第4話 花嫁は天空へ赴く(4)
「もしかして心配してくださってますか」
「え? ……そうですね、心配ですね」
「ふふ。ありがとうございます。気をつけますね」
「……そうしてください。この城は階段が多いので、足首をしっかり守るような踵の低いショートブーツを用意します。よろしいですか」
「はい。ありがとうございます」
ライは居心地が悪そうな、見ようによっては気恥ずかしそうにして先を示した。二階に上がり、廊下を歩く。茶色がかった赤であるマダーレッド色の絨毯が敷かれ、壁には薔薇に蓮、野茨といった花が主役の風景画が多数かかっていた。
「ここは客間が並んでいます。過去には数年過ごしていた客人もいらっしゃるようなので、不便はないと思いますが……何かありましたら遠慮無く言ってくださいね。お部屋はこちらになります」
一番奥の部屋である。中は広々としており、明るい木調で整えられていた。二面の壁に大きく窓が取り付けられ、陽の光が差し込んでいて明るい。城の背後に見えていた森がよく見えた。天蓋付きのベッド、書き物机と揃いの椅子、小さな暖炉に安楽椅子、壁には春を思わせる蓮を描いた絵画がかかっている。
「通称、蓮の部屋、と呼んでいます。花嫁様の持ち物は運んできますね。そちらにクローゼットがありますので」
「ライ様、その、できれば花嫁様ではなく別の呼び方に変えてもらえませんか。もう花嫁じゃありませんし……」
体の前で掌をぎゅっと握りこみ、リーリアは勇気を出して言った。言葉を受けたライは眉を上げ、軽く頭を傾げる。
「花嫁様が花嫁様でなくなることはないのですが……。では、リーリア様とお呼びしましょうか」
「できれば、様、も抜いてください」
「では、リーリアさん。そうしましたら僕のことも、敬称はつけないでくださいね」
薄く笑んだライは逆らえないような威圧感があった。「はい、ライさん」
「あとでリーリアさんに付いてもらうメイドを寄越します。しばらく休憩していてください。城内は自由に歩き回って結構です。危ない場所などは簡単に入れないようになっていますから。外も自由に散策してもらって大丈夫ですが、注意事項が二つ。夜は城外へ出歩かないこと、森は途中に柵があるんですがその先には行かないこと。守ってくださいね」
「はい、分かりました」
「よろしい。では僕は仕事に戻ります。不安なことや聞きたいことがあれば、僕やダンテに何でも聞いてください。勿論、城内の者であれば誰でも結構です。これからのことについては、また明日考えましょう。今日は疲れましたよね、ゆっくり休んでください」
「はい。ありがとうございますライさん」
「それでは」
ライは軽く会釈して踵を返す。気品ある後ろ姿にリーリアは声をかけた。
「ライさん! あの、ここに置いてくださって、ありがとうございます」
振り返ったライはきょとんとしていた。ああ、とリーリアの言いたいことが分かり、ニコリと作り物めいた微笑みを浮かべる。
「いえいえ。リーリアさんは花嫁様ですので、僕たちが追い返すはずもありません」
気のせいか、若干の冷ややかさを感じたリーリアは胸の前で自身の手を握りしめた。
(ライさんは、あまり歓迎していないのかもしれない)
気に障るような行動はしたくない。
ライが出ていってから、リーリアはドレスを脱ごうとし、一人で着脱できないものだと思い出した。檜皮色の安楽椅子にそっと座り、来てくれるというメイドを待つ。窓から見える森の景色は素晴らしく、ずっと気負っていた緊張が抜けた。
客間だと言っていたが、景色も良くとても上等な部屋である。塵一つなく整えられた雰囲気を見て、なんとなくだが初めからリーリアをここに通すと考えられていた気がした。
(婚姻の話が出た最初から、妻として娶る気もなかったのかも)
それでも、婚約者という名目のまま、ここにいて良いと言ってくれた。結婚したくないための虫除けとか、自由恋愛したいための仮初めの存在とか、侯爵にそういった理由で利用されているのだとしても、リーリアは有り難かった。むしろ利用されていた方が、何かの役に立てているので気が楽だ。
(私にできることはあるのかな)
菓子作りが少し得意なくらいで、これといった特技もない。お茶会などの社交に出ることもなく暇であったため、伯爵邸にあった書物を読み勉学には励んだが、秀才というわけでもない。
(私にできることなんて……ウィリディス国の、シルヴァ伯爵家の血筋のものとして、ベルクリスタン国との友好の証に嫁ぐことぐらいだった。それぐらいしかなかった)
しかしそれも無理そうである。
リーリアは安楽椅子に深く身を沈めた。少しだけ揺れるのが気持ちいい。急に、どっと体が重くなり、リーリアは誘われるように瞼を閉じた。
○
「リーリア様? 大丈夫ですか? 起こすのも可哀相だなとは思うんですが、そのドレスは先に脱いでおいた方がいいかなって」
とんとん、と軽く肩を叩かれて気がついた。どうやら眠っていたらしい。重たい瞼を開くと、目の前に可愛らしい女の人がいた。黒いワンピースに白のエプロンドレス、メイドの格好だ。
「すみません、寝てしまって――」
「あ、瞳が金色だ」
「!」
彼女の瞳の瞳孔が縦にキュイッと伸びた。蘭々と輝く琥珀色の瞳が獲物を狙うもののように思え、リーリアは脅えた。咄嗟に後退しようとして安楽椅子をガタンと揺らす。
「ごめん、ごめんなさい。驚かせてしまいました。取って食おうってわけじゃないの」
メイドはさっと身を引いてお辞儀した。リーリアの胸はまだドキドキしている。
「はじめまして。メイドのラミーです。このたびリーリア様付きになりました。何かあれば遠慮無く仰ってください。その――ここの城ってあまり上下関係に厳しくないというか、こっち側の国全体が地上とは感覚が違うらしいのですよ。礼儀知らずの無礼なこともしてしまうかもしれないけれど、許してください。気になることがあったら教えてほしいです」
リーリアは慌てて椅子から立った。
ラミーはリーリアが見上げるほど背が高く、ふわふわした伽羅色の髪が肩口で揃えられている。可愛らしい印象の人だ。年は同じくらいだろうか。
「いえ、こちらこそお手数おかけしてすみません。侯爵様の妻にはならないのに城に置いてもらって……。これからよろしくお願いします」
「婚約者様は婚約者様ですよ。結婚しない件については私もさっき聞いたけど――うちの侯爵の我が儘っていうか、リーリア様に来てもらってから言うかって話だし、むしろうちのがごめんなさいって感じですよ。ドレスの後ろのボタン、失礼しますね」
うちの兄が申し訳ない、と言うような雰囲気だった。なるほどウィリディスとは領主への距離感が違う。血筋で選ばれる訳ではないからかもしれない。
「侯爵様にもきっと事情があるんですよね。……私の方こそベルクリスタンの常識が分かっていませんので、おかしなところがあれば教えてください。それと、身支度とか日常のことは自分で一通りできるので、気にしないでくださいね」
「侯爵に事情ねー……。あら、遠慮しないでくださいよ。ウィリディスの伯爵令嬢なのでしょう? 実家にいたころと同じようにしてくださいな。侍女だかメイドだか、誰かが身支度を手伝ったり日常のサポートをしたりするって聞いてますよ」
リーリアは曖昧な笑みを浮かべた。忌み子として忌避されていることは幼心に理解していたので、自然と自分一人でするようになったのである。複雑な髪結いもしない。姉たちには侍女やメイドや付添人がいたがリーリアにはいなかった。社交にも行かない引きこもりなので必要が無い。そういう扱いだったのだ。そしてそれらは事実でもあった。
「はい、全て外せましたよ。脱げます? いやー、見事なドレスですねぇ。綺麗だわ~」
重いドレスを脱ぐとずいぶん体が軽くなった。真白のシュミーズ一枚になる。
「このドレスのお洗濯は任せてください。着替えなんですけど、クローゼットのなかにいくつか普段着があります。サイズが合うものがあればいいんですけど……今度採寸させてくださいね。あと、リーリア様のお荷物もそちらに置いてあります。あとで確認してください。それとこの蓮の部屋は室内にお手洗いと浴室があるんですよ。あとで新しいタオル用意しますね」
白いドレスを抱えながら、クローゼットと風呂場の扉をラミーが開けてくれた。
「浴室まであるんですか」
「ええ! たぶんしばらくはこの部屋を使うことになるかと思います。この城、大きくて使ってない部屋も多いんですけど、遠かったり、ちょっとトラブルが出たり……ごほん。客間は安全ですよ。何かあったら言ってください」
「安全……?」
思わず突っ込んだ。
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