第5話

「努君、努君」

 朝食の時。アンジェルがツンツンと僕の肩を触ってきた。

「どうしたんですか」

 僕は端に残飯がついていたトレイにフォークを置いて後を振り向く。茶色の大きな瞳が予想以上に近くにあって驚く。茶色の細く透明感のある髪が妙に心を惑わす香りを放つ。彼女の口から微かに溢れた息が温かい。

「貴方と同室のサラ・クレマンさん」

「はい」

「彼女を優秀囚人に採用しようと考えています」

「良いと思います。僕も一緒に住んでいて問題はありません」

「良かったです。ということで、今日の午前から早速、第三級の縫い方を教えてあげてください。努君はもう慣れていますよね。実は彼女が裁縫が苦手らしいんですよ」

「ああー、分かりました」

 僕は了承すると麦飯を口にかきこんで立ち上がる。

「ふふふ……貸しですね。今回は急だったので」

 アンジェルはコロコロと鈴の音を転がすように楽しげな声で言った。


「まつり縫い……とはナンデスカ?」

「えーと、ちょっとだけ布に針を通すんだよ。ここをこう」

 実際にまつり縫いをしながら隣に居るサラに見せる。

「むむむ……、難しいね。くっ、こんな高等テクニックがあったとは、昔の私に教えてやりたい」

 サラはなんとか理解したのか、拙いながらも徐々にまつり縫いで強化服の布を縫い合わせていく。サラがチラチラと僕の手元を見てくる。

「どうしたの?」

「上手いね。君の世界って、裁縫世界だったの?」

「そんなわけないでしょ。まあ、服飾は盛んな方かもね。僕が慣れてるのは、監獄でやらされ続けてたのと、親のせいだよ」

「服屋?」

「いや、医者。縫合とか、今考えたら子供に教えるのはどうかと思うけどね。変な家庭だったんだよ」

「そー、なんだ。私はずっと職業村娘だったよ。あのまま生きててもよく知らないおっさんに嫁がせれたんじゃないかな。私的にはこの監獄の方が近代的で住みやすいぐらい」

「僕は時を遡っている気分だよ。食器は不衛生だし」

「残念、私から見れば朝食は衛生的でめちゃ美味い」

 サラは慣れてきたのか、僕と話しながら少しずつ縫っていく。

「けど……ここに来て嬉しいとは思ってないよ。あの世界でやりたいことまだあったし。死んじゃったのはこの世界のせいじゃないのも分かってるけどね」

「この世界は一種の延長線だね」

 囚人は誰もが死んだ記憶を持っている。

「うん。だから心残りをなくそうとたまに聞いて回ってるんだ」

「何を」

「助けられなかった女の子のこと。アンジェルさんには『囚人への他収容棟の情報の開示は禁止されてます』って言われちゃった。死んでなかったら一番なんだけどね。あの娘、昔は弱かったんだけど最後は英雄扱いだよ。ニノ、幸せに暮らせたのかな……。いたっ!」

 サラが突然、小さな悲鳴をあげる。左手の中指に小さく血の泡が浮かんできた。僕は血を見た瞬間、反射的にポケットに手を突っ込み包帯を取り出した。僕は短く包帯を歯で噛み切り、サラの中指に巻いていく。サラは呆然と僕を見ていた。

「すごいね。顎強い!」

「そこ! そこが凄いの! 複雑」

「嘘嘘、ありがと。いやー、考え事してた。てか、包帯なんて持ってて良かったけ」

「…………ノーコメントで」

「いや、助けてもらったんだし報告したりしないから」

 サラは慌てて腕を振って弁解した。

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