第7話 花嫁は天空へ赴く(7)
「……それで、ええと。リーリアさんには〝ウィリディスからの花嫁〟という肩書きよりも、〝ウィリディスからの友好大使〟としていてもらおうかと、ダンテと話したのです。どうですか?」
「そ。そっちの方がリーリアちゃんの気も楽かな、って。不在の侯爵の許嫁よりもさ」
「……はい! ありがとうございます!」
リーリアの笑顔が弾けた。二人の心遣いも、花嫁として以外の名前をくれたことも嬉しかった。ライもダンテも、ほぼ初対面にも関わらずリーリアのことをよく分かっている。リーリアによって何が良いか、考えてくれたのだ。
「――朝露に濡れた鈴蘭」
ライがぽそりと呟き、リーリアは首を傾げたが、彼は誰に聞かせるつもりもなかったらしい。
「その、リーリアさんと話していて思ったのですが、何か仕事があった方が気が楽ですか?」
「そのとおりです!」
「やはりそうですか。気にしなくていいのに、勤勉な方ですね」
「リーリアちゃん、まっじめ~」
勤勉でも真面目でもない。ただ自分に自信がなく、ここに居てもいい理由を欲しているだけだ。それを言えないことに卑怯さを感じている。
(たぶん二人にはお見通しだろうな)
「リーリアさんが望むのなら、それはまた後日に決めましょう。当分はここでの生活に慣れることに専念しませんか? 特に難しいことは考えないで、城の複雑な内部を覚えたり、近辺を散策したり、街に出るのもいいですね。そうだ、お好きなことや趣味はありますか?」
そんなに気負わなくていいのだと言ってくれている。昨日までの印象と違い、ライは優しかった。
(歓迎されていない、嫌われているかも、だなんて――私が疑心暗鬼過ぎたんだ。分かりにくいだけで、この人はたぶんとても優しい)
自分の短慮にチクリと心を刺される。
「私、実家では本ばかり読んでいて、読書が好きです。それと、お菓子を作ることも好きです。趣味、かな? あと、ベルクリスタンの自然はとてもきれい……ここの森もすごく好きです。散策してみたいです」
「僕も読書が好きですよ。この城には初代からずっとある図書室があるのであとでご案内しますね。きっと気に入ります」
「本の虫だもんなぁライは」
これだけ立派な城なのだ、どんな図書室なのだろう。
「俺、リーリアちゃんの作ったお菓子食べたい」
「ダンテにあげるかどうかはおいといて、今は東棟の厨房が空いてます。そこをリーリアさんがお菓子作りに使えるようにしましょう」
「えっ!? わざわざそんな」
「リーリアさんが健やかに暮らせるよう調えるのが直近のやるべきことです。今は使っていませんし、誰かが使った方が厨房も嬉しいと思いますよ」
「そぉそぉ。作ったら俺にお菓子ちょーだいね。楽しみだな~」
「材料も揃えておきますね。これといったものがあったら教えて欲しいんですけど、なければ城のパティシェに聞いて適当に見繕っておきます」
立て板に水である。リーリアが口を挟むすきもなく、ぱちぱちと瞬いている間に決まった。
「ありがとうございます。本当に……ありがとうございます」
「よければこれから一緒に昼食にしませんか? 僕たちはいつも西側にある食堂で食べています。城で働いている者は、時間は違えど皆そこで食べているかな。リーリアさんにお持ちしている食事もそこで作っているものです」
「いいじゃん、一緒に食べよ~」
リーリアは「はい」と微笑んだ。
○
城の一階に下り西側へ進むと、廊下に敷かれた絨毯は苔色に変わった。壁には町や農家、大衆食堂での賑やかな場面を描いた絵画が飾られている。眺めると思わず顔がほころぶような、あたたかみのある絵だ。
しばらく行くとスプーンとフォークの食器を描いた看板が見えた。扉は広く両開きである。
「ここが食堂です」
中は広々としていて、百人はゆったり席につけるだろう。今現在いるのは男女合わせて二十人程だ。
「奥に料理が置いてあるから好きな分取っていくんだぜ。ほら、いこう」
食堂に入るとリーリアたちは注目を浴びた。悪意的なものは感じないが好奇心がたっぷりである。
――あれがウィリディスからきた花嫁か。
リーリアは心臓がひやりとした。
「みんなリーリアちゃんに興味津々じゃん」
「すみませんリーリアさん、不躾な視線を」
「マ、それもこれも侯爵のせいもあると思うけどねぇ俺は」
ライはダンテをちろりと見たあと、食堂全体を順繰りに見渡した。何故か、こちらを見ていた皆の顔がサァッと青ざめ、視線を外していく。
「オォ怖」
「皆悪気はないんです。怖がらないでくださいねリーリアさん」
ニコリと微笑むライに、リーリアは二度三度頷いた。
それぞれトレーに昼食を取っていく。リーリアはサンドイッチを三種と、旬野菜のポタージュ。ライとダンテは肉料理にパスタ、そこに揚げ物を多数トッピングしていた。よく食べるのだなと感心する。
「それだけで足りるの?」
「はい。なかなかボリュームもありますし、私には十分です」
「デザートもありますよ。食べられそうならあとで取りに行きましょう」
「は、はい」
リーリアの左隣にライが、机の角を挟んで右にダンテが座った。二人とも上品にかつ速いスピードで食べていく。ライがデザートにゼリーも持ってきてくれ、それを食べながら気になっていたことを聞いた。
「私が侯爵様と婚姻を結ばないこと、ええと……拒絶されたこと、もう城の皆さんはご存じなのですよね?」
「……うん。昨日、俺たちで全員に伝えた」
「勿論、リーリアさんに非が全くないことは説明しております」
「皆さん、優しいですよね。今朝ネーシャさんもよくしてくださいました」
「そうですか」
ネシャルヒトのことやラミー、ライやダンテの気遣いを思い、リーリアはふふふと笑みを零す。この城は優しい人が多い。ウィリディスからやって来た少女に対する優しさでもあるし、たぶん誰に対しても優しいのだと思う。
「これからは私もここで食事を摂っていいのでしょうか」
「リーリアちゃんがいいならいいんじゃね? しばらくは誰かと一緒に来てくれた方がいいなぁとは思うけど」
「朝はラミーと一緒にどうですか? 昼は僕たちのどちらかと摂りましょう。夜は時間帯にもよるんですが、ガチャガチャしてるんですよね、酒が入っていることもあるし……」
「ライは心配性だねぇ。マァ、夜は俺もライも食堂には行かず執務室で食ってることが多いな。リーリアちゃんも夜は自室でゆっくり食べる方がいいかも、ここに慣れるまでは」
「はい、そうします。朝についてはラミーさんにあとで聞いてみます。お昼は……よろしくお願いします」
「正午のころ、お部屋にいてください。僕たちのどちらかが迎えに行きます」
「出かける用があったら伝言か書き置きしてくれたらダイジョーブだから。ゆるくいこーね」
「……はい!」
食堂を出て、ダンテは訓練に行くと言って別れ、リーリアはライに連れられて図書室へ向かった。
「舞踏場の近くにも小休憩や社交用に図書室はありますが規模は小さいです。あちらは来賓向けで、こっちは内輪の――歴代の領主が集めてきたものがおいてあります。きっと気に入りますよ」
どうぞ、と案内された木製の扉には葉っぱのレリーフが彫ってあった。本や宝石を蔦の葉が絡め取っている模様であり、ほかの扉に比べて凝っている。開くのになかなかの重みがあった。
「う、わぁ……」
扉の向こうは、むせ返るような本の質量感でいっぱいであった。造りのしっかりした本棚が並び、ずうっと向こうの奥まで空間が続いていく。天井も高く、一階と二階の空間をぶち抜いて造っているようだ。明かり取りの小窓は不規則に嵌め込まれている。天井近くにある小窓はステンドグラスになっていて洒落ている。
「ふふ、良い反応をありがとうございます。手前は地学と歴史書が集められています。分類わけは一応していたんですが、奥に行けば行くほど雑多になっていますね……。リーリアさんはどんな本が好きですか? 小説もたくさんありますよ。冒険ものや歴史もの、推理ものやロマンスなど。歴代の奥方様が集めていたという女性雑誌も残っています」
「わー……」
夢心地な感嘆の声を上げ、リーリアはふらふらと奥へ進んだ。ライがその後ろをゆっくりとついてくる。
本棚の合間や窓際など、ところどころに椅子や机が置かれている。昨夜、部屋に持ってきてくれていたようなランプが至るところにあり、一人がけのソファの傍には吊り下げ式のランプがぶら下がっていた。本棚の側面にも同じランプが設置されている。
リーリアがじっと見ているとライが説明してくれた。
「ああ、ここのランプは魔法式の特注なので安全ですよ。燃え移ることはありません。というか城の灯りは全て魔法式のものですね」
「やっぱり普通の炎じゃなかったんですね」
「もしや、灯し方は知りませんか?」
リーリアが肯定すると、ライが近くにあった六角形の手提げランプを取った。部屋にあるものと同じである。
「下の板にあるこの石に魔力を貯めていまして、この角度からガラス球体の底面に向かって息を吹きかけると……」
底板に親指の先くらいの石が嵌め込まれており、深いアメジスト色をしていた。ライがふぅっと息を吹きかけると、ガラス球体の中央に揺らめく炎が現れる。
「こう、灯りがつきます。もう一度同じように吹きかけてみてください」
ライがしていたようにリーリアも息を吹きかけた。上からライに見つめられているのが分かるので、気恥ずかしさもあったが表情に出さないように堪える。こんな風に、男の人と近くで話したりするのは限りなく経験が少ないのだ。舞踏会も社交界デビューのその年の一回だけである。それもほとんど参加していないようなものだった。
「ね、これで消えます」
「す、すごいですね……」
魔法式ランプに感動しながら、その実リーリアの胸がどきどきしていたのはライとの接近のせいだった。
「あの、それじゃあこの部屋の灯りを全部つけるには、全部にフゥッとしなきゃいけないんですか?」
「いえ、壁面や本棚の側面にあるランプは一度に点けられるスイッチがあります。あともう一つのやり方は――」
ライはリーリアを見つめながら楽しげに笑った。今まで見たなかで一番何の飾りもないような、屈託のない微笑みは、彼の本質を垣間見た気持ちになった。
ライは人差し指を立てて空中を指し、円を二回描いたあと指をパチンと鳴らした。そのとき小さな無数の光が周囲に弾けたのをリーリアは視た。
ぽわりぽわりと図書室中のランプが灯り出す。数秒のうちに全てのランプに炎が灯った。
「ね。こういう方法もあります」
「ライさんの魔法ですか?」
「そうですね。簡単なものですが」
ライがもう一度パチンと指を鳴らすと灯りが消える。彼にとってはこれが簡単なものなのか、とリーリアは唸った。この奥行きも分からないほど広い部屋のランプ数十個を一度に点ける、しかも無詠唱で――ウィリディスでは〝簡単なもの〟には含まれない。魔法において、天空と地上の国ではまさしく天と地ほどの差があると分かる。
「リーリアさんも魔力をお持ちのようですし、練習したらできますよ」
「私が魔力を持っていること、分かるんですか?」
「? はい。感じますよ」
「あの、わ、私、魔力を持ってはいるけれども少なくて、何もならないんです」
「うーん……ちょっと、失礼しても?」
「え、はい」
何が何やら、きょとんとしたリーリアの左手をライが両手に取った。持ち上げて自分の額にリーリアの手の甲を当てて目を瞑る。ライの手は大きく温かかった。
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