第19話 花嫁はスローライフを満喫する ――いぜん花婿逃亡中!(7)

 それから半日、リーリアは謝られ続けた。「嘘をついていて本当に申し訳ありませんでした」と、廊下や食堂で誰かに出くわす度にである。一度に終わらせたいなと思ったので、夕食は食堂で摂ることにした。何の晩餐かというくらい、リーリアにだけ特別なディナーコースが振る舞われた。そこでリーリアは皆に〝謝罪は今日まで、明日からは元通りにしてほしい〟とお願いした。


「……侯爵については?」

「考え中です」


 微笑んで答えると、訊ねてきた彼はゴクリと唾を飲んだ。

 蓮の部屋に戻るとリボンのかけられた大きな箱がいくつも置いてあった。はっと鮮やかなエジプシャンブルーのイヴニングドレスと揃いのパンプス、藤色とローズピンクの柔らかい生地のドレスワンピースが二着、革で作られたショートブーツ。先日、ライが手配してくれた仕立屋と相談しつつ決めたものだ。今度は街にお買い物しに行きましょう、という約束はまだ果たされていない。


 翌日、リーリアは東棟の居間で過ごした。ライに魔法を教えてもらう時間はなくなったので自己学習である。カイルがふらりとやって来たのでタルトタタンを提供し、ところどころ教えてもらう。


「そうそう、食堂にお客さんが来てるんだって。それでリーリアを呼びに来たんだった」

「お客?」


 自分に関係あるのだろうかと訝しみながら行くと、ファルメニタルク伯爵とアイリスがいた。リーリアに気付いて元気よく手を振ってくれる。

「なぁなぁどうなった? 俺もう気になってさ~来ちゃった!」

「すみません、駄目だと言っても勝手に行くだろうからついてきました。こんにちはリーリアさん」


 暇なのだろうか。横のカイルも「暇じゃん」と口に出していた。ラミーとダンテは彼らと仲がいいようで、一緒に談笑している。

「あれからライさんとは話していません。どうもなってないです」

 どこがおかしかったのか、サーシスは爆笑している。


「いつだってヨユーたっぷり冷静沈着なあのライが悄然としてるって聞いて、さっき顔見に行ったんだけどマジでウケる」

 悪趣味である。

「今あいつ訓練中なんだけど、リーリアちゃんもあとで見に行く?」

「は、はい」


 リーリアはラミーとアイリスの間に座らされた。向かいにいるダンテとサーシスはにやけた顔をしている。気を利かせたカイルがカウンターから茶を取ってきてくれ、彼はダンテの横に座った。


「それでさぁ、これからどーするのか決めた? 聞いてもいい?」

「ダンテさん、楽しそうですね」

「俺はね、最後までこんな嘘やめとけって言ってたからね。自業自得で首絞められたような顔してるライを見るのが、ぶっちゃけ楽しい」

「侯爵の嘘にのっていた私たちも勿論悪いです。……リーリア様の率直な気持ち、私も知りたいです」


 リーリアは左手を自分の心臓の上においた。少し逡巡して、息を吐く。

「皆さんに嘘をつかれていたこと、ショックでしたが納得もしました。私が婚約破棄されたと聞いてもあまり驚かれなかったですし。知っていたからこそ、最初から皆さんが優しかったのだなぁと」

「それは違……」

「はい、元々優しい人たちだと思っています。それで――私、怒っていません。ライさんに対しても、怒りよりも困惑というか、ぐちゃぐちゃした気持ちです。まとめられない」


 一同が黙り込んだ。


「昨日ライさんを拒絶したとき、ライさん、とっても苦しそうでした。私それを見てなんだか……ぞくぞくしたんです」


 一同の目が丸くなる。


「ライさんのこと、可愛い人だとは思っていましたが、昨日はその比じゃなかった。そんな顔をさせてしまったことが申し訳なく思うし、私がさせたんだなって思うと……胸がときめいてしまって」


 ダンテとカイルが絶句している。にやにやしていたサーシスまで「ヒェ……」と顔を強ばらせていた。

「私にこんな感情があったなんて知りませんでした」

 なんだか恍惚とした声だな、と自分で思いながらリーリアは語り終えた。

 左からラミーに握手され、アイリスさんは「ようこそ」と微笑んでいた。



 ダンテに案内され、一同は西棟の端にある渡り廊下へ向かった。上から訓練の様子が見えるのだという。

 下に大きな広場が見えた。剣や杖、盾など、それぞれの武器を持った兵士たち七名が、中央にいる人物を遠巻きに取り囲んでいる。魔法の火炎攻撃を放てば水のシールドで防がれ、剣で斬りかかってはいなされて地面に転がっている。多数を相手に一人で戦っているのはライだった。


「俺も手合わせしてぇなぁ」

「どうせ負けるんで今日はやめてください」

 今にも飛び出しそうなサーシスをアイリスが止めた。

「いつもこんなのやってるんですか?」

 リーリアが行くのはいつも訓練後であったため、実戦を見るのは初めてだった。

「まあねぇ。ライは強いよ。どう?」

 ライが右手を薙ぎ払うと七本の雷が降った。兵士達の体すれすれに落ち、コントロールも抜群に良い。無表情で場を支配している。


「……かっこいい」

 思わず口からこぼれると、ライが突然こちらを見た。ばちりと目が合ったライはぽかんと口を開けて固まる。その隙をついて兵士の一人がライに突撃した。

「危な……っ」


 ドン!


 慌て気味に放ったライのカウンターは威力が凄まじく、兵士が吹っ飛んだ。「ネッ、ネーシャー!」と仲間の一人が叫んでいる。焦った様子のライもそちらへ向かった。

 ダンテとサーシスが頷き合う。

「今のはリーリアちゃんが悪い」

「悪いな」

 そんなことはない。

「どうしますかリーリア様。ライさんのことはこのまま泳がすもよし、話あってあげるもよし。私たちはリーリア様のやりたいようにお力添えする所存ですが」


 ほんとはもっと時間をおくつもりだった。気持ちがぐちゃぐちゃだからである。

でもカイルやラミーたちと話してみて気が変わった。時間をおいたところで気持ちがまとまることはないだろうし、怒りも悲しみも可愛いと思う気持ちもグラグラ煮詰めている状態、これが混じりけ無い自分の気持ちなのだろう。もうこのままでいい。


 リーリアはラミーに向き直った。

「蛍椿の花ってもう咲きましたか?」


       ○


 陽が沈むと精霊種の時間になる。大気中の魔力濃度が上がり、大地は魔力で満ちる。

 城の前庭にある花壇のそばでリーリアは待っていた。昨日届けてくれていた藤色のワンピースドレスに白いショールを羽織り、髪はラミーに結い上げてもらった。


「お待たせして、すみません」


 白いシャツに黒いズボン、黒地に金縁飾りがついたベストを着たライがやって来た。初対面のときを思い起こされる。ただ、氷のような印象だったあのときとは違い、裁きを待つ被告人のような憔悴した雰囲気があった。

 一緒に待ってくれていたラミーは会釈し、城に戻っていく。


「蛍椿の花、きれいですね」

「はい。……覚えてくれていましたか」


 咲いたら見に行きますか、と言ってくれたのはライである。蛍椿はベルクリスタンの特産品で、前庭いっぱいに咲き誇っている。魔力を秘めた花は青白く周囲を照らし、幻想的な光景をみせていた。月明かりが霞むほどである。


「お話しましょう、侯爵様」

「はい」


 リーリアはどうしてこんな嘘をついたのか訊いた。答えは、今まで説明されたものと同じだった。不幸な政略結婚が続いたこと、ウィリディスに帰られた方が喜ばれると思っていたこと。


「侯爵様自身はどう思っていたのですか? 結婚したくなかったのでは?」

「そう、ですね。ベルクリスタン領侯爵に就任するということは政略結婚が責務としてあったので――それを含めて役職を受けました。好きな人と結婚したいという気持ちはありましたが、それ以前にいませんでした。相手が僕と向き合ってくれるのなら穏やかな家庭を作りたいと思っていましたし、ビジネスパートナーでもいいと思っていました。この政略結婚をなくそうと思ったのは、前侯爵の補佐についてからですね……こんな不幸な結婚は僕の代でなくそうと思いました」

「それで、ああだったんですね」

「そ、です。……でも、こんなことになるなんて思ってなかった」

 ライの顔が泣きそうにゆがむ。


「私、帰らなかったですもんね」

「それもありますけど、そうじゃなく」

 ライが一歩二歩と歩み寄ってくる。リーリアはじっと待った。手が届けば触れる距離でライは止まる。

「リーリアさんに帰ってほしくありません。僕は、リーリアさんのことをもっと知りたい。……貴方のことが好きになりました」

 ライの瞳が水を湛えたように煌めいた。

「嘘をついて、婚約破棄して、ずっと騙してて――そこは許されない。ごめんなさい。償えるものなら償いたい」


 ライが一歩下がって深く頭を垂れた。リーリアはその頭を、撫でた。


「!」

「あっ、ごめんなさい、可愛いなぁって」

「か、カワイイ……?」


 どういうことですか、と顔を上げたライは訳が分からない顔をしていて、リーリアはうっとり笑んだ。


「私、正直怒ってました。なんで言ってくれなかったのかとか、悲しかったし、婚約者として嫌だからかなぁとか思ったり、じゃあなんであんなに優しくしてくれたの、とか。気持ちグチャグチャなのに、侯爵様がライさんで良かったな、って思っちゃうし。私、いつのまにか好きになってたんです。でも侯爵様の花嫁として来ている以上、ライさんを好きになっちゃいけないって思いました。せめて侯爵様とちゃんと話し合うまでは、心に秘めないといけないって。なのにライさんが侯爵様ですよ。色んな思いがごちゃ混ぜ」


 ライは色々なものを堪えたような顔をしている。


「だから昨日、ライさんを拒絶しました。そのとき……ライさんのショックを受けた顔を見たとき、私、体の底からぞくぞくしたんです」

「……。え?」

「私がライさんをこうさせてしまったんだ、って思って、ごめんなさいとも思ったんですけど。私、あなたを独占しているようで。可愛くて、胸が疼きました」

「……ん?」

「こんな感情が私にあるなんてびっくりしました。なんていう名前なんでしょう――色んな小説も読んできたけれど、こんなの初めてです、ライさん」

「えと、その、……えっ?」


 ライが狼狽えているのを、リーリアはうっとりと見つめた。

(可愛い。本当に可愛い)


「その、リーリアさんも僕のことを好いてくださっている……ということで、いいですか?」

「はい」

「結婚を前提に、お付き合いしてくださいますか?」

「……はい!」

「抱きしめてもいいですか」


 両腕を広げたライに、リーリアは勢いよく飛び込んだ。ライが優しく抱きしめてくれる。はあああ……と頭上から安堵の溜め息を聞いて、リーリアは首筋に頬ずりした。


「ライさんはいい匂いがしますね」

「……」


 ライは黙り込んだままギュウウと抱きしめる力を強くした。


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