貫く想い 3

 かつての記憶をなぞりながら、たどり着いたモエギ族集落跡地は、もうすっかり森の一部だ。朽ちた木の柵に蔦が絡みつき、自然のバリケードになっている。解体された家に使われていた木材も、生い茂る草花に隠されている。

「これじゃ、エリーが帰ってきたときには住めそうにないね」

「もうここに住むことはないだろう?」

「それもそっか」

 あっさりしたソウの物言いに、リンヤもまた同じように返す。モエギ族が再びこの地に降り立つなら、過ごす場所はグローリーシティの中だ、きっと。

 ソウと小さな会話をしている間も、刺客の気配は感じている。二人の腕が立つことはもう知れた事実なので、勝機を窺っているのだろう。結局隙を見せることはないのだから、さっさと来ればいい。たまの休日を潰される身にもなってほしい。

(ソウは手を出さないで)

(まだどれくらいの勢力かも……リンヤ!)

 意識を集中させる。ふっと身が軽くなる。ソウの怒鳴り声を無視して、背後の茂みに飛び込んだ。舞う葉の香りが鼻の中をくすぐる。遠い時代の訓練が脳裏をかすめる。

 敵が息を吸う音がした。実際には、気配としてなんとなく察しただけかもしれない。咄嗟に、右腕からナイフを抜きつつ、ソウと敵の軌道上に入る。ソウめがけて飛ぶ吹き矢をはじく。なんとも原始的な武器だ。今日の刺客は武器を揃える財力はないのかもしれない。

 リンヤは吹き矢をはじいてすぐに、飛ばした者の元に向かう。途中二人が行く手を阻むが、逆手に持ったナイフで両者の首を切りつける。当然ながら顔はマスクで覆われ、誰だか判別ができない。

 倒れる二人の隙間から、先程の吹き矢野郎が出てきた。手にはダガーを持っている。蹴りで手をはじき、ナイフで心臓をひと突き。

「見えてるよ!」

 振り向きざま左腕に装着したナイフを投げる。密かにソウに向かっていた刺客が倒れる。

 前方の茂みから音がするときには、リンヤはもう動いていた。最後の一人だ。振りかざしたナイフは、意外にも敵に受け止められた。統率も取れていないし、撤退もしない寄せ集めの軍団にしては、動きがいい。最後の一人だけ生きて捕らえるつもりだったが、難しいかもしれない。

 リンヤと敵のナイフが、擦れて耳障りな音を立てる。ナイフを持つ腕の力を緩める。相手はつられることなく、反撃してきた。突き出されたナイフをナイフではじき、腹に蹴りを入れる。これにはよろけた相手に、飛びかかる。すぐ体勢を立て直した相手は、リンヤの腕を掴むが、力はそこまで強くない。女性だろうか。逆にその手を利用して、相手の腕を捻り上げる。このまま肩を折れば、生け捕りにできる。

「……ありがとう」

 細い声が聞こえた。

 綺麗で、美しく、小さな、女声だった。

 リンヤは息を吸い、手に持ったままのナイフを、その女の首元に当てた。女が前に出るのと、リンヤがナイフを引くのが、ほぼ同時だった。滑らかな肌から鮮血がほとばしる。リンヤは手からナイフを落とし、女の体を支える。柔らかい動作で地面に横たえた。

 女が被ったマスクを剥がす。歳を取った今でも艶のある髪の毛が地面に散る。多少しわは増えているが、その面差しは、昔と変わらない。

「リンヤ、お前の気遣いもわかるが、そうやって自分ばかり手を汚すのはやめてくれ」

 戦闘が終わったのを察して、ソウが茂みに分け入ってくる。

「俺だって訓練で何人も殺して……」

 すぐに佇むリンヤと横たわる女を見つける。

「……コウコ……」

 ソウの声は途中で切れ、倒れた女の名前に変わった。

「ごめん。全員やっちゃった」

 口からか細い声が漏れる。ソウはその声に返事せず、コウコに近寄る。脈を測り、すぐに他の刺客のもとに向かった。一人一人死んでいるか確かめるのだろう。無論、ソウはリンヤの腕を疑っていない。

 昔のソウからは考えられない細やかな気遣いに、リンヤは自然と口を開いていた。

「コウコさんさ、シティに恋人を殺されたんだって。物心ついた頃から、一緒に遊んで、一緒に学んで、一緒に過ごして。そんな大切な人が恋人でさ」

 ソウが返してくるのは、普段通りの足音と、衣擦れの音。終わった命を確かめている。

「だけどその恋人は、デグローニじゃなかった。コウコさんの気持ちを理解していたし、反対もしていなかったけど、自分は違う道を行くって。違った道を歩んでいたけど、二人の関係は順調だった。

 でも、殺されたんだ。シティに。デグローニの粛清で、殺された。デグローニと勘違いされたのか、組員の関係者だからなのかは、もう一生わからない。でも、殺された事実は変わらない」

 ソウとリンヤとエリーで、反乱を止めてから、デグローニは表舞台から消えた。今もまだ組織として存在しているのか、完全に解散してしまったのかは、リンヤにすらわからない。

 確かなことは、今までソウを狙ってきた人間の中に、元デグローニの人間がいること。六歳からデグローニに属していたリンヤは、全員を知っている。一方でソウは会ったことのない人もいる。ソウが気づいた時を除いて、リンヤは敢えてデグローニだと告げることはなかった。

 リンヤがソウと在る道を選んだように、人それぞれ道がある。そこにデグローニは関係ない。恨みを消せないことも、そこで何を選ぶかも、デグローニは、関係ないのだ。

 リンヤはコウコを見つめる。少し老けた……なんて言ったら、鬼の形相で怒るだろう。優しく、男気があって、面倒見のいい人だった。

「俺らのやること、我慢できなかったんだろうね」

 行き場のなくなった憎しみは、どこへ向かうのだろう。この手で市長とマホメガを殺めたリンヤには、理解しきることはできない。だからかつてのデグローニたちが、今どちらの道を選ぶのか、予想もできない。

 リンヤの頭の中に、かつての仲間たちが浮かぶ。姉弟のように、親のように、一緒に過ごした人たちだ。

 大好きな人たちだ。

「ガルさんは、どっちなんだろうな」

 その言葉に誰からの返事もない。木々の隙間から漏れる光が、コウコの顔を照らす。首が真っ赤なこと以外、穏やかな死に顔だった。

 ぼんやりコウコを見つめるリンヤの視界に、他の人間の靴が入り込んでくる。リンヤが顔を上げると同時に、ソウはその場にしゃがんだ。コウコの遺体を持ち上げ、リンヤに差し出してくる。

 ソウの顔を見る。その口元は笑みを浮かべてはいなかった。だが、柔らかかった。

「帰ろう」

 その言葉に、リンヤは返事をしなかった。代わりにコウコの遺体を受け取った。

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