第2話 花嫁は天空へ赴く(2)

 屋敷の門前にはベルクリスタン領の馬車が二台停まっており、嫁入り道具の詰め込み作業が行われていた。由緒ある伯爵家の令嬢の持ち物としては少なく、必要最低限である。ベルクリスタンにこちらの物を沢山持っていくのも失礼だろう、というのは建前で、リーリアへの無関心によるところも大きかった。


(侯爵様には申し訳ない気持ちもする。相手が私だし……。誰が行ったって同じことかもしれないけど、お姉様の誰かだったら美しいし魔力もあるしで喜んだのじゃないかな)


 真白いドレスに着替える。なめらかで上等な生地をふんだんに使って膨らませたスカート、精緻なレースをあてた身頃に、慎み深い高い襟、二の腕を覆う部分は小さく膨らんでいる。肘から先は白いレースの手袋をはめた。白い靴のつま先には小さな金剛石が散りばめられ、サイドの装飾はレース模様、ヒールは折れそうなほど細い。ウェディングドレスではないが、それに準じるものを意識して作られた美しい装いである。


 こつこつ、と歩く度に真白のドレスが揺れる。望んだ婚姻なら、望まれた婚姻なら、心はあたたかく気持ちは浮き足立ったのだろうかとぼんやり考える。華美ではないが静謐な美しさがある馬車、それを牽く銀色に輝く一角獣を見ても心は冷えたままだった。


 屋敷の門前に出たリーリアに、馬車の傍にいた青年が軽く腰を折った。獰猛さを隠していない橙色の目、燃えるように赤い髪を短く刈り込み、口の端をにぃっと上げて笑っている。野性的で精悍な顔立ち、背も高ければ武人のように体格も良かった。


「これはこれは。リーリア殿ですね、お美しい。我らが主は幸せ者だ」

「ありがとうございます。……あの、あなたは」

「ああ失礼。ベルクリスタン領侯爵閣下の補佐、ダンテと申します。天空への旅路は私が護衛させていただきますね。同じ馬車に乗ってもよろしいですか? リーリア殿も、着く前に色々質問したいこともあるでしょう」

「はじめましてダンテ様。ではその……よろしくお願いいたします」


 スカートをつまみ軽く礼をするとダンテが笑った。無邪気に笑う人だ。

 そこに、背後から二人分の硬質な足音が聞こえる。ざり……とリーリアたちの傍で止まったのは両親である。伯爵は厳めしい顔を変えず、無感動な瞳をリーリアに向けて口を開いた。


「つつがなく務めを果たしなさい。ウィリディスのシルヴァ伯爵家に生まれたことを忘れるな」

「はいお父様」

「元気で」

「はい。お母様もお元気で」


 リーリアは両親に深く一礼し、ダンテに向き直った。


「ではダンテ様、よろしくお願いします」

「えっと……もうよろしいので?」


 嫁入り前の親子の会話とは思えない淡泊さにダンテは困惑したようだった。リーリアは頷いた。ダンテが扉を開けてくれ、馬車に乗り込んで薄桃色の座面に座る。壁や天井の内装は白を基調として作られていた。

 ダンテがリーリアの向かいに座り、ばちんと指を鳴らすと馬車が動き始める。ガタンと揺れたあとは不思議な浮遊感に包まれた。窓を見ると既に浮いており、どんどん上空へ上がっていく。門前に両親、庭には三人の姉がこちらを見上げている。姿が小さくなって見えなくなるまで、リーリアは彼らを見つめていた。


「寂しいですか?」

 はっと前を向くと、ダンテが気遣わしげにリーリアを見つめていた。どうだろう、とかすかに笑う。

「寂しさはあります。でも、辛くはないです」


 天空への嫁入りに不安はある。ただリーリアの場合、それが国内であっても同じだった。むしろこの結婚はウィリディスとベルクリスタンの友好の証なのだから、ある程度の待遇は保証されているだろう、という希望がある。


「ふうん? そうですか。ところでそちらの幻獣は?」

「……え?」


 ダンテが指さすリーリアの右隣には何もない。「いますよ」とダンテが言うと、靄が晴れていくように小さな姿が顕れる。リスのベルルだった。

「え、ベルル? 馬車に乗っちゃったの? これから天空に行くのよ、どうしましょうダンテ様、この子を帰してもらえますか?」

 ベルルはリーリアの右腕をつたい上がって肩にちょこんと乗った。クキュルキュル……と鳴いている。

「帰る気ないらしいですよ。ついていくつもりで乗ったんでしょう。気付いてないようですけど、そいつ普通のリスじゃないですよ。こう見えても精霊種の幻獣です。姿も消せるようだし」

「精霊種……ベルル、そうだったの?」


 ベルルは胸を反らせてキュイ! と鳴いた。思えば不思議なことはいくつもあった。屋敷の中で一緒に過ごしていても、両親や姉たちがベルルについて訊ねてきたことは一度もない。彼らには見えないようにしていたのだろう。


「ベルルという名前はリーリア殿が?」

「はい」

「それはいいですね。きっと、ずっと傍にいてくれますよ。彼らは僕らよりも遥かに長生きですし」

 そうだったら、とても嬉しい。

リーリアがベルルを見つめると、「そのとおりだよ」と言うように見つめかえしてくれる。


「さてさてリーリア殿、僕に訊いておきたいことはありませんか? 何でも結構ですよ」


 ダンテは左手を胸に当ててニッコリ笑ってみせた。聞きたいことや知りたいことは沢山あるが、先入観を持つのも躊躇われる。となると、確認したいことは一つ。


「侯爵様に、恋人や愛人はいますか? 今現在の話です」

「……今から侯爵閣下と結婚するのを分かっておいでで訊いてます?」

「はい」

「花嫁殿を迎えるにあたり、もちろん恋人や愛人はいません」

 ダンテは憮然とした表情で言ったあと、はっと表情を改めた。


「……そうか、先代の悪評はご存じですよね。当代の侯爵は先代とは違って好色な人物ではありません。我らの国の領主は実力主義で選出されるので、先代と血の繋がりもない」

 天空の国は、ウィリディスとは少々違った政治体系をしている。

「先代がどのようであったかは、彼も僕も知っています」

「そう、ですか」


 今はそういう心づもりをしなくてもいいらしい。少し安心したような、でも寂しい心地がした。

 これは国と国の決まりごと。政略結婚なのだ。侯爵もきっと望んだ結婚ではないだろう。好きな人が、いたかもしれない。

(もしも愛人ができたなら、侯爵様が心から愛する人なら。私は祝福したいと思う。罪悪感の裏返しかもしれないけど)


 リーリアの瞳が無色のままであるのを見たのか、ダンテは黙ったままだった。

 馬車は空を目指し、地上は遙か遠い存在になった。田園地帯に森、建物がひしめき合う王都がうっすら見える。この馬車であれば王都まで行くのにさほど時間もかからなそうだ。

 王都には二度行った。用事以外では外出を禁じられ、リーリアはタウンハウスに籠もりきりだった。リーリアも、忌み子への忌避たる眼差しを受けながら、王都を歩きたいとは思わなかった。


(天空の地はどんなところなのだろう。領地では伯爵家の評判に関わるから、自由に出歩くことを良しとしてくれなかったけど……。異種族と混じった精霊族や獣人族の系統が多いと聞くもの、忌み子の存在も、おおらかに受け入れてくれるかもしれない)


「リーリア殿、我が領地が見えてきましたよ」


 地上で見るより深く青い空のなか、ぷかりと広大な島が浮いていた。底面は白い雲に覆われている。天空の地が、外観すら地上から視認できない要因はこれである。リーリアたちはその地を上から見下ろしている。初めて見る天空の地の外周は土の地面で、その次に森がぐるりと広がっている。中心部へ行くには、緑が青々と茂る森を抜けねばならない。


「安心してください、森を抜けるとすぐ街ですよ」

「素敵な森ですね。私が知る森より、なんだかキラキラして見えます」

「へぇ? 天空では生きとし生けるもの全て、地上のものより魔力に満ちているんですよ。人によっては魔力の粒子が煌めいて視えるそうです。リーリア殿も《視る》ことができるのかもしれないですね」

「《視る》、ですか」


 馬車は広場に降り立ち、そのまま森のなかへと土の道を走って行く。ダンテが窓を開けた。青く瑞々しい風が馬車の中に吹き込み、生命力に満ちた木々のざわめく音が聞こえる。流れゆく森の風景は、リーリアの緊張を和らげた。

 しばらく進むと森が開け、広大な丘陵地帯に出た。牛や山羊が草を食み、遠くに点々と赤いレンガで作られた小屋が見える。


「もう一度飛びますよ」


 カクンと車体が浮き上がり、速度が上がった。窓から入り込む風がふわりと毛先を揺らす。何らかの魔法がかかっている。

丘陵地帯を抜け、小さな街の上空を飛び、田園地帯を抜けると青々とした牧草地が広がっていた。そこにそびえ立つのは深い青みの屋根を持つ白亜の城である。六階分ほどある大きな城に、高い尖塔がいくつも伸びる。煌びやかではないが、落ち着いた風格ある佇まい。


「着きましたよ。どうぞ、花嫁様」

「ありがとうございます」


 先に降りたダンテが手を差し出してくれ、そっと掴んでリーリアは降りた。門出を祝うような清々しい風が吹いた。


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