第17話 花嫁はスローライフを満喫する ――いぜん花婿逃亡中!(5)

 ファルメニタルク城は、白い壁と赤茶色の屋根、無駄を省いたような四角いデザインの城だった。正面には大きな時計盤を嵌め込んでいる。


「時計盤のステンドグラスは竜ですか?」

「そう! ファルメニタルクは飛竜が多く生息しているからな」

 サーシスはご機嫌である。

(さて、何で私はここに連れてこられたのか……)

 どう訊ねるものかと思案していると、城の方から数人がバタバタと駆けてきた。皆、黒いズボンに白いシャツ、赤茶のベストを着ている。


「サーシスさん! 勝手に飛竜持ち出してどこ行ってたんですか! そしてその女性は誰!」


 人の良さそうな男性がサーシスを一喝した。おそらく城に勤める部下だろう。


「別にいいじゃん。あと彼女はリーリア。ベルクリスタンに来たウィリディスからの花嫁ちゃん。話は知ってるだろ?」

「ああ、あの……って、は? はぁ!?」

「気になったからちょっくら誘拐してきた」


 部下らしき男性はサーシスをポコンと殴った。

 また別の人が、リーリアの前に立って深々と礼をした。髪を短く切った、切れ長の瞳が美しい女性である。


「うちの馬鹿が申し訳ありません。大丈夫ですか? 損害賠償や苦情など受け付けております。どうぞご遠慮なく」

「はぁ、その、大丈夫です。ただ、私はどうしてここに連れてこられたんでしょうか」

 この場にいる全員がサーシスを見遣る。部下全員の目線は凍るように冷たかった。

「侯爵にさぁ、婚約破棄されて結婚なくなったってマジ?」

 部下たちの目が丸くなった。『知らなかった』というよりも、知った上で『何言っとるんじゃコイツ』という驚愕の様子だった。


「本当です」


 部下の一人がまたサーシスをボコンと殴り、目の前の女性は片手で顔を覆い、他の面子は石像のように固まった。

「んじゃあさ、ファルメニクルスに来ない? アンタ見かけによらず面白そうだし、俺のお嫁さんになってもいーよ」

 部下たちは目を剥いた。数秒の沈黙が流れ、リーリアはにこりと微笑んだ。

「お断りします」




 ファルメニタルク城にも領主私用のキッチンリビングがあった。ボウルで生地を練るリーリアの、アイランド型キッチンを挟んで向こうにサーシスが座っている。部下に説教された後で少々機嫌が悪い。リーリアの方は部下の女性に『すみません、悪意や悪気はたぶん無いんです、すみません本当にすみません』と謝り倒された。


「俺ぇ、本当に結婚してもいいって思ったのになー。惚れやすいからすぐ惚れるぜぇ」

「結婚はノリで決めるもんじゃないですよ」


 ウィリディス城への連絡は入れてある。サーシスが小型の竜を呼び出して伝言を飛ばしていた。

 トンボ帰りはしんどいだろうと、城での休息をすすめられたのだが、リーリアは菓子を作っている。サーシスに乞われたからだ。そもそもリーリアを連れて来ようとした発端は、魔力回復の菓子を作れると噂で聞いたからだそうだ。不味い魔法薬でなく美味しい菓子とはどんなものか、できれば製法を教えて欲しいという。もちろん報酬は出します、と言われたので実演することになった。


 ベルルはキッチン台でのんびりアーモンドを囓っている。始終落ち着いた様子のベルルの存在に、リーリアは救われていた。本当に危険であれば、こんなにリラックスしていないからだ。


「っつーかリーリアさぁ、知らない男に誘拐されそうになって、あんな風に流されちゃイカンと思う」

「駄目ですよね」

「抵抗とかしねぇし」

「そりゃ、サーシスさんを見てすぐ〝絶対敵わない相手だ〟って分かったからですよ。無駄に抵抗した方が危ないですし、様子をみようって思いました。それに悪い人じゃなさそうでしたし」

「へぇ~冷静」


 今回はバターでなく米油を使っている。ファルメニタルクの主食は小麦でなく米なのだ。さっくりした美味しいクッキーが焼けるだろう。

「あとさぁ、自分のことがそこまで大事じゃねぇのかな。ちょっと投げやりっつーか」


 リーリアは沈黙を返した。これまで、どこか捨て鉢だったのは否めない。でもベルクリスタンに来てからは変わったはずだ。それをサーシスに言う必要は無い。

 菓子作りの最終工程でおまじないの歌を歌う。オーブンに入れつつチラリとサーシスを見遣ると、彼は驚嘆の眼差しでリーリアを見つめていた。


「なんだァさっきの」

「おまじないです」


 クッキーが焼き上がるまで十数分ある。手持ち無沙汰だなと思っていると、部下の女性が紅茶を持ってきてくれた。名前はアイリス、ファルメニタルクの騎士をしていると紹介を受ける。


「サーシスがご無礼を働いてはいませんか?」


 部下の皆の態度を見て想像はついていたが、この主、色々なところで面倒を起こしているらしい。焼き上がりを待つまでの時間、アイリスが色々な話をしてくれた。魔法力だけはピカイチに強いが、礼儀も無礼も分かっていない本能で動く脳筋、しかし頭は悪くないし部下が有能なので領地運営は良好、だそうだ。アイリスが話している間、サーシスは紙飛行機を作って遊んでいる。


「つぅかさ、リーリアは婚約破棄されたことに怒ってねーの?」

「言われたときはショックでしたけど、今は別に……」

「わたくしでしたら鉄拳お見舞いして慰謝料ぶんどる案件ですが」

「アイリスさん……」


 そうこうしているうちにクッキーが焼け、三人とベルルで試食する。サーシスもアイリスも目を見開いて驚いた。


「これは確かに魔法薬と同じですね。無論こちらの方がいい」

「ただ見てて分かったけど、リーリアの固有魔法だな。真似するには難しい。仕掛けはあのフワフワする歌だろ? 毎回こういう効果がでるのか?」

(あれってフワフワするんだ……)

「仕組みは私にも分かっていません。一日に使える上限はあるみたいで、それを超えると効果が殆ど落ちるみたいです。お菓子だったらだいたい何でも付与できるようです」

 へぇ、と二人は頷き、クッキーを凝視する。

「でも……そうですね。もし作り方が分かれば、皆さん嬉しいですよね」

「リーリアの固有魔法だから難しいと思う。イチから見つけるよりか突破口はあるだろうが。それに固有魔法だぜ? こんな技術独占したいって思わねーの? 市場価値みてーなもんじゃん、それを守るのは別に悪じゃない」

「なるほど……」

 それが所謂リーリアの価値、にもなるのだ。


(でも、もし作る方法を見つけられたら)

 一つ、これからやりたいことが見えてきた気がした。

 ふるりと頭を振って、気持ちを切り替える。

「まだ作れるので、プリンでも作りましょうか?」

 サーシスもアイリスも目を輝かせた。リーリアはにっこり笑って準備を始める。

「ねぇリーリアさん。侯爵様に連絡して、しばらくファルメニタルクに滞在しませんか。トルクルス国はベルクリスタン領しか知らないのでしょう? 旅行がてら見聞を深めるという目的で、如何ですか」

「そう、ですね――」


 アイリスの誘いにどう答えようか悩んだときだ。外がやたら騒がしくなった。「はっ、はい、その先、です」「あッ、ちょっと待って下さ、――様!」複数の足音に焦った声が聞こえると、扉がバンと勢いよく開かれた。

 肩で息をしているライがいる。


「――え、ライ、さ」


 ライは怒ったような足取りでキッチンに回り込むとリーリアを抱きしめた。ぎゅうう、と苦しいほどに抱きしめられ、リーリアは泡立て器を取り落とす。カラン、と金属が軽く擦れる音が響いた。


「心配、した」


 頭上から切なさを絞ったような呟きが落ちる。どくどくと心臓の音がうるさい。リーリアのものでもあるし、ぴったり引っ付いている体の持ち主のものでもある。

(きっとライさんが来てくれるって、思ってた)

 ライの腕のなかに抱かれている熱さに頭がぼうっとなる。リーリアはライの背中に両手を回そうとした。


「なに、政略結婚なくなったんじゃなかったのか?」


 浮かされた空気をぶち破るようにサーシスが言った。リーリアの手がびくりと跳ねる。ライの体はびしりと固まった。

「サーシス様、いいところなんですから黙ってください。そういうところがマジで空気読めないんですよ」

「いやでも婚約破棄したんだろ? 付き合ってんのコレ?」


 アイリスとサーシスの会話に、リーリアは嫌な予感がした。そろりとライから離れようとする。一瞬、ライは離れがたいという動きをしたがそっと解放してくれた。真下から見上げる顔は青ざめている。


「婚約破棄とか、付き合うとか、どういう意味ですか?」

 リーリアはライに訊いた。ライは口を開いたが、先に答えたのはサーシスである。

「婚約破棄したにしては、脇目もふらず抱きしめてさァ。あれだろ、俺が『花嫁ちゃんはファルメニタルクがいただきました。大切にします』って送ったから心配で飛んできたんだろ。もっと時間かかると思ってたんだけど早すぎ。さすが《二乗の魔法使い》だよなァ」


(そんなの――まるで、まるで――)

 ライが侯爵本人であるかのような言い方ではないか。


「ライ、さん……?」

「はい。……ライオネル・イーグル・ベルクリスタン、です」


 リーリアはライを見つめた。混乱して言葉が出ない。名にベルクリスタンが付く、それは領主であることを意味する。

 ライの目元は震え、泣いているようにも見えた。


「侯爵様……?」

「そうです」


 リーリアは二歩下がった。自分がどんな顔をしているのか分からない。ライに何と言えばいいのかも分からない。

 ライの顔色は死にそうなほど悪く、息をしていないようにも見える。


「! まさか、ライが侯爵って知らなかったのか? どーゆーこと? ライお前騙してたの? それって最低ってやつじゃねフガフガ」

 得心がいった、というサーシスの台詞は途中で遮られた。アイリスが物理的に口を塞いだのである。


「リーリアさん、……ベルクリスタンに帰ってきてくれますか」

 縋るような声だ。

「も、もちろん、です」

 リーリアの帰りたい場所はベルクリスタン城である。他にはない。

「サーシス。飛竜を貸せ」

「別にいいけど、お前どうやって来たん?」

「魔道飛行具。リーリアさんを乗せるには危険すぎる」

「おま……マジで自力で飛んできたんか」


 サーシスは唖然とした。「でしたらわたくしがお送りしますよ」とアイリスが申し出てくれて、ライが頷いた。

 手で口を抑え、項垂れるように目を瞑るライに、リーリアは作りたてのクッキーを差し出した。自力で来た、と聞いて疲れていると思ったのだ。


「ライさん。……食べてください」

「……ありがとう」


 さくりとクッキーを食べたライは泣きそうに顔をゆがめる。これ以上、リーリアは何も言えなかった。

 ベルルはそんな二人の様子を黙って見ていた。



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