第16話 花嫁はスローライフを満喫する ――いぜん花婿逃亡中!(4)
夕方、ライは無事子どもを境界の向こうから連れて帰ってきた。子どもはウサギと楽しく遊んでいたそうだが、思っていたよりも遠いところまで迷い込んでいたらしく、ライに疲労の色が見えた。
「ダンテさん、精霊の世界に入るのって実はとんでもなく疲れることだったりしますか?」
「まあね。招かれたのでもないのに、こっちから境界に踏み入れる時点で魔力をゴッソリ吸われる。そんでよく分かんねぇあの空間を探し回る訳だろ、俺は絶対行きたくないんだよなァ」
ライはすげぇよ、とダンテが言う。
「ライさんおかえりなさい。お疲れ様です」
「ただいまです。なかなか疲れました、リーリアさんのチョコレートテリーヌが食べたいです……」
夕食は皆で食べた。リーリアが持ってきたテリーヌは好評を博し、取り合いになった。ライは分かりやすく残念そうにし、リーリアの耳元で囁く。
「独り占めしたかったので今度こっそり作ってくれませんか」
「ライさんチョコレートお好きなんですか?」
こくり、と頷いた彼にリーリアは微笑んだ。
○
昼下がり、リーリアはカイルと共に図書室にいた。リーリアはライに教えてもらった魔法の復習を、カイルは魔道書を読みふけっている。
近頃は訓練場に出向いて軽傷の治療を行っており、軽い打撲や擦り傷は治せるようになったのだ。いずれ治るものだとしても早い方が良いので喜ばれている。治癒魔法の実地訓練にもなるし、一石二鳥なのだ。ウィリディスとの友好発展計画もカイルが現れたことで前進している。リーリアは特に何もしていないのでカイルの手柄だと思うのだが、『リーリアの肩書きがあるからこそ動きやすいんだよ』と彼は言う。そういうものなのか。名ばかりの大使だが意味はあるらしい。
「侯爵様、全然帰ってこないね」
「そうね……」
図書室のテーブルの向かい、カイルが頬杖をついて言った。リーリアが一つ気に病んでいるのは侯爵のことだった。とうに二ヶ月以上経つが、未だ会ったことがない。実はこっそり帰ってきているのでは、と思うこともしばしばである。
「ねぇ、リーリアさぁ……ライ殿のこと好きなの?」
「なっ……なん、なんで……っ」
予期せぬタイミングに訊ねられ、自分の頬が熱くなるのが分かった。とんだ強襲である。
「……幼い頃のリーリアしか知らないけどさぁ、そういう顔もするようになったんだね」
しみじみ言われて恥ずかしさが増す。最早こちらの気持ちなどバレバレだが、読んでいた治癒魔法学Ⅱの教本で顔を隠した。
「なんで、そう、思ったの……」
「まぁ~なんとなく? どういうとこが好きになったの」
例えるなら降り積もる雪だった。優しいところ、不器用で可愛いところ、リーリアの内情を想像して思いやってくれるところ。ふわふわと足下に舞い降りては融けずに積もっていく。静かに静かにリーリアの心の内を満たしていた。
たぶんこれが恋というやつだ。境界の向こうに迷いこんだリーリアを迎えに来て『行かないで』と言ってくれた、あのときにきっと芽吹いた。
「言わないの?」
「言わない。言えるわけない。私は一応、侯爵様の婚約者でもあるし……」
「それは破棄されたって」
「うん、でもまだちゃんと破棄できてない気がするの。会ってないし、口約束だから書面に記してないし。それに、そもそも花嫁として来た身だもの……言えないよ」
「……フーン? そいえばライ殿も最近ちょっと変だよね」
リーリアは頷いた。このところ、ライはリーリアに何か言おうとしている。しかし思い詰めたような顔をして話し始めると、いつも邪魔が入って中断される。領地における火急の用件だったり、禁足地でのトラブルだったり、示し合わせたようなタイミングで舞い込むのだ。
「顔色も悪いし、そのうち心労で倒れちゃうんじゃないかって思う」
「ライ殿忙しそうだしねぇ」
花嫁のことがなくとも、自分の気持ちを言うことはなかっただろうとリーリアは思う。好きだという気持ちを知ってもらいたい気持ちはあっても怖すぎる。告白した次の瞬間から、自分はどう息をして生きていけばいいのか。
泣いたり笑ったり恋を楽しんでいた姉たちはすごかった、と今更ながら思うのである。
ただ……自分の気持ちを知ってもらいたいという欲も、確かにあるのだ。
カイルとそのような話をした翌朝、食堂で会ったライが決死の表情をしてリーリアの前に立った。
「今日こそ、ちゃんと話ができるようにしっかり時間をとりました。昼食後のいつもの場所、カイルさんは遠慮してもらってください。……大事な話があります」
「わ、分かりました」
横を通りすがった男性が「おお」と感嘆の声をあげた。やや注目を集めているが、ライは気にする様子はなく小さく頷いた。食堂を出ていく後ろ姿を、リーリアはぼうっと見送った。ここしばらくライが言おうとしては邪魔が入っていた、そのことについてだろう。
なんだろう、深刻な話なのかな。悪いことではないような気がする。なんにせよ、お昼までソワソワする。
日課である森の散策は心地よかった。毎日同じようでいて、少しずつ変化しているのを感じるのが楽しい。ウサギや猫がやって来ても最初のように群がられることはなく、リーリアがひと撫ですると森の向こうへ消えていく。
そろそろ城に引き返そう、と振り返ったところに、突然頭上から人が落ちてきた。目に焼き付くような赤い衣装を着た人は、派手な着地音を響かせる。リーリアを見るとニヤッと笑った。
「青と灰色みたいな髪で金色持ち。アンタだろ、ウィリディスからの花嫁って。俺って天才!」
「どちら様でしょうか」
苛烈な印象の青年である。とても整った顔立ちをしているが、笑い方が獰猛なので怖さの方が勝る。赤い瞳に、燃えるような赤毛は後ろで一つに縛り、雀の尾のようになっていた。
「俺は、ベルクリスタンの隣の島、ファルメニタルクの領主、サーシスだ!」
言い終えたところで、彼の背後に炎の竜が燃え上がった。サーシスがマントをはためかせると消える。凝った演出である。
「はじめまして。リーリア・シルヴァです」
彼からは強者の匂いがした。何とか逃げられないだろうかと、一歩後退したリーリアの腕をサーシスが掴んだ。引き抜こうにもビクともしない。
「こんにちは。そんじゃあまぁ、誘拐されてみる?」
は、と息を吐いたときにはサーシスに担ぎ上げられ中空を飛んでいた。すんでの瞬間飛びついてきたベルルはリーリアの首元にいる。ぐんぐん空へと高く昇り、ふわりと下ろされたそこは硬い感触があった。横を見ると赤黒い翼――飛竜の上に乗っている。
「なん、なっ……!」
「あー、乗るの初めて? 楽しんでよォ」
じゃあ行こうぜ、とサーシスが言うと、飛竜が『ギャオ』と存外高い鳴き声を上げた。
訳が分からないがリーリアにはどうしようもない。下手に動く方が悪手だ。せめて誰かに言付けられたら良いがそれも不可能である。
ちらり、と城の方を見たのに気付かれたのだろう、サーシスが言う。
「ああん? 大丈夫大丈夫、あとでちゃんと『おたくの花嫁さんは強奪しました』って連絡するから」
「……」
大丈夫ではないのでは。
「そろそろ目くらましの魔法にも気付かれちまう」とサーシスは意味深なことを言い、飛竜が翼を動かした。ヒュオォォォ、とすごいスピードで飛んでいく。普通であれば吹き飛ばされるだろうが、サーシスの魔法のおかげか風圧すらあまり感じない。驚いて彼を見上げると、得意げに笑い返された。
ベルクリスタンの島を離れ、青空のなかを飛んでいく。遥か下方には地上の大地が見えていた。町も川も田園もあんなに小さい。首を巡らせば、雲をたなびかせた連峰がそびえ立っている。ウィリディスから馬車に乗って来たときは、緊張で景色を見ていなかったことに気付く。飛龍に乗って視界が開けている今、何もかもが広大だった。リーリアがいた世界は小さく、世界はとても広い。
「どォ、楽しんでる? 花嫁のリーリア」
「はい。楽しい、です」
サーシスは爆笑した。よく笑う人だなぁとリーリアは思う。
「おもしれー。アンタ、肝がすわってんなぁ。いちおー誘拐されてんだけど」
「お願いしたら帰してもらえますか?」
「や、無理だけど」
でしょうね、とリーリアは頷いた。
しばらくすると島が見えてきた。いびつなフライパンのような形をしている。サーシスは上空から島の中心部へと下降した。整備された美しい街並みに、大きな時計塔が見える。その少し離れたところに立派な城館があり、そこの広場に着地する。サーシスはリーリアを横抱きにして飛竜から飛び降りた。
「ほい到着。ここが俺の住まい兼職場のファルメニタルク城な! ベルクリスタンみたいにデカくはないけど、こっちの方が新しくて使い勝手がいいぜ」
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