第12話 花嫁は天空へ赴く(12)
ライが右の人差し指で宙に円を二回描く。ふわりと体が浮いて白い光が炸裂し、まばゆさに目を閉じて開いたときには城の森に戻っていた。きらきらと光が散る森の景色、頭上は満天の星である。
「……夜!?」
「あちらとこちらでは時間の流れが違うんですよ。僕があちらに渡ったときにはリーリアさんが消えて一時間経っています」
あちらにいたのは十数分くらいの感覚しかない。もし一時間や二時間滞在していたらどうなっていただろうとヒヤリとする。
ライに手を引かれて歩き出す。ベルルがひょこりと姿を現し、リーリアの肩に上ってキュルルと鳴いた。心配した、と言われたようだった。
「ライさん、あの、手……」
手を繋がなくても大丈夫だと存外に伝えたつもりだが、ライはぎゅっと強く手を握った。
「日没後なので精霊種が活発です。あなたは金色持ちで、しかもさっきあちら側が協定を破ってまで拐かされたんです、目が離せません」
「すいません……」
「? リーリアさんが何故謝るんですか? 精霊種に好かれやすいのは祝福でもあるのに」
「祝福? ベルクリスタンでは金色の瞳は祝福なのですか?」
「はい。……まさか、本当に地上の国では未だに」
「リーリアさまぁぁぁぁぁぁ!」
ライの言葉は途中で強制的に途切れた。リーリアが横から誰かに抱きつかれたのである。
「無事で良かったぁぁぁ連れ去られたら、どうしようかとっ思った……っ! ごめんなさい、酷いこと言って、そういうつもりじゃなかったの……!」
「ラミーさん……。私こそお友達との会話を聞いてしまってごめんなさい。それにラミーさんは何も悪いことなんて言ってませんし、私が動揺してあんな風に逃げたのが誤解を招きました。……私が他人行儀なのはその通りだと、私自身も思います」
「わっ……私は、リーリア様ともっと仲良くしたいんです……」
「私も仲良くなりたい。でも、どうすればいいか分からないんです」
ぎゅうぎゅうとラミーに抱きしめられ、リーリアはおずおずと手を回して抱きしめ返した。なんだか涙が出そうになった。とん、肩に誰かの手が置かれる。振り向くと、いつもと変わらず大らかな笑みを浮かべるダンテだった。
「仲良くなったところでさ、積もる話は晩飯食いながらにしよーぜぇ。森のなかに落ちてた紙袋のこれ、リーリアちゃんが作ったクッキーだろ? 俺食べてみたい」
「ダンテさん。……ただいまです」
「おかえりリーリアちゃん」
夜の食堂は賑わっていた。リーリアたちが来ると皆が「おかえりなさい」と言ってくれ、少し恥ずかしく思いながら「ただいま」と返していった。心配してくれていたのだ。
「まず聞きたいことがあるんですが。リーリアさんのその瞳、地上の国では祝福とは言われないのですか?」
「はい。ここでは祝福なんですね……びっくりしました」
「もしかしてとは思ってたけど、忌み子ってやつ未だに続いてんの?」
ライとダンテが顔をしかめる。ラミーは何も知らないようできょとんとしている。
「はい、忌み子です。忌避される存在です。魔物や精霊に魅入られやすく、周囲に天災が降りかかると言われていて、本当に災いが起きやすいのも事実です。だから私は滅多に外に出ず、社交も必要最低限で育ちました。私には未婚の姉が三人いますが、侯爵様に嫁ぐよう言われたのは私です。……そういう、ことです」
厄介払い、なのである。ここ最近の政略結婚が褒められたものではないことは皆が知っている。国内で嫁がせるには難しい境遇のリーリアを天空に押しつけたと言ってもよかった。
ライが深いため息をつく。
「まさか未だにそう言われているとは。精霊の愛し子に酷い扱いをするのだから、災いが起こっても自業自得ですよ。天空では祝福です。良いことが起こりやすい。ただ――さっき拐かされそうになったように、あちら側の世界に連れ去られる場合もあるので警戒はしないといけません。特に、ここから消えてしまいたい、なんて願うとすぐ引き込まれます」
「そーそー。肩の力抜いてさ、もっと楽していこうぜリーリアちゃん。それに、リーリアちゃんが消えたって分かったときのライの顔! 見せてやりたかったな~。いっつも『僕は冷静沈着デスー』みたいな能面貼り付けててさぁ、本気で焦ったときはああなるのなぁ」
「うるさい」
「私もビックリしました~ライさんって必死になれるんだなぁって」
「少し黙りましょうかラミー」
早口で言うライの顔に赤みがさしている。
(ライさんが、照れている!)
三人が優しくて、仲が良さそうで、一緒にいる自分も楽しくなって、リーリアは笑った。一度笑い出すと止まらなかった。精霊の世界から戻って来られた安堵感もあって涙さえ滲んでくる。珍しく食堂まで一緒に来てくれたベルルがびっくりしたらしく、涙をぺろりと舐め取ってくれた。
「ねぇリーリア様、今の侯爵様は――その、ここ数代の侯爵とは違ってて、女癖が悪いとかじゃないんです。ちょっと融通がきかなくて色恋沙汰に疎くて、あとどうしようもない部分もあるんですけど悪い人はないんですよ」
ラミーはライとダンテをちらちら見ながら喋った。
「でもたぶん、リーリア様には親切にすると思うし、我が儘も聞いてくれると思うの――だから、誰かと恋をしたらいいのでは? って思うんです、私!」
ラミーは席を立ち、食堂全域に聞こえるよう声を張り上げて宣言した。ライは急に噎せて咳き込み、ダンテは大笑いし、食堂にいた皆は歓声を上げた。「いいぞラミー!」「私も賛成~!」「侯爵様なんてほっといて自由にいこうぜリーリアちゃん!」などである。ひとしきり笑ったダンテも賛成した。ライだけは仏頂面である。
「どうしょうでしょうか、リーリア様」
ラミーは決してふざけておらず、真剣である。
「わた……わたしが、恋……?」
リーリアは頭が真っ白になった。仮にも侯爵の婚約者であった自分がここで誰かと恋をするなんて――。それに、侯爵の留守中にこんな話題で盛り上がってもいいのだろうか。一応皆は部下であるはずだ。食堂はいまや宴会になりつつあり、酒がテーブルに運ばれていく。
侯爵とは一体どんな存在なのだろう……。
困惑するリーリアを見て、ライが騒ぎをおさめた。
「はい、皆、騒ぐのはそれまで。すみません、リーリアさん」
「じゃあライさんはどう思うんですか」
食い下がったのはラミーである。険のある表情でじぃっとライを見つめている。
「……リーリアさんの自由にしたらいいと、思います。婚約を一方的に無いことにしたのは侯爵ですから」
温度のない声で静かに言ったのを、ダンテはニヤリと笑っていた。
「俺もそれがいいと思う。侯爵は今もこうやって逃げてるし? 好き勝手やろうねリーリアちゃん。さーてライの賛同も得たし、手作りクッキー頂こうぜ」
ざらららら、とダンテは紙袋からクッキーを皿に移した。走ったり落としたりしたせいで形は崩れている。やや無惨な姿に、リーリアは思わず「あ……」と口に出した。するとライとダンテがすぐさまクッキーを口に入れる。二人とも「美味しい」と言った後ぴたりと動きを止め、不可解そうにして互いの顔を見合わせる。
「あの……リーリアさん、これ何か入れました? あそこに用意していた材料だけですか?」
「はいそうです。……クッキー、失敗していましたか?」
「いえいえ、クッキー自体は美味しいです。ただ普通じゃない事態が発生しておりまして」
悩ましげに眉を寄せるライにリーリアは不安になった。その横でラミーがぱくりとクッキーを口にし、頬に両手を当ててふるりと体を揺らす。
「んん! 魔力が回復してる感じがする!」
「そーゆーこと。ライは物騒な感じに言い過ぎだから。リーリアちゃん脅えてんじゃん」
「別にそういうつもりは……。厨房に用意してある材料には、魔力に作用するものがないはずなんですよ。だから驚いて」
リーリアの作ったクッキーが、どうやら魔力を回復する効力を持っているらしい。周りにいた他の同僚たちもひょいと摘まんでいき、「本当だ!」「じわ~ってくるわ。あのマズイ回復薬と同じ感じ」など感想が飛び交っている。
「よければ明日、作っているところを見たいのですが、いいですか?」
これは緊張することになる、と思いつつリーリアは頷いた。
翌日、話していたとおりリーリアはライと厨房にいた。昨日と全く同じ手順で作ってくださいと言われたが、一つ引っかかるのがおまじないの手順である。
「ま……全く同じように、ですよね?」
はい、と真剣な目で言われたのでやるしかない。んん、と喉を鳴らしてリーリアは歌い出した。
「♪きょうはなんのひ? わたしはごきげん。あなたのためにお菓子をつくるわ。できあがったら食べてくださる? きっとおいしくできるから。わたしの愛をこめるから」
最終工程のときに歌うおまじないである。あとは焼けば完成だ。
恥ずかしくて顔が熱い。ちらりとライを横目で見ると、驚いたように目をぱちくりとさせていた。
焼き上がったクッキーはそのまま厨房で食べた。ライは大きく頷く。リーリアには分からないが、魔力を回復する作用は確かにあるらしい。
「魔力が何から湧いてくるものか知っていますか? 皆、魔力を入れる桶を持っていると考えてくださいね。人それぞれ桶の大きさは違いますが、そこに注ぐ水のような魔力は、体力と精神力、そしてたまに気力、で作られます。心身の健康が大事なんですね。魔力回復薬は体力と精神力と、その循環機能を向上させる働きがある薬草を使います。リーリアさんが作ったクッキーにはその薬草が入っていないのに、同じ効能があります。おそらく……さっき可愛らしい歌を歌っていたでしょう、あれが原因です」
「絵本で読んだことがある歌で、メロディーは適当なんです……いつの間にか歌うのが癖になってて」
「歌そのものに力があるのでなく、リーリアさんが歌うことが重要なんですよ。気付いてないようですが、魔法を使っていましたよ。以前魔力の流れをみたときに思ってはいたんですが、リーリアさんは治癒系統に特化しているのでしょう。だから魔力があっても見出されずにいた」
「えっ? 一応、幼い頃に検査やテストはしましたが、魔力は少なく扱えないと言われました。少ないが故、系統も分からないと」
姉たちは魔力が多く、それゆえ魔法の教師もついていた。リーリアにはその必要がなかったため魔法の勉強はしたことがない。
「魔力は量も大切ですが、質や種類も重要ですよ。地上では、治癒系魔力は見出されにくいのでしょうね」
リーリアは呆然とした。自分がクッキーを食べてみても魔力回復の実感はないのである。しかしそういえば、ベルルはリーリアの手作り菓子をいたく気に入ってくれていたと思い出す。
「ね? 魔法の素養があるどころか、もう自己流で使ってるじゃないですか。治癒系は本人の気質によるものが大きいので重宝されていますよ。魔力回復薬なんて不味いのばっかですから、リーリアさんのクッキーは取り合いになりますね」
「私のクッキー、喜ばれますか?」
それはもちろん、とライが頷くので、リーリアは少し勇気を出した。
「専門職の方がいるのに厚かましいですが、私が作ったお菓子類、どこかに置いてもらうことは可能ですか? 食堂のカウンターに置いてあるようなかたちで、自由にお取りくださいというような」
ふむ、とライは考える仕草をしたあと、にやりと笑った。
「でしたら注意書きが必要になりますね。一人一日二個まで、とか。ちなみに僕の分は別に取り置いてもらえますか?」
「……はい!」
「皆には内緒ですよ。それと――よければ、毎日少しずつ魔法の勉強をしませんか? 指導者は僕になっちゃいますけど。折角の素養、生かさないのはもったいないです。あの、仕事の邪魔になるとかは考えないでくださいね。僕が好きでやりたいと思ってるんですから」
ライは照れ隠しのように頬をかいた。
翌日から、食堂のカウンターの片隅には『リーリアのクッキー。お一人二つまで』という札のついた籠が登場した。たちまち人気になり、すぐに無くなってしまうため、食堂スタッフ側が時間を分けて置いてくれている。
昼食後はライが魔法を教えてくれる。日によって数十分から一時間とまちまちだが、リーリアにとって特別な時間になった。ライの教え方は上手だし、二人で話すことはとても――楽しかった。
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