第33話 流れゆく日々

 月日はあっという間に流れるもの、気づけばテストまで一週間を切っていた。しかし、ただ無駄に時間が流れたわけではなく、藤宮の実力は確実に上がってきたのもまた事実。桐嶋が作った摸擬テストでは英語は50点を取れるようになってきたし、古典も40点くらいなら取れる。40点ではダメなわけだが、進歩と言っていいだろう。


「今日はここまで、そろそろ帰ろ?」

「うん、わかった」


 この日も桐嶋の指示でいつもより早めに切り上げて教室を出た。テストがかなり間近に迫ってきたので、勉強量を少し落としてコンディションを優先させることになっている。彼女曰く本番前に無理をしすぎてもあまり効果はないらしい。それよりキチンと睡眠をとって、頭が働いている状態でテストを受けた方がよっぽどいい成績になる、だそうだ。


 筆箱を鞄の中に放り込み、戸締まりを確認して二人は教室から出ようとするが――


 大粒の雨が曇天から降り注いできたのが、窓越しからでもわかった。窓の外側は雨粒でぬらされて、ガラスに映る景色はどんどんぼやけていく。


「あちゃぁ~。俺、傘持ってないな」


 朝のスマホの天気予報では曇りとしか書いてなくて、雨が降るとは書いてなかったはずだったが……


「天気予報にはちゃんと突然の雷雨に注意って書いてあったよ。あなた、今日の天気しか確認してなくて詳しい情報とか見てないでしょ?」

「う……」

「まぁ、そんな雰囲気がするからね。うわべだけ見て満足してそうな雰囲気が」

「……」


 こちらの思考を読んだかのような質問。おまけにこれが図星ときている。頭がよくてもその頭をどう活かすかはその人次第。ちょっと嫌みな人間が使えば、こういった嫌みを言う人間のできあがり。最近丸くなってきたと思っていたが、変わらない部分もあった。


 傘がないので、しばらくしたら雨がやむことを期待して教室の席に腰掛けて待つことにした。しかしいくら外を見ても雨はやむ気配を見せず、むしろ窓をより一層激しく打ち鳴らしているようにさえ思える。それもそのはず、スマホの雨雲レーダーを確認してみたらしばらく雨が続きそうだった。


 ため息をついた彼が横を見ると、まだ桐嶋は帰っていなかった。先ほどの言いぶりだと彼女はおそらく傘を持っているはず。わざわざ教室に残る理由はない。


「帰らないの? 傘、持ってるんじゃないの?」

「まぁ、そうだけど。もう少し雨が落ち着くのを待っているだけ」

「でも雨雲レーダーによればしばらく雨が続きそうだよ」

「はぁ……そうね。じゃあ帰ろうかな」


 本当に空気が読めない男だ。つくづく桐嶋はそう感じる。たった一言が欲しいだけなのに、きっとこの男は今が言葉をかけるべきタイミングであることさえ気づいていないのだろう。以前に藤宮はラブコメを書いていると言っていた気がするが、この鈍感力で本当にラブコメが書けるのか甚だ疑問だ。


 仕方がない、ここはラブコメのヒロインらしく自分から声をかけていくしか……


「いっしょに帰らない? 藤宮君、傘持ってないんでしょ」

「えっ!? いいの?」

「別にかまわないけど」

「助かるよ、じゃあお言葉に甘えて」


 心の底から嬉しそうな彼を見て、桐嶋はほんの少し安堵する。別に自分と帰ることが嫌ではないらしい。ただほんの少し遠慮していただけのようだった。その遠慮がもっとなくなってくると更にいいのだが、彼には彼なりのペースがあるだろうし、自分も藤宮のペースに合せていくしかない。彼女もまた人との距離をつめるのが得意ではない、お互い自分のペースで狭間をなくしていければいい。


 自分のペース? 果たしてそれはいつまで許されるのだろうか。西条の気持ちに勘づいてしまった今、そんな悠長なことをぬかしていられるのだろうか。それに今の西条は本気だ、というか藤宮しか見えていないような雰囲気が漂っていた。その最たる例が、少し前に彼女が藤宮を昼ご飯に誘ったときだろう。彼女は無意識でしていて気づいていなかったのかもしれないが、あのときの彼女は何度か彼の後ろの席を見ていた。そこはもちろん桐嶋自身の席だ。彼を連れて行った西条が何度かこちらを見ていた、その意味は薄々気づいていた。。




 校舎を出て傘を差し、そこに藤宮が遠慮がちに入っていく。これはいわゆる相合い傘。縮まった二人の距離、早まる鼓動、それ以上に深まる羞恥心。周囲に見られていないか、何か話さないといけないのか、その他些細なことに気が回って、藤宮は心の奥に眠る気持ちを起こすことはできなかった。


 一方、桐嶋の頭の中から西条のことが離れてくれなかった。彼女の陰鬱な気持ちに応えるかのように、雨はどんどん強く、土砂降りになってしまう。二人は会話を楽しむ余裕もなく、急ぎ足でいつもの帰り道を歩いた。


「私はこっちだけど、この後は大丈夫?」

「うん、なんとか。本当にありがとう」

「次からは気をつけてね」

「わかったよ、それじゃ。また明日」


 彼はそう言って、軽く手を振ってから雨を突っ切るように走って行った。絶え間なく降りしきる雨を突っ切るように、止めどなく流れ出す西条の気持ちを突っ切れたら……桐嶋はそんなできもしない思いを胸に抱いた。

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