第8話 花嫁は天空へ赴く(8)

「多くはないですけど、多少の魔法は扱えそうですよ。指導者に問題があったん……じゃ……」


 目を開けたライが口ごもった。彼の白皙の頬にわずかな朱がさしていく。


「すみ、すみません……男の人との接触に慣れていなくて……すみませ……」


 自分でも分かるくらい、リーリアの頬は火照って熱かったのだ。ライには真っ赤に染まっているのがよく見えているだろう。それを思うとなおさら恥ずかしくなり、涙すら滲んでくる。


「いえ! 僕のほうこそ、すみません」


 ライはリーリアの手をそっと離した。

 二人の間に、走り出したくなるような焦れったい沈黙が落ちる。

(なにこれ耐えられない……!)


「もうちょっと奥、行ってもいいですか?」

「はい、行きましょう」


 リーリアは逃げるように早足で歩いた。しばらく行くと階段があり、一階と二階に分かれている。


「一階には郷戸資料と、とりあえず詰め込まれる雑多場所となってしまいました。二階の方は小説ですね」


 階段の木材の色は暗く艶があった。今は誰もいないからか、階段を踏むとトントンと足音が響く。厳かさもあった一階の空気とは変わり、二階は団欒のような柔らかい雰囲気があった。丸いテーブルや一眠りできそうな広いソファ、安楽椅子によるものかもしれない。


「素敵です」

「はい。僕も好きです。この図書室にはいつだって入って大丈夫ですからね。蓮の部屋からは遠いですが」

「ありがとうございます……!」

「僕はもう戻りますが、リーリアさんはこのままここにいらっしゃいますか?」


 リーリアが勢いよく頷くと、ライは柔らかく笑った。


「食堂は朝から夜までずっと解放されていて、飲み物や日持ちする菓子類は常時おいてあります。誰かは奥にいますので声をかけてくれたらいいですよ。水筒やバスケットも用意してくれます。この城で働いている者も皆そうやって利用している場所なので、リーリアさんも遠慮なんてしないでくださいね」

「はい。いつも対応してくれるなんてすごいですね」

「食堂側もその方が楽だそうですよ。ではまた、何かあったら呼んでください。誰かに言付けるのもよし、今の時期はだいたい執務室にいます。今日一緒にお話した部屋ですね。それと――あの横の部屋は侯爵の執務室になっています。中で繋がってもいます。僕たちは訓練場にいることも多いですが、また今度ご案内しますね」

「はい。よろしくお願いします」

「それでは。しばらくは何も考えないで、休暇旅行に来た気分で寛いでください。少しずつでいいから……この地に慣れて、好きになってほしいと思っています。そもそも侯爵が勝手を言っているのだから、リーリアさんも勝手をしていいのです」


 ライは眉を下げて微笑む。その瞬間、喘ぐような苦しみが見えた気がした。こぼれた紅茶が白い布にじんわり滲んでいくような、よく分からない違和感をリーリアは抱いた。



 ライが仕事に戻り、リーリアはだだっ広い図書室に一人きりとなった。おおよそ数え切れない数多の本は静かに眠り、来客を見守っている。深い深い森の底にいるような心地がした。

 リーリアは背表紙を眺めながら、幸せな気分で本棚の間を歩いた。実家にいたころは本ばかり読んでいた。自室以外に心安まる場所が、裏庭の庭園か小さな図書室しかなかったこともある。そこで手に取った小説がきっかけで読書が好きになったのだ。

少女が切磋琢磨し、時には傷つきながら前を向いて進む冒険もの――それからたくさんの小説を読み、文字を追うことに慣れてからは、歴史や哲学書にも手をのばす。姉たちと違って何の予定もないリーリアは余りある時間を本に費やした。料理本の菓子が美味しそうで作ってみると、本のとおりにすれば自分にも作れることに感動し、菓子作りも好きになった。


(両親や姉様たちはどうしているだろう。私がいなくなって……そうね、何も変わらない)


 厄介者がいなくなって清清しているのかも――と考えてから自嘲する。そこまでリーリアに興味もないかもしれない。

 実家のことを思うと、寂しいとは少し違う寂寥感が胸を占めた。情が全くなかった訳ではない。姉たちがリーリアに向ける目は蔑みと哀れみと無関心、母の目には悲しみと憎しみが複雑に入り交じった上に恐れがあった。父からは失望と奇異なものを見る目。そして、皆一様にわずかばかりの同情心を。


 あからさまな虐げを受けたことはない。社交に出ること、勝手に街に出ることを禁じられてはいたが、それは行った先々で受けるかもしれないリーリアへの迫害を考慮している部分もある。勿論、シルヴァ家への風評被害が大きいことは分かっている。

舞踏会など社交用のドレスや装飾品を仕立てることは殆どなかったが、他は姉たちと同様に育ってきた。伯爵家の娘としての教育も家庭教師からきちんとは受けている。先生は忌み子に対して脅えるタイプの人間だったので、リーリアが大人しくしていれば問題も起きなかった。


(もう少し、仲良くしたかったな……というのは今更だ。この城を追い出される可能性もまだあるけれど、あの家に戻るつもりはないのだから)


 ベルクリスタンで自立する道はないか、リーリアはひっそり考えている。ライやダンテに大丈夫だと言われても、考えておくにこしたことはない。


(まず体力と常識がいる)


 リーリアは創世伝説や民話集の本を探した。惹かれた二冊を手に取り、窓際にある布張りの椅子に座る。


 ――かつて人はそれぞれ翼を持ち、天空の地と地上の地を自由に行き交って暮らしていた。ある日、とある男女が禁じられた果実を食したことで怒りを買い、天から稲妻が落ちた。そのとき地上にいたものは翼を失い、天空にいたものは片翼がもがれた。《憤怒の日》である。そこから人々は分かたれ、それぞれの地で発展を遂げていく――


(へぇ……)


 ウィリディスに伝わる創世伝説も同じである。天空の地では魔法の力が強く残って発展し、地上の地ではその広い大地に人々が散らばり人口がかなり増えた。そして長い年月を経て、今の地上の地にはいくつもの国が、天空の地はそれぞれの島を統括してトルクルスという国になった――と言われている。


 創世伝説の続きもウィリディスで読んだことのあるものと殆ど同じであった。子ども向けの民話集もぱらぱらと読んだ。似たようなものもあれば、全然違うものもある。精霊が関わってくるものが多いという印象だった。


 本を戻し、一度図書室を出る。食堂で水筒をもらおうと思ったのだ。図書室は食堂と同じく西側の棟にある。古く歴史のある城で増改築を繰り返していることもあって、複雑に入り組んでいるところもある。覚えるのに一苦労しそうだ。


 食堂は遅めの昼食をとっている人がまばらにいた。リーリアが一人で入ってもあまり注目されない。先程はライとダンテのツートップが揃ったため視線を集めたのだろう。そもそもリーリア自身は地味であったと思い直した。


「すみません、水筒をもらえると聞いたのですが、今大丈夫でしょうか?」


 カウンターにいるクックコートの男性に声をかける。顔を上げた彼はあどけない顔立ちをしていた。リーリアを認めると、ぱっと笑う。


「リーリア様ですね? はじめまして。もちろん大丈夫ですよ。お茶と紅茶とハーブティーと、お好きなものはありますか?」

「じゃあ……ハーブティーをお願いしても?」

「はい! おかけになってお待ちくださいね」


 カウンター近くの椅子に腰掛けて待つ。木製のテーブルは分厚く頑丈で、傷やへこみが幾つもあった。相当年季の入ったものだろうが、大事に使われているのが分かる。それはベルクリスタンの城全体に感じるものだった。


(この城の雰囲気は、好き)


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