第13話 花嫁はスローライフを満喫する ――いぜん花婿逃亡中!(1)
深夜に入ろうとしている時刻、普段であれば閉じている食堂には灯りが点いていた。
そこには城に勤めている者の殆どが集合しており、それぞれの顔は険しい。
「それで、我らが侯爵様? これからどうするんです?」
ねっとりなじったラミーの真正面にいるライは、祈るように組んだ両手を口に当てて沈痛な面持ちをしていた。
「なーんか後に引けなくなってるよなァ。リーリアちゃん、お前が侯爵本人だなんてまったく思ってないぜ」
「……知ってます」
「リーリア様、めちゃくちゃ可愛くて優しい方じゃないですか。嘘ついている私たちの心が苦しいんですけど」
「……すいません」
「お前の気持ちも分かるから、皆結局は協力した訳だけどさ。リーリアちゃんはここに残るぞ。残って欲しいのはお前も一緒だろ、あんな血相変えて境界の向こうまで迎えに行ったんだしさぁ。これ以上、嘘をつき続けるのもお前しんどいだろ。一番ショックなのはリーリアちゃんだろうがな」
「ぐうの音も出ません」
「お前はさ、どーしたいの」
ライは両手で目を覆った。
「……リーリアさんは、ベルクリスタンにいてもらいたいです。……花嫁殿は実家に帰りたいはずだと思っていたのが間違いでした」
まるで懺悔だった。部下たちは溜め息をつく。
ベルクリスタン侯爵領領主、ライオネル・イーグル・ベルクリスタン、二十二歳。トルクルス国の定める方式に従って、昨年、当代の領主に選ばれた。先代からベルクリスタン領に仕えている先輩方に支えられながら領地を治めている。
トルクルス国は、王族を除いて世襲制ではない。王族に顕れる予言者の巫女が、それぞれの領主候補を予言し、その数人のなかから一人選ばれて次代の領主に立つ。いつ予言が起こるのかは予言者本人すら分からない。数年の場合もあれば数十年の場合もある。候補者たちは数年の選定期間、領主の補佐ついて勉強をする。ダンテも候補者の一人だった。
領主候補として挙げられる素養には、学力や倫理、政治的手腕など多数あると言われているが、なかでも重要視されるのは魔力量と魔法使いとしての才覚である。優れた魔法使いであることは、それだけで戦になった際の防衛力になるからだ。
選定条件は様々あるが、女狂いかどうかは含まれなかったようだ。先代も、その前も、その前だって酷かった。ベルクリスタンの領主になることは、ウィリディスの女性と政略結婚をすることが含まれている。妻はもらうが尊重せず愛人をつくる、といったことが続いた。先代は特に酷く、妻を束縛し行動を制限するにも顧みず、愛人は四人いた。だが仕事はできる人だった。
ライは先代を軽蔑していた。
「こんな婚姻が続いて……ウィリディスから来てくれる花嫁殿にとって望んだものではないことは明らかです。先代の姪御さんと言うじゃないですか。どんな奴なのか、顔も知らない、そんな男に嫁ぐことになるんですよ。帰っていいと言われたら嬉しいと思いませんか」
「まぁなァ。けど、やっぱ侯爵として出たほうが良かったと思うね。側近だって嘘つくんじゃなくてさ」
「相手が侯爵だったら怖くありませんか。萎縮して本音を言えなかったりしませんか」
「それも一理あるけど、侯爵が花嫁と顔を合わすのも嫌で逃げたって設定も同じくらいショックだと思います」
ラミーの忌憚ない意見に女性陣が頷いた。
「……正直、もう、どうすればいいのか僕にも分かりません……」
「いつかはバレる。早く言ったほうがいいんじゃね? あーあと俺の調査報告するぞ。シルヴァ伯爵家や領地周辺を調べたり聞き込みしたりしてきたんだけどさぁ……リーリアちゃんは実家で冷遇されていました。ウィリディスでは未だに忌み子の風習が根強く残ってて、それが原因で蔑まれたり忌避されたり、外出も全然してなかったみたいだし、見たところ両親からの愛情も希薄。使用人ですらリーリアちゃんを侮っていたみたいで、ほぼ一人で過ごすことが多かったみたいだな。加えて上の姉三人が国内外でちやほやされてたみたいだから、その差異を感じながら育ったんだろうな」
やはり――。リーリアと過ごすうちに薄々勘づいてはいたが、調査結果として言われると改めてズシンと胸にくる。〝婚約者として城の滞在は認める〟と言ったとき、呆けた顔をして『ここにいてもいいのですか?』と言う訳である。実家の伯爵家に自分の居場所はないと感じているのだ。誰も知らない城に一人きりの方を選ぶくらい、帰りたくないと――。
「これまでの婚姻で花嫁様が不遇な目に遭ってきたことは知っていますし、結婚するのはライさん本人なので、私たちは上司の嘘にも付き合ってきましたが――そろそろ潮時ですよ。リーリア様は、侯爵との結婚がなくてもここにいると決めました。結婚するかどうかは置いといて、ライさんもちゃんと向き合うべきです。別に、結婚しろと言ってる訳じゃありません」
「……向き合うべきなのは分かってる。僕が問題なのも、分かってる」
実は僕が侯爵です――そう言ったときに嫌われるのが……軽蔑されるのが、この期に及んで怖いのだ。何度か言おうとしたことはある。なのに喉につっかえて言葉が出ない。魔法を教えているときのひたむきな顔や、少しは信頼してくれているような笑顔がもう見られないかもと思うと告白できず、毎晩積み重なっていく罪悪感に身動きがとれなくなっていく。
「あれだろ。お前、リーリアちゃんのことけっこう好きなんだろ。魔法教えるのも楽しそうにやってんじゃん」
「うるさい」
「私もそうじゃないかと思ってました」
「ラミーも黙って」
ぐずぐずしている侯爵に対し、離れたテーブルにいた誰かが言った。
「ヘタレ……」
その一言を皮切りに、ヘタレのざわめきが起きた。「ヘタレだわ」「ヘタレだ」「確かにこれこそヘタレ」など、口々に言われてライは撃沈した。ダンテは大笑いしている。
「皆には悪いけど……ちゃんと僕から言うから、もう少し待っててくれないか」
一同は大げさに溜め息をついた。
「私、これ以上はリーリア様側につきますからね」
「リーリアちゃんは怒らないだろうけど、フツーに悲しむだろうな。俺は最後までやめとけ、って忠告はしてたし、あとはお前の自業自得。まぁ頑張れ」
ラミーとダンテが一同の代弁をし、ベルクリスタン城緊急会議が終わった。歴代で一番情けない会議であった。
胡乱げな視線を背中に多数感じながら、ライはよろよろと食堂を出る。こんなことになるなんて思いもしなかった。リーリアと出会うまで、人となりを知るまで、本気でそう思っていた。
彼女を大広間で出迎えたとき、儚くて脆そうな人だと思った。こちらの世界との縁が薄そうで、それこそ精霊種の世界にすぐにでも迷い込んでしまうようだった。けれど実際のリーリアは、ひっそりとしながらも地に足がついた人だった。諦観したものを持ちながら、できる範囲で研鑽を積む人だ。しだれ柳のように優しくて、やわらかく力をいなす強さがある。
でもどこか危ない。ライはそれが心配でならない。
五階まで上がり、ライは自室の窓から外に躍り出る。下弦の月を見上げて瞼を下ろすと、体がさらさらと変化してゆく。魔力の粒子を散らして立つのは黒い獣である。犬と言うには大きいが狼でもない――大犬の精霊獣の血を引くライの、別の姿だった。本性ではないが、魔法変化とも少し違う。黒犬は空気の層を踏むように、宙を自在に駆け回った。螺旋を描くように城の外壁を走り、城の周辺、近辺の森を巡回して異常がないか調べるのはライの日課である。獣性の姿をとるのは便利だからだ。以前、リーリアが精霊種たちに取り囲まれたときに駆けつけたのもこの姿である。
黒犬の状態でリーリアを見たとき、精霊種が
リーリアのいる蓮の部屋は大きな窓がある客間だ。カーテンは勿論備え付けてあるが閉じられているのを見たことがない。森に面しているから気を抜いているのだろう。たまにぼんやり窓の外を眺めているのを見ることがある。寂しさと憧憬が混じるような彼女の表情に、勝手に見てはいけないものだと後ろめたさを覚えた。
今日も異常はなし。黒犬は窓から自室に入り、人型の姿に戻る。明日こそ懺悔しようと思いながら眠りについた。
○
白く霞んだ空に眩しい光が射し込む早朝――
「侵入者ー! ベルクリスタン領外壁の防護幕を破り、南の外周ポイント三十に墜落!」
ライの自室に設置されてある連絡用パイプベルから衛士の声が響く。飛び起きたライはパイプベルに指示を返す。
「これよりライオネルが直接向かう。全域、警戒態勢! 戦闘準備を整えて待機!」
ライはパチンと指を鳴らし、就寝着から簡素な黒の戦闘服に変わった。片腕を覆うマントには様々な魔方陣が銀で刺繍されている。窓から身を乗り出すと、迷うことなく窓枠を蹴って飛び出し、難なく地面に着地する。兵士が用意していた魔道飛行具――持ち手のない鉄砲を巨大化させたようなもの――に足を載せ、侵入者がいるというポイントに向かって飛翔した。魔法出力は最大で飛ばしているので、最後尾は白い光が炸裂し、空中には白い尾を引くような跡が残る。足場に磁場固定を行い、体前方に防衛魔法を付与しなければライ自身後ろに吹っ飛んで怪我をする速度だ。
町や田園、森を抜け、報告通り外周のポイントに倒れ伏した人影が見えた。紫色のマントや裾からのぞく黒いズボンには焦げ跡がある。ベルクリスタンの島全域にかけてある防衛魔法の幕を破ったときに負傷したと思われる。パチンと指をならして拘束魔法をかけるとすんなり縛り上げられた。ころんと仰向けにひっくり返す。薄い茶髪の男である。耳に魔法石のピアスをしているところを見るに魔法使いだろう。目の下に酷いクマが見られ、魔力切れを起こしていると思われる。
ライは周辺一帯に記憶喚起魔法をかけた。数分から数時間前にここで起こったことを映像化させる高度魔法である。どうやら彼は召喚した翼竜に乗って来たようだ。防衛幕を突入したところで力尽き、召喚契約が切れて翼竜が還り、地面から数メートル上のところから落下して気を失っている。
思うところがあり、トンと人差し指で侵入者の額に触れた。魔力の流れを見るに、少し信じられないが地上の人間だ。
「……」
城にはリーリアがいる。力ある魔法使いとしてのカンだが、彼女と無関係とは思えなかった。
ライは侵入者を肩に担ぎ、飛行具に乗って城まで飛ばした。
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