第18話 花嫁はスローライフを満喫する ――いぜん花婿逃亡中!(6)

 リーリアはアイリスが操縦する飛竜に乗った。青い鱗を持つ美しい竜だ。ライは大砲のようなものに乗り、飛竜の後ろを飛んでいる。振り返ったアイリスは感嘆の溜め息を吐いていた。


「あんな重装備なものを動かして、疲れないんですかねぇ。さすが二乗の魔法使い」

「ライさんは二乗の魔法使い、って呼ばれてるんですか」

「そうです。ライ殿の固有魔法で、二の魔力は四に、十の魔力は百に変換して放出できるんですよ。もともと魔力量があるのにそんなことされちゃわたくしたちたまりません。あの飛行具、魔道砲にもなってるんで魔力をこめたら攻撃もできるんですよ。物騒だわ」

「へぇ……」


 ライは沈鬱な顔をして遠くを見ている。決してリーリアを見ようとしない。

 何を考えているのだろう。どうして自分が侯爵だって言わなかったのだろう。どうして側近だなんて嘘をついて、でもあんなに優しく――


(最近何か言おうとしたのはこのこと? たまに見せる辛そうな顔は、嘘をついていたから?)

 キュイ、とベルルが頬に擦り寄ってくれる。

「もしかしてベルルは知っていたの?」


 キュ! と元気よく返事が返ってきた。賢い。知っていたのだ。リーリアには教えなかったし、ライに怒っている様子もない。ライに悪意はないから見守っていたのかもしれない。

 たぶんライは、この方がきっといいと思って、嘘をついたのだとは思う。酷いことをしようとして、画策するような人ではない。


「リーリアさん、初対面のわたくしが言えることは何もないと分かってはいるのですが――その、ライ殿は同期で。本当は悪い奴じゃないということは、お伝えさせてください」

 アイリスが申し訳なさそうに言った。ライは同期からも慕われているようだ。リーリアは苦笑した。


「鉄拳と慰謝料案件じゃありませんでしたっけ」

「それはもう! ライ殿はタフなんで気の済むまで殴っても大丈夫ですし、侯爵役職になったのでそこそこお金もあります、もぎ取りましょう!」

「ふふ。――今度、ライさんの昔の話、聞かせてもらってもいいですか?」

 アイリスはやわらかく笑んで、勿論ですと言った。




 ウィリディス城に到着し、アイリスを見送って、城前にリーリアとライが残された。数歩ぶん挟んで向かい合い、微妙な空気が流れる。


「リーリアさん、僕は」

「そ、それ以上近づいてこないでください」

 一歩こちらに踏み出したライが息を止めて固まった。


「はなし、を」

「いまは、ちょっと、お話したくありません」

「っ……」


 リーリアの本音である。ライのことが嫌いじゃない。嘘をつかれていたと知ってなお、事情はあるのだろうと思ってしまうし、まだ見ぬ侯爵よりもライが侯爵で良かったとすら思う。この世の終わりを見ているような顔をしたライに、大丈夫ですかと駆け寄りたくなる。

 でも今は話したくない。でないとリーリアは許してしまう。ごちゃついた自分の気持ちをきちんと考える間もなく、好きという一点で流してしまう。


「ライさんは、ひどい」


 どうしてもっと早く言ってくれなかったのか。破棄されたとはいえウィリディスからの花嫁という肩書きと、ライに惹かれる心の間で苦しんだあの気持ちは――なんだったのか。


「しばらく、魔法の勉強も、おやすみ、します」

「ヒュッ」


 ライの喉から変な音が出た。トドメを刺されて息もできないような彼に、彼を苦しめているという申し訳なさと、自分がそうさせているという仄暗い愉悦がわく。

(わたし、酷い女なのかもしれない)


 ライに背をむけて城のなかに入る。「おかえりなさい」と衛兵のネシャルヒトが扉を開けてくれ、リーリアは作り込んだ笑みを返した。彼はライとリーリアのやり取りをばっちり見ている。


「総員――! 集合――――!!」


 魔法を使ったのか、ネシャルヒトの声は城全体に響き渡った。

 そうなのだ。城の全員が、ライの嘘に付き合っていたのは明白なのだ。




 リーリアはその足で東棟の厨房に向かった。ここはもうリーリアの城であるし、何も考えたくないときも、考えをまとめたいときも、菓子作りは最適なのである。甘酸っぱいタルトタタンにしようそうしよう。今ごろライたちは緊急会議でも開いているに違いない。


 ライが組み立て、教えてもらった魔法はきちんと扱えるようになった。生地を冷やしたり休ませたりする工程を魔法でできるようになり、作業効率が大幅に上がった。

 ぐつぐつと鍋で林檎を煮込みながら、ライのことを考えた。初めは固い林檎、火にくべたら柔らかくなっていく林檎。凍っていたリーリアの心は今はもう融けている。ライや、ベルクリスタンの皆のおかげである。彼らは今ごろどんな話をしているのか。


(しかし皆、演技上手だったなぁ……。団結力がある。ライさんは慕われているのだな)


 嘘をつかれていたと知ってなお、不思議と彼らに怒りはわいてこなかった。奇妙な感嘆の方が大きい。

 そのうち客が来るだろう、と厨房からつながる居間に移動する。丸い型に並べた林檎と煮汁はオーブンに入れて焼いている途中である。時間になればオーブンがお知らせしてくれるので、靴を脱いでソファに上がり、丸くなって一眠りする。朝から移動が続いて疲れていたのだ。


 そうして何やら騒がしくなり、焼き上がる前にリーリアは目覚めた。扉の向こうから「リーリア様、こちらにおられますか」とラミーの声がする。起き上がるも億劫に眠かったので、「どうぞ」と返事をすると、そろりと入ってきたのはラミーとダンテである。二人とも顔に『ごめんなさい』と書いてあるような悄然とした様子だ。

 リーリアは抑揚のない声で言う。


「べつに怒っていません」

「すみませんんんん!」


 悲愴な顔をしてラミーがだだだっと駆け寄ってきた。前にもこんな顔を見たことがあるなと思ったら、リーリアが境界の向こうに迷い込んで帰ってきたときだ。

 今のリーリアは気怠げに身を起こし、服も少し皺になって、寝起きのせいで瞼は重いし声もこもっている。たぶん――皆に嘘をつかれていたショックで泣き寝入りしていたのだと思われている。


「んふふ。私は泣いていませんよ。ちょっと疲れて眠っていただけです」

「そ、そっか。……ごめんな、リーリアちゃん」

 ダンテは二段重ねのバスケットをテーブルに広げた。沢山のサンドイッチが入っている。


「俺ら皆がいる食堂でご飯は食べたくないかと思って、持ってきた」

「なるほど。気が利きますね」

「提案したのは、ライ、だけどな」


 言いにくそうに言ったダンテに、リーリアはふふふと笑い返す。本当に彼らしいなと、思ったのだ。


「ライさんには、怒って、いますか?」

「わかりません」

「わ、分かんないほど怒ってる? ライは、その……リーリアちゃんから『近づいてこないで、話したくない』って拒絶されたと言っていたけど」

「ふふ。言いました」


 リーリアがはにかみながら言うと、ラミーもリーリアも押し黙った。そこにピロピロパロンと妖精が奏でる暢気な音が鳴る。オーブンで林檎が焼き上がったらしい。


「今ね、タルトタタンを作っているんです。ちょっと待っててくださいますか?」

 ラミーもダンテもこくこくと頷いた。いつも余裕がありそうなダンテまで何やら緊張しているのがおかしかった。

 型に入った林檎たちの粗熱を魔法でとり、タルト生地をかぶせ、またオーブンで焼く。


「リーリアちゃん、魔法うまくなったねェ」

「はい。ライさんが上手に教えてくれましたから」

「ああ、ウン……」

 ラミーもダンテも、リーリアからの叱責を待っているようだった。リーリアは卵のサンドイッチをもらい、二人にも一緒に食べませんかとすすめる。そろって首を振られた。


「あの、私、ラミーさんやダンテさんに怒ってなんていませんよ」

「リーリア様、これは完全に私たちが悪いので、気を遣ったりとか、当たり障り無くとか、そういうのは、ほんとうにいいんですよ」

「本当です。怒るというより、ちょっぴり悲しいというか。ああ、部外者なんだなぁっていうような……」

 ラミーは怒られた方がマシだというような、ショックを受けた顔をした。


「しかし皆さん、演技上手でしたね。全然分かりませんでした」

「いやまぁ、侯爵って呼ばないだけで、普段とあんま変わりないからな……」

「さっきまで会議か何かしていたんでしょう? もうバレたから嘘つかなくていいとか、そういう」

「そのとおりです。会議というか――弾劾裁判でしたね、あれは」

「怖いですねぇ」

「リーリアちゃんがいいって言うまで、ライの話は聞かなくてもいいよ。ライは食堂を使うのも控えるってさ」


 こくりと頷き、黙って意味を咀嚼する。リーリアが許しを出さなければ、ライは本当にそうしそうだ。


「私、ライさんにはモヤモヤしているんです。なんだか気持ちがグチャグチャで、でもあんな顔されたら怒ってるなんて言えなくて、でもちょっと今は話したくない」

「嫌いになってないんですか?」

「私がライさんを嫌うことなんてない」


 すぱり、と口に出したらスッキリした。ラミーは目をぱちぱちと瞬かせている。「内緒でお願いします」と添えると、彼女は小さく頷いた。


「ねぇー、謝るの終わった? そろそろボク入ってもいい?」


 のんびりと言うカイルは扉をコンコンと叩きながらすでに入室している。

「おかえりリーリア。大変なことになったねぇ」

 カイルはリーリアの隣に座り、苺のサンドイッチを手に取る。カイルも弾劾裁判に出席していたらしく、そこで詳しい経緯を知り、第三者として見ている分には面白かったと言った。


「そんでさぁ、ライ殿が侯爵って判明して、リーリア結婚するの?」


 ガリッ。

 リーリアは間違えて舌を噛んだ。痛い。


「カイル君、俺らが実はすんげぇ気になってることぶっ込むよねぇ無邪気に……若いから?」

(か、考えてなかった……)

「だってさぁリーリア」

 ――ライ殿のこと、好きじゃん。

 そう言おうとしたカイルをリーリアは視線で黙らせた。

 ――好きじゃなくなったの?

 問うてくるカイルに首を振る。好き、だけど、ごちゃごちゃしている。


「そういえば、カイルくんは驚きませんでしたね。ライさんが侯爵だって分かっても、へぇ、って感じで」

「はい。なんとなくそうじゃないかって思ってました。圧倒的に強そうなんですもん。トルクルスは予知者による領主選定で、魔法使いとしての力量が重きを占めるって聞いてましたし、面構えが皆と少し違いますよね」

「えっ……カイル、分かってたの?」


 節穴だったのはリーリアの方なのか。


「これでも一応、ウィリディスでは稀代の魔法使いだよ。ライ殿が滲ませる魔力は相当だよ。まぁボクはいつだってリーリアの味方だからね。だから結婚はどうするのか知りたい。侯爵と正式に破棄の文書を作るのだったらボクが契約書を作るよ」


 ラミーとダンテがうんうん頷いている。「婚約破棄、口約束ですもんね」「カイル君が作るのが一番いいな」


「きゅっ……急に結婚の話とか、言われて、も、いまは困る」

 本来ならライと結婚――それを想像し、顔に熱が集まるのが分かる。絶対に赤くなっている。カイルたちが「お」「あら」「おお」などの反応をみせるので、自分がどんな顔をしているのか察する。

 恥ずかしい。でも初日、ライはその口でリーリアに婚約破棄を一方的に告げたのだ。何があっても婚姻は結ばない、と念押しもされた。あの無機質な初対面のことを思い出すと頭が冷える。でもそれからはずっと優しい――


「ライさんって、なんなの……」

 考えるのに疲れてリーリアが言うと、ラミーとダンテがすっと真顔になった。

「ヘタレ野郎です」

「不器用カタブツだな」

 カイルは可笑しそうに笑っていた。

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