかった……」

「はい」


 口に出すと、ぽろっと涙が零れた。ライにそっと抱きしめられ、その背にすがる。

 そう、家族から愛が欲しかった。愛しくて愛しくて仕方が無いと赤子を抱くような、無償の愛が欲しかった。辛いことがあったら、忌み子だと陰口を叩かれたら、「大丈夫よ」と抱きしめて欲しかった。「大好きよ」と、言って抱きしめて欲しかった。

 とどめなく涙が溢れ、嗚咽が出る。

 ぎゅうっと抱きしめてくれるライの服に涙が吸い込まれていく。


「リーリアさんの帰る場所はここですよ」

「はい」

「リーリアさんと出会えて僕は幸せです。そのことは、ご両親に感謝しなければなりませんね」

「はい。私も、ここに来れて良かった」

「リーリアさん、愛していますよ」

「はい……」


 しばらくライに抱かれたまま、その胸に甘えた。堰を切ったような涙はしばらく止まらず、ずっと泣きたかったのだと、リーリアはようやく分かった。



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