第3話 花嫁は天空へ赴く(3)
「本日は顔合わせですので気楽にいきましょう。予定ですと宣誓式は明日ですね。披露宴については後々に。挨拶が済みましたら、今日はゆっくり休んでください」
ベルルも馬車から降り、さながら騎士のようにリーリアの隣を歩く。馬車の帰還を受けて城の扉は開かれていた。コツコツと音を鳴らして石畳を歩いた先、クリムゾンレッドのビロード絨毯を踏む。城内は華美でも質素でもなく落ち着いた雰囲気で、青地に金刺繍の威風堂々としたタペストリーや金縁の大きな絵が飾られている。
「あっ……」
「どうされましたリーリア殿」
「さっきまで隣にいたベルルが消えて……ここにいますか?」
「ああ……ベルル殿は精霊種なので、おそらくこの地の者たちのところに連れて行かれたと思います」
「連れて行かれた……? それは大丈夫なものですか?」
「もちろん。引っ越しの挨拶みたいなものです。しばらくしたら、ふっと帰って来ますよ。安心してください」
「そうですか。教えてくれてありがとうございます」
ダンテに先導され、奥へ奥へ進んでいくと大広間についた。まっすぐ続く絨毯の先、数段上がったところに玉座がある。脚や肘置きに透かし彫りがされた白い椅子の座面は青く、ところどころ金で装飾されていた。
空の玉座の横に、すらりとした男性が立っている。黒いズボンに白いシャツ、金縁飾りがついた黒いジャケットを着ており、背後にあるステンドグラスから色彩豊かな光が降り注いでいた。
黒装束の男性以外は誰も居ない。
(侯爵様はまだいない?)
横にいるダンテを見上げると、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。リーリアの胸の内に、墨を垂らしたような不安が広がっていく。
ダンテが玉座の方へ近づいていくので、リーリアも倣って歩む。下を向きそうになる顔を必死で上げ、胸を張り、ドレスの下で何重にも重なった生地をつま先で蹴りながら、こけないよう注意して進んだ。
リーリアが玉座の前に着くと、黒装束の男はうっすら笑んだ。澄んだ水色の瞳、濡れたような美しい黒色の髪は前髪が少し長めで襟足は短い。
「こちら、ウィリディスより遙々来てくださったリーリア・シルヴァ殿」
ダンテに紹介され、リーリアは軽く膝を折って礼をする。すると落ち着き払った声が降ってきた。
「はじめましてリーリア殿。ベルクリスタンへようこそ」
彼は一拍おいて静かに告げた。
「非常に申し上げにくいのですが、主は花嫁様にお会いにならないようです。ただ、貴方の好きになされば良いと、言付かっています」
がつんと頭を殴られたような衝撃を受けた。口内がからからに乾いていく。
「どういう……意味でしょうか」
「申し遅れました。僕の名はライ、ベルクリスタン侯爵の側近の一人です」
リーリアの焦燥など分かっているだろうに、ライは和やかに言う。
「侯爵は――婚姻を結ばないと申しております」
ぐぎゅ、と喉が詰まった。見開いた瞳に映る色彩が、白く霞んでゆくようだった。
「リーリア殿に問題がある訳ではありません。ここ数代、不幸が多いこの政略結婚に嫌気がさしているらしいのです。リーリア殿も望んだものではなかろうと」
「でも、それでは、我が国とベルクリスタン領との友好は」
「友好関係は変わらないものとお約束します。リーリア殿は国に帰っていただいても構いません。花嫁でなく大使として」
「か、帰る……?」
喉から出した声は擦れていた。いつの間にかきつく握りしめていた手が震える。
「ライ、あっちはこっちと常識が違うんだ。花嫁として送り出されたものを、すぐ出戻るなんて難しいぜ」
ざっくばらんな口調でダンテが口を挟む。リーリアをかばってくれるようだった。
「そうですか? もう会えない場所……天空領に嫁いだ娘が帰ってきたら喜ばれると考えていたそうですが。でしたら、もう一つの案があります」
ダンテはリーリアと家族のやりとりを見ている。帰ったところで歓迎されないことは薄々察しているのだろう。
ライは胸ポケットから紙を取り出して読み上げる。
「〝婚約者として城に滞在することは認める。部屋や衣装は用意してある。常識の範囲内で好きにしていいし、いつでも地上へ帰っていい。ただし、何があっても婚姻は結ばない〟――だそうですが。如何でしょうかリーリア殿」
「ここにいても……いいのですか?」
ライとダンテがきょとんとしてしてリーリアを見た。
「勿論、リーリア殿がそれでよければ」
ライが呆けたような真顔になって頷いたので、リーリアはほっとした。強ばっていた体の力を抜いて、表情が和らぐ。二人に向けて深々と礼をした。
「よろしくお願いします、お世話になります。私にもできることがあれば働きます」
「え、リーリアちゃんは働かなくていいだろ」
「おいダンテ言葉遣い」
先ほどまで貴公子然としていたダンテの雰囲気が急に変わった。ぴしりと立っていた姿勢は崩れ、両腕を上げて伸びをしている。尖った八重歯を見せながら屈託なく笑った。
「いや~堅苦しく話すのもう無理だわ。ごめんねリーリアちゃん、俺ほんとはこういう感じ。こっちまで護送する間ずっと猫被ってたの。奥方様にならないんだったらそんな畏まる必要もねーだろ?」
「はい。私もそのように話してくださるほうが嬉しいです」
「ほら。だからリーリアちゃんも、もっと気を抜いて俺に接してよな」
「あ、ありがとうございます」
ダンテはずいぶん好意的だった。もう一人の見解はどうだろう。おそらくここにいる二人が侯爵に次ぐような上の立場にあるのだ。リーリアはライを見上げる。
整った顔立ちはきれいで、どこか寄る辺ない儚げな印象を持つ人だった。リーリアよりも年は五つほど上だろうか。水色の瞳は理知的で、吸い寄せられるように見つめたその奥に翳る獰猛さにはっとする。
目の前の青年は儀礼的な笑顔をもってこう告げた。
「歓迎します、花嫁様」
○
名前でなく花嫁だと呼ばれた意味はどこにあるのだろう。部屋に案内してくれている後ろ姿を見ながらリーリアは思った。
(実家に帰って欲しいと思っているのかも。……ここにいてはいけないのであれば帰るけど、今日は早すぎる。せめて侯爵本人に会うか、帰還するよう正式に告げられるまではここにいたい……)
階段を前にしてライが振り返った。
「大丈夫ですか。ドレスの裾が豪奢です、靴で踏んでしまわないように気をつけて……抱き上げて差し上げたほうがよろしいですか?」
「いっ、いいえ。大丈夫です」
リーリアは羽をかきあつめるようにドレス両手でたぐり寄せた。階段には蔦のレリーフが彫られた手摺りもあるが掴めない。慎重に一段一段上がる。
「……危なっかしいですね」
「すみません」
「あ……いや、責めてるわけじゃないです。転落しそうになってもチョイと魔法でなんとかしますので安心してください」
(チョイと魔法でなんとかする?)
地上で魔法を使うには、魔法陣や詠唱といった準備が必要不可欠である。そんなに気軽に魔法が使えるというのは、リーリアたちの常識と全く違う。
「魔法で、ですか?」
「ええ。それより、そのようなかくも歩きにくいドレスを着るのに、どうして女性は不自由そうな靴を履かなければならないのです?」
「ハイヒールのことですか? そうですね、この方が美しく見えるからでしょうね」
「ただでさえ線が細そうなのに、足首をぽきりと捻ったら危なくないですか? 見てるこっちは不安の方が勝ります」
リーリアはぽかんとして瞬いた。ライは至極真面目な顔をして言っており、嫌みではなかった。
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