第6話 花嫁は天空へ赴く(6)

 城に戻って部屋に向かう途中、背後からぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。

「おはようございますリーリア様! 起きたときに呼び鈴を鳴らしてくれれば良かったですのに」

「ラミーさん、おはようございます。その、余計な仕事を増やして申し訳ないし、一人でもできることなので……」

「昨夜、浴室もお一人で?」

「はい。タオルや石けんも用意してくれて、ありがとうございます。とても良い匂いがしました」

「それは、よかったです……」

 ラミーの声は先細りしていった。言葉と気持ちが裏腹のような気がする。


(呼び鈴を使ったほうが良かった……とか? でも仕事増えるし、それはないよね)


 リーリアが実家でメイドに頼み事をすると、それがリーリア一人ではできないことだとしても露骨に嫌そうな態度を取られていた。仕事が増えるからである。だから、呼び鈴は極力使わないつもりだ。


「あの、私の今後の処遇について、詳しくは今日決めると聞いているのですが、いつどこに行けばいいか、お聞きしてもいいですか?」

「しょ、処遇……」


 ラミーは口の端を若干引き攣らせて口ごもった。その様子にリーリアは心臓がひやりとする。


「……もしかして私、ウィリディスに帰った方がいい感じになりました……?」

「まっ、まさか。違います。もう少しすれば朝食をお持ちしますので、そのときにお伝えできるよう聞いておきます」

「そうですか。追い返されなくて良かったです」


 ほっとして言うと、ラミーは片方の手のひらを額にあてて下を向いた。何かを堪えるように目を瞑っている。


「大丈夫ですか? 頭痛ですか……?」

「いえ、大丈夫です。頭痛がしそうなのはしそうなんですケド……」

 ラミーは虫を追い払うように片手を振り、小さく溜め息をついた。

「お部屋まで一緒に行きましょう。リーリア様はお好きなフルーツありますか?」

「ベリー系と……特に林檎が好きです」

 そのあと、ラミーが持ってきてくれた朝食にはベリーが載ったヨーグルトと、ウサギの形を模して切られた林檎があった。赤い皮の部分を耳に見立てるのはウィリディスと共通なのだな、と小さく笑みをこぼし、ベルルと分け合って食べた。


       ○


 正午前、ラミーに案内されて来たのは西側の三階だった。廊下の絨毯はプルシャンブルーの青色、壁には海や空の風景画が飾られている。

「ここが、ライさんやダンテさんたちが普段仕事をしている部屋です」

 ラミーが扉をノックして開けると、こちらに気付いたダンテが片手をひらひら振り、愛想良く笑ってくれた。

「やっほーリーリアちゃん。よく眠れた?」

「はい。素敵なお部屋でした」

 ダンテの隣にいるライは、昨日と同じく慇懃な笑顔を浮かべている。

「それは良かったです。そうですね、座ってお話しましょうか。こちらにどうぞ」


 リーリアが手で示された椅子に座ると、向かいにライが、その横にダンテが座った。

 部屋の壁は本や書類で埋め尽くされ、室内には数架の本棚と大きな机がいくつかある。窓からは適度に陽光が入って明るい。普段は五、六人詰めていそうな仕事部屋だが、今はライとダンテしかいないようだ。


「まず――我が領主についてお伝えしなければならないことがあります。ベルクリスタン侯爵は、昨夜、王都に行きました」

 ライが無表情で切り出した。

「……えっ。昨夜ですか?」

「はい。天空の国はいくつかの島でできているのはご存じですよね。基本的に一つの島が一つの領地になります。このベルクリスタン領から王都の島までは片道二時間程度の場所ではありますが、二時間も一角獣や飛龍を飛翔させるとなるとかなりの魔力を消費しますので、頻繁には行きません。もともと王都には行かなければならない仕事はあるのですが、正直、昨日今日行く理由もないです」


 ライが淡々と話す横で、ダンテが頬杖をついて口を挟む。

「本来なら今日、婚姻だからな」

「ダンテの言うとおりです。我が領主は――」

「花嫁様との対面から逃げた」

「と、言うことです」


 ライは仕方の無い人ですね、という顔をして苦笑いし、ダンテは不機嫌さを隠しもせず顔を顰めた。

 まさか侯爵本人がいなくなるとは思ってもいなかったので、呆然とする。


「逃げた……」

「申し訳ありません」

「しょーもねーヤツだよホント」

「それは……私の顔を見るのも嫌だということでしょうか。やっぱり、侯爵様が婚約破棄だと言っているのに、この城においてもらうのは無理があるのでは……! は、伯爵家に帰ります、と言えたら良いのですが、それは少し……難しくて……。しばらくどこかの町においてもらうことは可能ですか? 仕事とか、これからについては、少しずつ考えさせてもらえれ……ば……」


 どうしよう。伯爵家に帰りますと言えないのは自分勝手な理由だ。しかしリーリアは帰れない。地上に戻るとしても、伯爵家と関係ない何処かで雇ってもらえる場所を探さなければ。あの家にリーリアの居場所はもうない。

忌み子であるリーリアにとっては、もしかすると地上よりも天空の方がまだ居場所が見つかるかもしれない。


 焦燥感を募らせるリーリアに、ライとダンテが慌てた。

「リーリアさんがここを出る必要は全くありません」

「そーだよリーリアちゃん。だからぁ、そんな泣きそうな顔しないで。ごめんね俺らの領主がヘタレ野郎で。ついでにコイツも冷たい言い方しかできなくって」


 コイツ、とダンテに指を指されたライがぎょっとする。


「僕は別に冷たい言い方なんてしてないでしょう」

「いーやしてるね。っつーかお前、いつだって冷たいんだよな。だからリーリアちゃん、コイツの言い方がキツいときは俺に言ってよ。かわりに怒っとくから」

「は? いつだって冷たい? 僕、そんな風ですか?」


 ライがリーリアの方をぐるんと向いて訊ねた。少し意地になっているような様子に呆気にとられる。


「えと……ライさんは、私のことを歓迎していない……わけではない、のですか?」

「エッ? いや、そんな、歓迎しないも何も僕が決めることではありませんし。リーリアさんについて判断するにもそれほど貴方のことを知りませんし」

「お前、そーいうとこだよ。ねぇリーリアちゃん、言葉の節々が冷たいと思わねぇ?」


 ライはにこりともせず事務的に淡々と話す。怜悧な整った顔立ちで無表情に言われると、皮肉が入っているのか勘ぐりそうになる。地上でリーリアがかけられてきた言葉は裏にそういった悪意をたっぷり振りかけられたものばかりだったのだ。

 けれど、どうやらライのそれは違うのかもしれない。


「伯爵家に帰ってほしいと思っている、わけではないのですよね」

「ええ。僕が決めることではありませんし」

「だーかーらーそうじゃなくて。お前個人の意見としてはどうなんだよ。お前の言い方だとどっちともとれる。俺はリーリアちゃん帰ってほしくないよ、可愛いし、ベルクリスタンはいいところだ」


 ダンテがばちん、とウインクを寄越した。自然とリーリアに笑みがこぼれる。


「リーリアさんが〝帰らない〟という選択肢を選ぶのであればそれでいいと思います。ただ僕は、侯爵にこんな扱いを受けて本当は帰りたいのでは、と思うだけで」

「いいえ、いても良いのなら私はここにいたいです」

「そ……ですか」


 リーリアが間髪入れずに答えると、ライは虚を突かれたようだった。黙り込むライをダンテが横から覗き込んでニヤニヤしている。二人は仲がよさそうだ。


「と言っても、何もせずここに置いてもらうのはどうかな、と思っています。私にできる仕事があればいいのですが、きちんと働けるのかどうか、むしろ動き回らない方が良かったりする場合も」

「ストップストップ、リーリアちゃん、待って」

「落ち着いてください。まず、リーリアさんに働いてもらう必要がありません。貴方は花嫁としてここに来た。それはウィリディスとベルクリスタンの友好の証であり象徴です。婚姻に至らなくとも貴方がここにいることに意味があります。そもそも婚姻も、最近は形ばかりのものでしたし。リーリアさんは駐在大使として堂々と居ればいいのです」


 ライもダンテも早口で喋った。動物を落ち着かせるように、どぅどぅ、と両掌をリーリアに向けて、である。


「駐在大使、ですか?」

「そうです。それについてまず話そうと思っていたんです。侯爵の一存で婚姻は結ばないことになりました……と言っても、ウィリディスとの約束を勝手に反故にするなんてことできないはずです。だから侯爵は、婚約者として城に滞在すればいい、好き勝手にすればいい、と言ったのでしょう」

「侯爵様がそう言えたのは、実質、今はもうベルクリスタンとウィリディスの力関係は全く対等でないから。だからですよね?」


 ――だから侯爵は勝手を言える。

 リーリアが言外に意図したことは伝わり、二人は苦笑しながら肯定の沈黙を選んだ。

 ベルクリスタンが優位だから侯爵は勝手ができるし、ここ数代の侯爵がウィリディスの花嫁に敬意を払わずとも許されている。それが真実である。


「しかし当代の侯爵も、このところの花嫁の不遇を痛ましく思っているのです。それもあって、リーリアさんに帰ってよい、と言った……ということは知っておいてほしいです」

「マ、今のベルクリスタン侯爵は堅物っつーか融通きかねーっつーか、悪い奴ではないんだけどね。ものっすごく不器用」


 言いながらダンテはちらりとライを見遣った。目線が合ったライはそれを黙殺する。


「そう、ですか。お会いできる日はくるでしょうか」

「どうでしょうかね」

「そりゃ~いずれ会わないわけにはいかねーだろ。侯爵がどんだけチキン野郎でも」


 ライとダンテは横目で睨み合う。どうやら二人は侯爵とも仲がよさそうである。チキン野郎と言ってもライが反論はしないのは、彼もそう思っているからだろうか。


(侯爵様への印象が変わってくるなぁ……)

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