第10話
いつもの朝食。洗い方が雑でトレイに林檎の皮と思しきものが張り付いていた。僕は椀に盛られた玄米を掻き込んで口に放り込む。心なしか噛む力が強くなった。隣の男囚達が喋っている姿を見る。
「お前も殺されるんじゃねぇの」
「舐めんな。こんなところに居る甘ちゃんなんてイチコロだよ」
ギャハハと下品な笑い声。素早く、周囲の視線を確認するとその男囚のトレイからフォークを拝借した。服の内側に隠し立ち上がる。
刑務作業が始まる。既に机の上に広げられている黒い布を次々と持ち上げ、図の通りに縫い合わせていく。単調な作業。今はそれのお陰で緊張感が和らぐ。隣にいるサラは鼻歌を歌いながら縫っていた。無理しているのだろう。
「その鼻歌。サラの世界の?」
「うん、そうだよ。おばあちゃんが昔歌ってくれたんだ」
「どこも同じだね。僕も幼い頃、母親に歌ってもらっていた気がする。そういうのってずっとずーと、記憶に残ってるんだ」
「確かに懐かしい感じがするかも」
僕は適当に歌を口ずさむ。
「何の曲。子守唄?」
「いや、僕が適当に子供の頃作った曲。母が居なくて寂しかった時、自分で自分を寝かしつけようとでも思ったのかな。作った」
「すっご。私なんて外で馬鹿笑いしながら友達と遊んでたよ」
「ははは、そっちの方が。……うん、ずっと幸せだよ」
無窮の空、どこまでも広がる原っぱ。笑い合う無邪気な子供の声。嗚呼、羨ましいな。僕もそんな世界に産まれたかった。そうだったらこんなことしなくてすんだのだろうか。機械的な動作で自分の人差し指に針を突き刺した。
「いった!」
深々と突き刺さった皮膚からポタポタと血が溢れる。
「ちょっ! 大丈夫? 私のときより出てるよ。待っててすぐ医務室に行ってくるから」
サラは慌てながら走り出す。光のない僕の瞳がじっとサラを追っていた。医務室か。位置は既に把握している。
灰色の廊下を歩く。開け放たれている木造りの扉が見えた。医務室。そのまま部屋に入る。薬の匂い。清潔な真っ白な机。二つ並べられたベッド。この世界の設備は本当に元居た世界と酷似している。冷静に後手で音を立てずに扉を閉める。サラが慌てた様子で救急箱を漁っていた。僕の足音に気づいてこちらを振り向く。
「待ってって言ったのに! ああ、ちょっと待ってね。先生居なくて、頑張って探してるから。これかなー?」
勿論、先生は居ないだろうな。
「必要なものは。軟膏と清浄な水で傷口を洗うことだけだよ。あまりにも重症になると通院しなくちゃいけないけど」
僕は白いタンスの中に入っている見たことのある軟膏を取り出し。先に洗っておいた傷口に塗る。
「サラが探してた絆創膏も確かに有用。というかあれは雑菌の侵入を防ぐことが目的だからね。あまりにも傷が大きくない限りそこそこ役に立つ万能な物だよ」
僕はポケットに手を入れて喋る。
「はあー、努は冷静すぎだよ。なんか慌てた私が馬鹿みたいじゃん」
「そんなことないよ。嬉しかった。……そうじゃなかったら良かったのに」
僕は後を濁し相手に聞こえないように言う。
「えっ! 何?」
そう、そうじゃなかったら良かった。実はサラが本当に監獄に入るだけの悪人で、ジャックもただの屑だったらどれだけ楽だったことか。僕は手袋を嵌め直すとゆっくりとサラに近づく。
「ごめんね」
「えっ!」
僕は一歩強く踏み込んだ。ポケットからフォークを取り出し。サラの喉元に槍の如く突き刺した。肉を突き破って先端が飛び出る。サラが感情のない瞳で僕を見る。声をあげる前に僕を両手でサラの首を掴んだ。万力のような力を込めて締め付ける。息ができないのが苦しくてサラはくぐもった声を漏らす。目元に涙が溜まっている。僕はそれを見て、自分の頬が濡れていることに気づいた。ガクリとサラは脱力して僕の手に体重を預ける。白濁した目がこちらをギョロリと力なく見る。
「ふふ、ハハハ」
乾いた笑い声。引きつった笑み。僕は手を離す。清潔な白い大地にサラが倒れ込む。罪悪感で胸が張り裂けて死んでしまいそう。嗚呼、僕はただの殺人鬼だ。止めどなく涙が溢れる。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
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