第15話 花嫁はスローライフを満喫する ――いぜん花婿逃亡中!(3)

 リーリアに魔法を教えている間、カイルは興味深げに教本を読んでいた。「これ、情報流出とか大丈夫ですか」と心配してくれたが、初級の本である。だが、カイルにとっては新しい発見があったらしい。天空と地上では魔法へのアプローチが違うのだろう。あとで彼に聞いてみよう。


 今日は魔法実技だ。体を巡る魔力を意識してもらうため、教えるときにどうしても身体に触れることがある。ライは慎重にリーリアの額や指先、背中に触れた。相手が男であれば心臓や丹田を遠慮無く突いている。

 初めのときと比べ、リーリアもそういった接触に慣れはしたものの、未だ少し頬を赤らめる。申し訳ないなと思うが、とても可愛い。かくいうライも慣れている訳ではない。本当は心臓がうるさいがポーカーフェイスで誤魔化している。

 今回は風魔法だ。掌の上で小さな風を起こすため、ライは下から掬うようにリーリアの手を包んでいた。


「そう、そのまま集中して……いい流れです、そう、……できた!」

「や、やった!」


 掌に載せていた葉っぱが舞い上がる。これで初級の風魔法も習得できた。

 嬉しそうなリーリアが、ぱっと顔を上げた。至近距離で見つめ合うことになり、「ひぇっ」と変な声を出したリーリアが後退する。ライは緩みそうになる頬を誤魔化すよう片手で顔を覆った。

 そして変な沈黙が落ちる。これはよくあることだが、今日はそれを目撃していた第三者がいた。


「……。ねぇ、じつは付き合ってるの?」

「違います」

「ち、違う」

 ライとリーリアは同時に否定した。カイルは訝しげな顔をして、ふうんと気怠げに答えた。

 そのまま昼食となり、ダンテとラミーが食堂で合流した。カイルの客間は準備できたようで、彼の着替えもすでに数着見繕ったらしい。好きな食べ物や好みの服装など楽しそうに聞いているあたり、ラミーはいつもより親切な気がする。


「その……、侯爵様には謁見できないでしょうか。不法侵入した謝罪とか、今後の滞在についてお許しをもらいたいのですが」


 カイルが申し訳なさそうに言ったとき、ダンテがニヤァと笑った。これは嫌な流れになったと悟った。


「今、城に侯爵はいなくてな。王都で仕事してる、はずだぜぇ」

「リーリア様も会ったことありませんもんね?」

 ラミーがリーリアにパスし、リーリアはこくこくと頷いている。


「は? リーリアも会ったことがない、ですか?」

「侯爵はァ、リーリアちゃんに会うことなく婚姻を拒絶して王都に逃げた。だよな、ライ?」

 ライは笑顔の下で奥歯をギリッと噛みしめた。

「そうですね」


 カイルは拳を口に当てて考え込んだ。ちらりとライを見て唸る。

 まさか勘づかれたのだろうか。魔力のせいか? 膨大すぎる魔力は普段きちんと抑えているのでそれはないと思うのだが。


「リーリアはそれでいいの?」

「侯爵様がいいのなら。至れり尽くせりで、逆にいいのかなって思ってるくらい」

「リーリアがいいのなら、まぁ……」

 言いながら、カイルは意味ありげにライを見た。




 嘘を背負って歩いている気分。とにかく体が重かった。

 戦闘訓練終わりの夕方、ライは森の境界の見回りをしていた。あちらとこちらの調停役を務めるのも侯爵の役割である。精霊種との対話はそれに相応しい形をとっている――ライに流れる血の系統、大犬の姿に変化していた。本日も特に異常はないようだ。ライは城に迎えた新たな客人について彼らに周知した。変にちょっかいをかけられると困る。

 城に帰ろうとしたとき、小道の向こうからリーリアがやって来た。大犬に気付き、駆けてくる。逃げるか迷っているともう遅かった。リーリアの足は思いのほか速い。


「こんにちは! 前に助けてくれた犬さん……? だよね。あのときはありがとう」

 大犬のライは頷いた。この姿をとるとき、人語は話せないのである。

「もう一度会いたかったの。嬉しい」

 いつもの敬語ではない喋り方だとリーリアは幼く見える。何を思ったか、顔をずいっと寄せたリーリアはふにゃっと笑った。

「犬さんの瞳って、なんだかライさんに似てるね」

 ライは心臓を掴まれたような心地がした。尻尾が逆立っている。


「知ってる? んとねぇ、冷たそうに見えてとっても優しい人なんだよ」

 ふふ、と笑うリーリアを見ていられなくて、ライは駆けだした。盗み聞きしているようなばつの悪さもある。後方から、リーリアが「またね」と言うのが聞こえた。

 結局、今日も本当のことを言えそうにない。





 リーリアはベルクリスタン城での生活に慣れた。城の内部も覚えたし、ここに勤めている皆の顔と名前も一致する。ラミーをはじめ、雑談する友達も増えたし、国境を越えてカイルまでやって来た。『リーリアのクッキー』や『リーリアのマフィン』などの菓子類は食堂のカウンターに定着し、余り残ることもないので毎日作り甲斐がある。小さなことでも誰かの役に立っていることが嬉しかった。

 今日の魔法講義は珍しく東棟の居間でするという。カイルは訓練の見学に行っているのでライと二人きりである。


「リーリアさんが魔法を使うにおいて、一番活躍しそうなのってお菓子作りだと思うのです」

「魔法でお料理できるんですか?」

「魔法で泡立て器をかきまぜたり、包丁を使ったりというのは繊細なコントロールが必要なので、実技訓練にはちょうどいいかもしれません。便利かな、と思ったのは粗熱を取ったり発酵を進めたり……といった内容ですかね。魔法式をきちんと組めば、少量の魔力でも可能そうですから」


 粗熱を取る工程を瞬時に進められれば時間短縮になる。すごく便利だ。

「すごく有り難いです! そういう工程があること、よくご存じでしたね。お菓子作り、好きなのですか?」

「実は全然知りませんでした。その、リーリアさんのお菓子作りに役立てられるようなものはないかな、と調べました……」


 ライは恥ずかしそうにポリポリと頬をかいている。

 リーリアは胸がギュウウと絞られるように痛くなり、これが俗に言う『キュン』というやつなのかと初めて知った。


「実際使っている道具の大きさや、作り方を今日は確認したいのです。それから魔法式の組み方を考えましょう」

「はい! お願いします」


 日頃使っている道具を並べ、サイズを測り、だいたいの質量を説明したりした。居間に戻ってテーブルに紙や教本を広げ、それらを使いながら魔法式を組む方法を教えてくれる。いかに少ない魔力で効率よく魔法を循環させるか、魔法系統の掛け合わせ方など、数学や自然科学の要素も大きかった。


「これは……勉強することがどんどん増えます」

「焦らずゆっくりいきましょう。勉強も詰め込まず、少しずつでいいですからね。リーリアさんは頑張りすぎるところがありますから」

「ライさんたちの方がよっぽど頑張ってますよ?」


 そういうところですよ、とライは笑い、今日はこのへんでやめておきましょうとテーブルを片付ける。


「そうだ、昨日はチョコレートテリーヌを作ったんです。冷やしておいたので食べませんか? 試作段階で私もまだ食べていないのですが」

「もちろん食べます。僕が一番ですね!」


 分かりやすくウキウキしてくれるので嬉しくなる。二人で厨房に移動し、リーリアは保冷庫から銀色のパウンド型を取り出す。チョコレートテリーヌはきちんと冷え固まっていた。ナイフを使って切り分け、一口食べてみる。


「うん、大丈夫です」

「美味しそうです! 僕にも下さい」

「はい、あー……」


 フォークで刺した一切れのテリーヌを、そのままライの方に近づける途中でリーリアは止まった。『お口にあーん』をしようとしていたのだ。ライはぽかんとしている。間近で目が合い、頬にどんどん熱が集まってきた。


(恥ずかしい!)

「ごめんなさ――」

「いただきます」


 リーリアが引っ込めようとした手をライはがしりと掴み、自分の顔を近づけてぱくりと食べた。

 アップルミントに似た爽やかなライの匂いが香る。大きく開いた口はどうしようもなく男らしさを感じ、唇の端についた欠片をぺろりと舐め取る仕草には色気を感じて目眩がした。


「とても美味しいです。チョコレートテリーヌって濃厚なお菓子なんですね」

「うあ……はい、そうなんです……」

「どうされましたかリーリアさん。……あ」


 ライはリーリアの手を掴んだままであることに気付き、慌てて離した。ライの手は大きく、リーリアの手をすっぽり包み込んでいた。温かさがじんわり残る。

 シンクの前で見つめ合う。じりじりとした沈黙に心臓が火傷しそうだ。

 ライの瞳に映るリーリアは、熱く、ひどく焦がれた顔をしていた。見つめている先はもちろんライだ。


 侯爵の婚約者として城に来たのに、こんな瞳で見ていたらバレてしまう。

 隠したい、けど、知ってほしい。

 リーリアを見るライも、恋しく物欲しそうで、どこか焦燥感のある表情をしていた。

 そんな瞳で見られると足下から溶けてしまう。


「ら、ライ、さ……」

 口から出た声は掠れていた。

「リーリアさん。僕、ずっと貴方に言――」


 バン! と扉が開き、兵士のネシャルヒトが慌てた様子で入って来た。

「ライさんこちらにいますか!? 実は西の禁足地で――」


 リーリアとライの、ただ事ではない二人の空気を見て取り、ネシャルヒトは「うっ」と言葉を詰まらせた。二人の間には拳一つ分の距離もなかった。


「ヒャアッ」

 突然の乱入者にリーリアはようやく理解が追いつき、急いでライから距離を取った。


「お邪魔したようで……スミマセン……」

「……いや。それで、禁足地がどうした」

「西の禁足地に子どもが入っていったと通報がありました。探してもなかなか見つからず、もしかすると境界を越えたのではないかと」

「了解、僕がすぐ向かおう。ダンテに連絡は?」

「境界の向こうへはライが行くだろう、と境界以外の場所での捜索指示を出しています。境界から弾き出された場合、どこに転移するか分かりませんから」

「分かった。僕は城の森の境界を越えてあちら側を探す。見つけられなくとも、午後六時に一旦城に戻るから。――リーリアさん」

「はいっ」

「すみません、また改めて、ゆっくり」

「はい、お気を付けて。お帰りを待っています」


 ライとネシャルヒトが急いで出て行った。もし子どもが本当に精霊の世界に迷い込んでしまったら相当心細いだろう。夢のように美しい場所ではあるが、帰れなくなる可能性だってある。

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