第34話 気持ちの振れ幅
中間テストがいよいよ明日に迫る。完璧とは言えなかったが、自分がやれるだけのことはやったつもりだった。桐嶋のおかげで苦手をたくさん潰すことができたし、もちろん自習だってがんばった。また、彼自身のなかに西条と一緒に苦手を克服した成功体験があったので、体育祭前ほどは緊張していない。それに勉強は運動よりはできそうな気がしていた。もともと大して勉強していなくても進学校に入るほどの頭脳はあったので、正しいやり方で正しく努力をすればある程度結果を出せるのは必然かも知れない。
最後の見直しを済ませたらいつもより早く布団に入る。彼の中にある成功体験とある程度の手応えが緊張を解きほぐして、いつもと同じように寝付くことができた。
朝の目覚めは快調、体調は万全だし頭もいつものように働いている。あまりの順調さにかえって気味悪く思えてしまうほどだった。それでも今の自分なら大丈夫、そう信じて朝食をとって家を後にした。
テストの時になると席は出席番号で座ることになるので、今日は後ろの席に桐嶋はいない。
(ちょっと調子狂うなぁ)
最近はけっこう優しくなってきたほうとは言え、まだ小言を言われることも多かった。それでも、彼女と過ごしてきた時間は決して悪くなかった。小気味よく言葉を交わした時間は桐嶋との大切な思い出となった。
(哀愁を漂わせていてもしょうがない、最後に見直しをしておくか)
今はありし日を回顧している場合ではない。席が違うのはテストの期間だけなのだから、そんなことは気にせずに最後に悪あがきをしたほうがいい。教科書と単語帳を睨みつけているとやがて無情にも予鈴が鳴り、悪あがきをしていた藤宮を含むクラスメイトたちは教材をしまって、机の上を片付けた。
Ⅰ限目は藤宮的には得意な英語。問題用紙と解答用紙が配られた。そしてチャイムが鳴るのを待つ、何もない時間だけが流れる。ここで余計なことを考えてはいけない、ひたすら無心でたった数分が過ぎるのを待つ。テスト中でも数分がこれくらいの速度で流れてくれたらいいのに、と感じる。そんな無為な時間に終わりを告げるチャイムがなり、同時にテストが一斉にひっくり返す音だけが聞こえた。
真剣なまなざしで問題用紙と向き合う藤宮。今まで覚えた知識を冷静かつ素早く思いだし、ペンを走らせる。どこかの大手の通信教育塾ではないが、まさしく桐嶋といっしょに勉強したところからも出ていて自分でも驚くほど落ち着いている。
テスト中だけ時間が一瞬で過ぎていく。普段の授業もそれぐらい早く過ぎてくれればいいのに、テスト中だけ時間が過ぎるのが早い。それでも彼は冷静に問題の取捨選択をして、より簡単そうな問いを片付けていく。満点を狙うわけではなく、あくまで50点狙いだから捨て問上等。高校レベルにもなれば時間内では解けない問題は無数にある……凡人からすれば。
もう一度チャイムが鳴り、彼の奮闘はひとまず終わる。
(50点は堅いな……60点も夢じゃないぞ)
ペンをおいてこのテストの出来を考える。いや、考えてはいけないのだがつい考えてしまうのが凡人というもの。だが、今回の振り返りはネガティブになるものではない。
思ったよりできた気がして、彼の頬は思わず緩む。実際にいい手応えだと勉強した甲斐があるというもの。
テストが回収された後、生徒たちには休憩時間が与えられる。そうはいっても本当に休んでいる生徒は見たことがない、いや唯一去年の藤宮くらいだろう。去年は何食わぬ顔で寝ていたものだった。
今の藤宮はその時とは違う。時間を有効に使うため、彼はトイレに行こうと廊下を歩いていたら後ろから桐嶋に声をかけられた。小走りしてきたのか、少し息が切れている。
「どうだった?」
「いい感じじゃないかな、今までで一番出来たよ」
「そう、ならよかった」
彼の答えを聞いた桐嶋は安心したかのようにほっと一息つく。何だが藤宮本人より喜んでいるように見えて、ここまで自分のことを心配してくれていたのだと思うと嬉しくもあり……ちょっとだけ情けなくなる。ここまで頼りない姿しかさらしてこなかったから当然と言えば当然ではあるが。
だからこそ、今回のテストでやれば出来るところを見せて少しイメージアップを図ろうという意図もあった。トイレが終わって自分の席に戻る前に、黒板に貼ってあったテストの日程表が目に入った。大丈夫、この調子でやれば文系科目は全部50点狙えるはず。
文系科目? 一瞬いやなことを考えてしまった。心の中で不安が少しずつ渦巻いていく。それを払拭するために前の黒板でテストの日程表に近づいて、はっきりと確認しに行った。この日のテストⅡ限目は世界史。
世界史。今まで何もしていなくても50点以上取れていたから、ほとんど対策をしていなかった科目。桐嶋も古典と英語にかかりきりになって、彼女にほとんど教えて貰っていない。というか、そもそも歴史系は教えて貰ってなんとかなる科目ではないが。
中途半端に他の科目を勉強すると何も勉強していない科目に不安になってくる。
(大丈夫だよな? 今まで取れてたんだし)
そう思ってなんとか自分を落ち着かせようとする。今まで小説の参考にしようと考えて、歴史系の科目は自習してきた時期があった。点数が取れていたのは、その時の貯金のおかげかもしれない。日本史しかり世界史しかり。異世界ファンタジーは得意ではなくて今まであまり書いてこなかったので、なんとか書くために西洋史を勉強してきた。中華系を書くために中国史も勉強してきたし、古代遺跡を作中に登場させるために古代文明について勉強してきたし、歴史転生ものを書くために日本史全般を勉強してきた。
(えっ!? じゃあ……)
そう。つまり、彼の歴史系の知識には当然偏りがあるわけで……。
点数がよかったせいですっかり存在自体を忘れていたが、世界史だって昔勉強したところ以外を出されたら今まで通りの点数を取れるとは限らないんじゃ――
ここで彼は思い出してしまう、今回のテスト範囲を。なんでもっと早く思い出さなかったのか、なんでもっと早く気づかなかったのか。なんで授業を聞いているだけいいと思ってしまったのか。
イスラームと東南アジア
そこは一切の予備知識がない場所だった。授業を聞いていたら大丈夫だと思っていたが、どうやら違った。才能だと思っていたことも、実は過去の努力が自分を支えているだけだったというわけだ。
よくあることなのかも知れない。売れている作家だってもともと書く才能があると思われがちだが、彼らだってきっと幼い頃にたくさんの本を読んだだろうし、幼い頃から自分オリジナルの話を脳内でたくさん作っただろう。そういった過去の努力が今に活きて、人はそれを才能と言って妬ましく思うのだろう。過去何もしてこなかった自分は棚に上げて。
(ってそれどころじゃない! どうしよ、これ!?)
やがて予鈴が鳴って椅子に座らされる。そしてテスト用紙が目に前に迫ってきて、机に置かれた。
点数をとるビジョンが見えない。これはまずい、しかしこう感じてももう遅いことくらいわかっている。うすっぺらい問題用紙がとてつもなく分厚く見えた。
そしてテストが始まるまでのわずかな間がふたたび生まれる。Ⅰ限目が始まる前にはあんなにも早く過ぎて欲しいと願っていたこの時間。それを今では、なるべくゆっくりすぎることを祈っている。そんな無様な藤宮をあざ笑うかのように、絶望のチャイムはすぐさま教室中に鳴り響いた。
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