第14話 花嫁はスローライフを満喫する ――いぜん花婿逃亡中!(2)
大広間にはライ、ダンテ、数名の兵士がいた。簡易マットレスに転がされているのは未だ目覚めぬ侵入者である。まだ若い彼は中性的できれいな顔立ちをしていた。
「みなさん、リーリア様お連れしましたよー」
ラミーに連れられてやって来たリーリアが皆に会釈した。大方の説明はラミーにしてもらっている。侵入者の彼がリーリアの知り合いかどうか確認したいのだ。
ベルルは彼女の肩に乗って護衛をしているらしい。彼女の精霊種はいるべきときはきちんと傍にいてとても聡い。
「おはようございます。そこに眠っている方のことですよね?」
侵入者はガチガチに魔法で縛ってあるので危険はない。屈み込んで彼の顔を確認するリーリアは、拳を顎にあてて考え込んだ。
「知らない人、なんですけど、知っているような気がします。ううーん……」
ベルルがしゅたりと飛び降りて、侵入者の額を前足で叩いた。すると彼の瞼が震え、身じろぎする。ラミーはすかさずリーリアを引き寄せ、大広間いる全員が警戒する。
「っ……、あ、り、リーリア!」
「……?」
がばりと目覚めた侵入者はリーリアだけを見つめて叫んだ。リーリアは困惑の表情を浮かべ……目を瞠る。
「まさか、カイル? 本物?」
「そうだよカイルだよ! 久しぶり!」
「わ……すっかり男の人になってる。あんなに可愛かったのに」
「久々に会った感想がそれ? リーリアは綺麗になったね」
二人は両手を取り合って仲睦まじげに話し出した。ベルルまで彼の頭の上に乗ってぺしぺし叩いてじゃれている。
「えーと、リーリアさんのお知り合い?」
ライが訊ねると、二人ははっとして居住まいを正した。
「はい。こちら、ベルクリスタンの誇る魔法使いです。直接会ったのは十年くらい前ですが文通をしていて、私のお友達です」
「ぶんつう……」
ラミーが何やら目を輝かせて呟いている。
「カイル・アーベルスと申します。不法入国は承知の上です。申し訳ありません。リーリアがこちらに一人で嫁ぎに行ったと知り、焦りまして。正規の入国ルートもなかなかありませんから、強行突破しました」
薄緑色の瞳をした、柔らかな青年だった。まだ少年のような無邪気さが残っている。
カイルは深々と頭を垂れた。
「よくここまでたどり着けたよな。うまくいっても大変な目にあうだろうにさ、カイル君は何をしに、どうやってここまで来た?」
警戒を解ききっていないダンテがのんびり言う。カイルはダンテを真っ直ぐ見つめ返し、ほんのり笑んだ。
「幼い頃、伯爵家に行ってから、ボクはずっとリーリアのことが心配でした。修行を積んで独り立ちできた暁には、家を出て一緒に暮らそうと提案しようと思っていました。なのに……たった一人で嫁ぎ先へ向かったと知り、リーリアの味方になりたいと思う一心でここに来ました」
一緒に暮らそうと提案だって?
爆弾発言ととれる台詞に、リーリアだけが平然としている。
「カイル、魔法使いの修行は大丈夫なの?」
「大丈夫。ちょうど、もうすぐ終わるところだったんだ。手紙を貰ってから、師匠に最終試験を前倒しでやってほしいと頼んで、合格したからここに来た。一応、ウィリディス一級魔法使いになったよ」
「おめでとう!」
ダンテがにやりと笑うのを見て、ライは嫌な予感がした。
「地上の魔法使いが単独でよくここまで来れたな、すごいと思うぜ。ようこそベルクリスタンへ、新米の魔法使い。リーリアちゃんの結婚のことだが、侯爵の意向でしないことになったぜ~」
「はい?」
カイルは目を丸くした。続いてラミーが二人に近づき、口の端をつり上げて笑う。
「我らが侯爵は、ここ数代の政略結婚の内情に心を痛めて、婚姻を拒否したんです。ふふ。リーリア様はウィリディスから来た友好大使を務めてくださっています」
ライは人知れず嫌な汗が出た。ダンテとラミーは面白がっているし、少し怒っているのだ。
「……リーリア、それ、ほんとう?」
「ええ。皆さん、よくしてくださっています」
「ちなみに、ウィリディスに帰りたければ帰ってもいいって侯爵は言ってる」
ライは思わずダンテを睨んだ。ふふん、と笑い返される。
「じゃあさリーリア、僕とウィリディスに帰ろう。旅をしながら色んなところを見て回らない? 僕はずっと、リーリアを連れ出したかったんだ」
ライは焦った。カイルのまっすぐな誘いがひどく眩しかった。
せめて、まだ帰ってほしくない――が、ライは動けない。リーリアが彼と帰りたいのであれば、引き留める権利などない。
「ううん、ウィリディスには帰らない。ありがとうカイル。私はここにいたい」
「……そんなにいいところなの?」
「うん」
リーリアは微笑んだ。強がりではないその笑みに、ライはほっと力が抜ける。ダンテとラミーが寄越す、含んだような目線が鬱陶しい。
「じゃあボクも――できるなら、しばらくここにいさせてもらえるかな。だってリーリアは一人でここに来たんでしょ?」
「は?」
冗談だろ、と思ったのはライだけだったようで、ダンテとラミーが乗り気になる。
「いーじゃんいーじゃん。友好関係ってことで情報交換とか、留学生の受け入れとかどう? 和平条約結んでから数百年経ってんのに、両国の交流があまりにも少ないと思ってたんだよなぁ。こうやって単独でこっちに来れるような魔法使いもいるんだし、俺たちが改革してもいいんじゃね。なぁライ、俺たちならできるだろ?」
「それはまぁいずれと考えていましたが、今すぐできるわけもなく、王宮とウィリディスとに根回しや準備やらがですね……」
「我が領主様ならできるんじゃないですか? それにリーリア様の国のお友達ですよ、いいじゃないですか! リーリア様も嬉しいですよね?」
「えと、んと……はい。嬉しいです」
リーリアにそう言われると、ライは頑張らなければならなくなる。
「僕も師匠や魔法士協会を通じてお手伝いできることがあるかもしれません。ボク自身のことはしばらく、リーリアの従者や客か何かでここにおいてもらえませんか。滞在費は、稀少な鉱石など換金できそうな物をいくつか持っています。しかし天空は魔力濃度が桁違いですね。生態系を観察するだけでも勉強になりそうです……」
両国の交流発展については考えていたが、こんなにすぐ着手することになるとは思っていなかった。焦らず少しずつを考えていたが、カイルが現れた以上、今のうちに詰めていくのはチャンスである。これからするべき膨大な仕事と、ふってわいたリーリアのお友達の存在に、ライは頭が痛くなった。
(今日こそ、僕が侯爵本人だって言おうとしていた矢先……)
「カイル・アーベルス君。両国の交流について、助力を願うことになるでしょう。不法入国について記録は残すが特別に不問とします。賓客として城に滞在することを許します」
「はい。ありがとうございます。……まるで領主様みたいですね」
カイルが率直に言うと、ダンテとラミーが吹き出した。リーリアは確かにと頷いている。
嘘をつくと、嘘を貫き通すためにまた嘘を重ねなければならなくなる。後悔したときにはもう遅いのだ。
リーリアに魔法を教えていると聞いてカイルは同伴を願った。彼女に魔法は扱えないと言われていたのでとても気になるらしい。ライの公務は後回しし、城の案内や今後の説明ついでに、いつもの魔法講義をすることになった。本音を言うとカイルには来ないでほしいが、リーリアが楽しそうなので何も言えない。
「ボクから見てもリーリアの魔力は少なく、魔法を使えるとは思えないんですが、ベルクリスタンでの魔法の使い方は何か違うのかと思いまして」
「リーリアさんの魔力は治癒系統に特化しています。確かに多くはありませんが、他系統についても簡単な魔法でしたら十分です」
それを聞いたカイルが愕然としていた。
「そもそもの分類系統が《治癒》って、あり得るんですか……」
ライは片眉を上げる。地上の魔法技術が遅れていることは知っていたが、ここまでとは思っていなかった。
魔法の術式そのものには沢山の系統があるが、個々人の魔力の系統は限られている。殆どは、火水風地の四大元素のいずれかであるが、稀に治癒や予知といった特殊系統の者もいる。リーリアはそれだ。
「地上ではそういう見解なのですね。だからリーリアさんの魔法の才は見出されなかった。確かに、治癒系統は分かりづらいですけど」
「ライ殿は、どうしてリーリアが治癒系統だって分かったんですか?」
リーリアが作った菓子を食べたときに確信したが、魔力の流れを視たときには半ば予想がついていた。そう言うと、カイルはまた衝撃を受けたようだった。
「視る……だけで!? ライ殿、やはりあなたって相当な魔法使いなのでは」
「いえ、たいしたことないですよ」
嘘である。ウィリディス領侯爵に選ばれただけあって、ライは特級魔法使いであるし、トルクルス国全土で考えても五本の指に入る。
「それにね、ライさんは教え方も上手いのよ。私、マッチに火を点けられるようになったし、植物の折れた茎を治すのもできるようになったの」
「えっ!」
「それはリーリアさんが頑張っているからですよ。カンもいいので教え甲斐があります」
事実その通りである。いくつか選んだ魔法の教本はしっかり読み込んでくるし、復習も熱心、素直なので実技もなかなか筋がいい。怪我を治せるようになるのもすぐだろう。
「リーリア、生き生きしてるね」
カイルが眩しげに笑う。そこには妹の成長を目の当たりにしたような寂しさもあった。
「……うん! 私、ここに来てからとても楽しい」
そう言うリーリアはライを見上げて嬉しそうに微笑んだ。
最近の彼女は、ここに来たときと違って屈託なく笑う。ライはそれが嬉しくて、ずっと見ていたくて、――自分の重ねてきた嘘が何を及ぼすのか怖くなる。
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