第9話 花嫁は天空へ赴く(9)

 おだやかな空気の漂う食堂内をぼんやり眺めていると、目の前に小さめのバスケットがそっと置かれた。飴色の艶が出始めた藤のバスケットである。


「お待たせしました。水筒には口当たりの良いブレンドハーブティーを淹れました。また感想を聞かせてください。それと、クッキーとパウンドケーキを二種入れています。日持ちするので今日食べなくてもお部屋に持って帰って、お腹が空いたときにつまんでくれると嬉しいです」

「ありがとうございます。お菓子好きなんです!」

「へへ、良かったです。あと……ここのご飯はお口にあいますか? 食べられないものや苦手なものがあれば遠慮無く言ってください。こっちの土地でしか出ないものもあるでしょうから」


 裏表のない彼の朗らかな笑みを見て、リーリアもつられるように微笑んだ。


「とても美味しくいただいています。ここでしか食べられないものも楽しみです」

「……ぼく、アルフっていいます。食べ物のことでご要望がありましたら、何なりと言ってください。まだまだ半人前ですが連絡係くらいはできますので!」

「ふふ。お気遣いありがとうございますアルフさん。食べたいものがでてきたらお願いすることにしますね」


 お互いぺこりと礼をしあい、アルフに手を振られて図書室に戻った。まずリーリアが探したのは地理学の本である。ベルクリスタンの地形と特色、特産品、トルクルス国の島々がどのようになっているか――ウィリディスにある情報は少ないのだ。


(ライさんが図書室を教えてくれて本当に良かった。自由に調べ物もできるように……って考えてくれたのかな。きっとそう)


 目を惹いたものを三冊ほど取って机に移動し、さっそくハーブティーを準備した。爽やかな匂いが鼻腔をくすぐり、飲むと頭がしゃんとするような味がする。

 地図本と、土地に関する特色や歴史の本を机に広げる。


(ベルクリスタン領の正門広場――昨日私がまず着いた広場はたぶんここ。そしてこの森を抜けて、町を飛んで……あった、ここがお城)


 城の南側にある森は南東方面に広がっている。地図上でもなかなかに広い森だ。


 ――古来、精霊種が多く住まう森であり、大気中の魔力が多く、また変則的に漂っている。ある区分から指定禁足地になっている――


(指定禁足地?)


 ――指定禁足地:踏み入るには許可と届け出が必要。


(なるほど。柵の向こうには行かないように、というのは指定禁足地だからなのね)


 そうやって読んでいくうちに、窓の外が夕陽の色に染まってきた。西日は入らず部屋全体が暗くなっていく。リーリアは机の上にあるランタンと壁面にあるランタンの灯りをいくつか点け、読書に戻った。


 一度集中すると時間を忘れがちになる。なので、外がすっかり暗くなっても気がつかなかった。




「リーリア様!」

「はいっ」


 すぐ近くで発せられた大声に、ビクッと驚いて背筋が伸びる。横を向くと眉を下げたラミーとライがいた。


「……えっ」

「ラミーがお部屋に夕食を持っていったところ、リーリアさんがいらっしゃらなかったので心配になって探しに来たんです。もしかして図書室で夢中になっているのではと思って。当たりでしたね」


 ライは可笑しそうにクスリと笑った。はっと時計を見るともう十九時である。


「もうこんな時間」


 時間が分かると急にお腹が減ってきた。


「迷子になったんじゃないか心配しました」

「ごめんなさい、お食事も持ってきてくれたのに。お仕事増やしてしまいましたよね。心配してくれて、ありがとうございます」

「仕事が増えるのは歓迎なんですよ! 呼び出しのベルもちゃんと使ってくださいね。大事なお客様ですもの、精一杯お世話したいです」

「あっ……はい、ありがとうございます」


 ラミーは無邪気に笑っている。心からリーリアの世話をやきたいのだと言ってくれるのは嬉しい。けれど、リーリアの心の水槽に一滴のインクが落ちた。


(〝お客様〟……という言葉に引っかかってしまうのは、贅沢すぎる)


 リーリアの心情がわずかに翳ったのが伝わったのだろうか。ライの顔が渋くなる。


「ラミー、リーリアさんはお客じゃない」

「ええ、……あっ! その、違、そういう意味じゃなくて、リーリア様、その」

「大丈夫です、分かってます。大丈夫です」


 失言をしたと焦るラミーにリーリアはおっとり微笑んだ。気にしていませんよ、と伝わるように丁寧に顔の筋肉を動かす。本当は心がひんやりしている。意図的に言ったものではないのだろう。だったら尚更〝いずれ帰る客〟として思っているのでは――と邪推してしまいそうになる。悪い癖だとは分かっているが、止められない。


(こんな自分が嫌だ)


 ラミーは明るくて裏表がない。日向の下で笑っているのが似合う彼女のことをリーリアは好ましく思っている。

 蓮の部屋まで共に歩いたが、どこか重たい空気を振り払えない。


「ラミーさん、私、明日から食堂で朝ご飯を食べようと思ってるんです。もしよければ……ご一緒できませんか?」


 恐る恐る言うと、ラミーは嬉しそうにリーリアの両手を掴んだ。ぶんぶんと上下に振られ、テンションの上がりようが伝わってくる。


「もちろんです! お迎えにあがりますので、待っていてくださいね!」





 それから数日経った。ラミーと一緒に朝食を食べてから、森や城周辺を散策し、午後は図書室で過ごした。外に出るとほぼ必ずベルルが会いに来てくれる。ここの森は気持ちが良い。ウサギや人なつっこい鳥に出会うこともあるが、初めのときのように群がられることもなかった。あの黒い犬のおかげのような気がしている。また彼に会えるだろうか。


 午はライとダンテと昼食を摂る。生活に問題や支障はないかまず確認され、リーリアはいつも「大丈夫です」と返す。そろそろ蛍椿の花が咲きそうだとか、街では最近ティラミスが流行っているのだとか、そういう雑談を二人がしてくれる。

 蛍椿というのはベルクリスタンにしかない花らしく、陽が落ちたあとに花が開き、本来の白い花弁は魔力に満ちて青白く光るのだそうだ。城の前庭にもあるらしく、「咲いたら見に行きますか?」と誘ってくれた。日没後なので前庭と言えど一人で外出しないよう付け加えられる。


「分かりました。その、日没後は城のまわりでも危ないのですか?」

「陽が落ちると人間の時間でなくなり、精霊種の時間になります。大気の魔力濃度も濃くなっていく。リーリアさんはここに来て浅いですし、用心に越したことはないです」

「そぉ。リーリアちゃんは金色持ちだしねぇ」

「この瞳のことですか?」


 ウィリディスでは忌み子と言われるそれである。


「そうです。トルクルスでも、金の虹彩を持った瞳を持って生まれてくるのは珍しいのですよ。地上よりも多いですけど」

「そうなんですか。……ここでは《金色持ち》って言うのですね」

「そだよ。……そーいやウィリディスでは――」


 ダンテが言葉を切った。ライとダンテが部下に呼ばれたからである。


「すみません、もう行きますね」

「またねぇリーリアちゃん」

「はい、明日もよろしくお願いします」


 軽く会釈をしていくライと、陽気に手を振るダンテを見送り、リーリアは少しほっとしていた。二人の声音からは、ベルクリスタンで《金色持ち》が忌まれているとは感じられない。ウィリディスでは《忌み子》と呼ばれていることを、二人が知っているのか定かでないが、言うのに躊躇う気持ちもあった。


「リーリアさん、暗い顔してるけど大丈夫?」

「あっ、いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 通りすがりの衛士の一人が声をかけてくれ、リーリアは慌てて顔を上げた。それじゃあね、と小さく振ってくれた手にリーリアも同じく振り返す。城の皆は気さくで優しい。

 リーリアはカウンターに行って藤のバスケットを渡し、いつも準備をお願いした。


「今日のクッキーはぼくが焼いたんですよ。いつもより生地がしっとりしています。感想お待ちしていますね」

「わ、楽しみです。いつもありがとうございます」


 日課の図書室通いはベルクリスタンの歴史や偉人、音楽や芸術について勉強中である。大使としている以上、知識は詰め込むべきだ。それに、知っていくことは楽しい。今日は蛍椿の花のことが気になったので植物図鑑を紐解くことにする。


(へぇ……魔力を保持する植物の欄がある)


 ウィリディスと同じところもあれば全く違うところもあった。蛍椿のように、魔力が深く関わるものも多くある。魔力濃度はゼロから百で表され、生育環境に大きく影響しているようだ。


(ウィリディスや地上の地の大気って、魔力濃度はいくらぐらいなのかな)


 そもそも魔力濃度という言葉がなかなか使われない。職業が《魔法使い》の者たちは知っているだろうが。


(そういえば、魔法使いの弟子のあの子にちゃんと手紙は届いたかなぁ。元気にやっているかな)


 蛍椿の花は魔力濃度が七十ないと咲かないと書かれている。ここは濃度がかなり高い地であるらしい。南東に広がる森も要因だろう。花冠は花弁が二重で、掌に収まる小ぶりな花が沢山つく低木である。

 ベルクリスタンとウィリディスは似ているところも多いが、魔力や魔法がすぐ傍にあることがここでは普通である。根本的なところがまるで違うので、別世界に来ている気持ちになることもある。


(本はいくら読んでも足りないな)


 勉強の合間に、冒険小説や恋愛小説も楽しんでいる。美味しい茶と菓子をつまみ、好きなだけ本を読めるというのはリーリアにとって楽園に等しかった。


(こんなに至れり尽くせりしてもらって大丈夫なのかな)


 リーリアはベルクリスタン城の生活に穏やかに馴染んでいった。



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