天空の花嫁 ~嫁ぎ先で婚約破棄!?~

葛餅もち乃

第1話 花嫁は天空へ赴く(1)

「申し訳ありません。主は花嫁様にお会いにならないようです。ただ、貴方の好きになされば良いと」


 緊張で握りしめた指先は白くなっている。嫌われることのないようにと、何度も願いながら向かったこの天空の城。着いてすぐさま玉座に通され、宣告されたのはこの言葉だった。

 目の前の青年は儀礼的な笑顔をもってこう告げる。


「歓迎します、花嫁様」


 このとき私は、望まれない《天空の花嫁》となったのだ。





 ――時は二ヶ月前にさかのぼる。


「リーリア、お前の輿入れ先が決まった」

「はい、お父様」



 リーリアは無表情の下で奥歯を噛みしめた。父の書斎に呼ばれた時点で予感はしていたのだ。姉や使用人たちが囁いていたこと――

『天空の侯爵に売られる』のだと。

(……売られる、という言い方は違うかもしれないけど)


 リーリアはウィリディス国シルヴァ伯爵家の末娘である。この国の貴族の一部は、国と領民に奉仕する以外にも重要な責務があった。《天空の国》との友好関係を保つことである。


 数百年前、ウィリディス国および周辺国は《天空の民》と絶えず戦争を起こしていた。《天空の民》とは、天空に浮かぶ島々に暮らす人々のことである。

 互いを疲弊させる戦争は終着点を探していた。そんなとき、《天空の民》の王がウィリディス国の姫に恋をした。恋の力は絶大で、彼は終戦の働きかけと同時に、正体を隠して姫に接触し口説き倒した。王と姫は結ばれ、戦争も終わりを告げる。

 そうして平和は訪れたのだが、それから友好関係を保つ名目で《天空の民》と《大地の民》、両者の間で婚姻を交わすのが決まり事となっていった。リーリアの輿入れもこれに該当する。


 かつて、この婚姻は祝福されたものであった。




「天空への輿入れ、やっぱりリーリア様になったらしいわ」

「この家の厄介者もいなくなって、ちょうどいいものね」

「やだ、聞こえたらどうするの。一応お嬢様よ」


 今日だけで同じような会話を何度も聞いた。領民たちに伝わるのも時間の問題だろう。

 台所に通じる小さな裏庭にいたリーリアは、彼女らに気付かれないよう、そっと息を吐いた。ここはハーブ畑になっていて、一人になりたいときのお気に入りの場所だった。屋敷にこもるしかないリーリアは、時間帯によってひとけのない場所を知っている。そういう場所の方が、自室よりも周囲の目を気にしなくてすむのだ。


 周囲を窺いながら裏庭を抜けると、赤やピンクの薔薇が咲き誇る庭園へ続く。垣根の背丈はリーリアの身長よりやや高い。ちょっとした迷路花壇になっており、これを熟知しているのは庭師とリーリアくらいである。

 リーリアは迷いのない足取りで庭園を進んだ。薔薇の色がピンクから黄色に変わるころ、六角屋根の小さな東屋が見えてくる。屋根は紺色で柱は六本、六角形のテーブルにベンチがある。

 客人もいないとき、家族はここには来ない。

 リーリアはベンチに腰をおろし、手で顔を覆った。


「天空……」


《大地の民》と《天空の民》には絶対的な魔力差があった。個体同士では圧倒的に《天空の民》の力が勝る。何しろ、全ての民が少なからず魔力を持って生まれるらしいのだ。

 それに対し、《大地の民》は魔力を持って生まれるのが少数派だ。その中で《魔法使い》と名乗れるまで成熟するのは限られてくる。

 個体同士では圧倒的に《天空の民》が強いのにも関わらず戦争が長引いたのは、単純に数の問題だった。《大地の民》の人口は彼らを大きく凌駕した。

 しかしこの数百年で《大地の民》の魔法使いの数は激減した。かたや《天空の民》は衰えず、魔法技術も発展した。

 この婚姻において、今やもう花嫁と花婿は対等でない。


「先代の侯爵は愛人を四人作って……嫁いだ叔母様は病死された」

 里帰りも許されなかったという叔母様。たった一人で嫁いだのだから、彼女の孤独は如何ほどのものだったろう。

「いまの侯爵様はどんな方なのかな……」

 期待はしない方がいい。それに、ここにいても幸せな嫁ぎ先があるとは思えない。


(だって私は《忌み子》だから)



 リーリアの容姿は可愛い。だが、《ウィリディスの宝石》と賞賛されている姉たちには劣る。青みがかった灰色の髪、たまごの形の輪郭に愛らしい唇、すっきりした鼻梁と、均整のとれた四肢、優しく理知的な目――ただし、瞳の色が金緑であった。

金の色彩を持って生まれる人間がいない訳ではないが、かなり珍しい。魔物や精霊に魅入られやすく、周りに災厄が降りかかると言われている。そして、あちら側に連れて行かれる、とも――

 だから忌み子と呼ばれているのだ。そして忌避されている。


 リーリアは魔力を持っているものの少なく、比べて姉たちは豊富だ。長女は国内の次期侯爵と婚約中だが、次女と三女は未だ相手が決まっていない。その二人をとばして四女である十七歳のリーリアに婚約の話がきたのは、つまりはそういうことである。厄介払いだ。


 リーリアには親しくしている友人がいない。忌み子ということで、昼食会にも夜会にも、同年代の集まる催しごとに出席したことが殆どない。家族総出で出席しなければならない王族の夜会は挨拶だけ済ませて別室にいたし、避けては通れぬ社交界デビューの昨年は酷いものだった。忌み子だとコソコソ言われ遠巻きにされるのが耐えられなくて、年上の従兄弟と一曲踊り終えた後は中庭の隅の方でひっそり隠れていた。寒くて震えたことを覚えている。


 そんなリーリアにも、一人だけ交流している文通友達がいる。幼い頃、屋敷に来た魔法使いの弟子である。その二年後にもう一度だけ会えたが、以降は手紙のやりとりをしている。忌み子のリーリアに何一つ態度を変えない、希有な同世代の男の子だった。師匠の魔法使いと各地を巡りながら修行していて、彼が放つ魔法のかかった文鳥が手紙を届けてくれている。


 おそらく、国境および防衛壁を越えた天空にはその文鳥も届かないだろう。彼には結婚することを報告しておきたい。

 リーリアは魔法で文鳥を飛ばすことなどできず、いつもは来てくれた文鳥に持って帰ってもらっていた。緊急時用にと貰った魔法の便せんは、ある日机の引き出しからなくなっていた。疑いたくないが、屋敷のなかの誰かが持っていったのだろう。欲しかったのか、リーリアが持つには不釣り合いな代物だと考えたのか。理由は分からないが、日頃から侮られているリーリアにとって、それほど驚くことではなかった。


(きっと、二ヶ月以内には手紙が届く)


 ――待っていた手紙が届いたのは輿入れ前日であった。





 早朝。屋敷の誰よりも早くリーリアは起床した。本日昼前、リーリアは天空へ旅立つ予定だ。寝付けなかったという方が正しかった。

 静かに窓を開け、昨夜書いた手紙を放つ。文鳥に転じたそれは悠々と空を泳ぐように飛んでいった。天空のベルクリスタン領に嫁ぐこと、友達でいてくれて救われていたこと、文通を続けてくれたことへの感謝を綴った。

(あなたの人生に幸せが降りそそぎますように)

 リーリアは彼方の空に手を振る。最後に手紙を送ることができて良かったと思う。


 そうしてぼんやりしていると、窓からリスがひょこりと現れた。

「おはようベルル。今日も可愛いね」

 珍しい緑色の瞳を持っている彼とは屋敷の庭で出会った。リーリアが一人で庭にいると何度も会いに来てくれるようになり数年。ベルルと名付けることも許してくれた、かけがえのない友達である。

「今日、天空へ旅立つね。今までありがとう。元気でね」

 利口なリスはきらりと瞳を輝かせた。


 ウィリディスの屋敷での食事もこれが最後になる。薄情かもしれないが、あまり寂しさはない。朝食はいつも姉三人と一緒だったが、リーリアとの間に会話はなかった。しかし今日は違うようだ。美しい姉たちがリーリアに微笑みかけてくる。

「結婚おめでとう、ベルクリスタンの侯爵夫人」

そう言った一番上の姉は、赤い唇に手を添えてクスリと笑った。

「ありがとうございます。でもまだ結婚しておりません」

「だって私たち、結婚式には行けないもの。とっても残念だわ。元気でね」

 あっけらかんと言うと、続けて次姉が口を開く。

「可愛がられるといいわね。こっちじゃ貴方、誰にも見向きもされないから」

「あらやだお姉様、そんなにハッキリ言ったら可哀相だわ。きっと気にしているもの」

 リーリアの一つ上の姉が、「ねぇ」と言いたげな目配せを寄越した。リーリアはふるりと首を振る。


 姉たちは社交界の花である。彼女たちの言葉が悪意を持ったものでないことは、リーリアも分かっている。それがときおり厄介だった。もうこれくらいで傷つくような心臓でもないけれど、たまに、疲れる。


「お姉様――いままで、ありがとうございました」

 リーリアは静かに目を伏せた。

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