第30話 くすぶる想い
桐嶋が体調を崩したのは金曜日だったこともあり、週明けには彼女は登校していた。体調が完全に回復したようで、この日の彼女はいつもより機嫌が良さそうだった。
「おはよう」
「う……うん、おはよう」
本当に機嫌がいいのだろう、彼女が笑顔で挨拶なんて藤宮の記憶のうちにはない。
(天変地異の前触れか? いいことなんだけど、かえって気味悪いな)
普段も挨拶はしてくれるが、もっと愛嬌がないというかなんというか……。いつもこれぐらいならいいのに。いつもみたいなツンケンした雰囲気も受ける層には受けるのだろうが、正直に言って今のほんの少しだけ柔らかい態度の方が彼の好みだった。
藤宮はこんな悠長なことを考えているが、テストは刻一刻と迫ってきている。テストが始まる二週間前から部活はなくなるので、今日の放課後にある部活がテスト前最後の部活。時が経つ早さをしみじみと実感する。週末のうちに小説はキリのいいところまで書いたので、これからはテスト一本に集中できるのは我ながらファインプレーだ。
退屈ながら聞き漏らすことのできない授業を受け終え、藤宮は桐嶋と二人で部室まで歩んでいく。
(やっぱり距離縮まったのかな?)
いつもは彼女が颯爽と先に部室へと行ってしまうので二人で行ったことはなかったのだが、この日、彼女は彼の支度が終わるまで悟らせないように待っていた。藤宮にはバレていたが本人がさりげなくやっていたので、彼なりの優しさであえて触れることはしなかった。
(何かあったけ?)
ふと自分が彼女に何かしたのか思い返してみる。何かあったとしたらそれはおそらく金曜日、桐嶋が体調を崩して早退した日。その中で一つだけ自分でも思い当たった出来事があった。だが、次の瞬間にはそんなわけがないという考えが浮かぶ。特にたいしたことをしたわけではないのだから。ただ体調不良の女の子を保健室に連れて行っただけだ、これだけで態度が変わるなんてどれだけチョロいんだ。ラブコメのヒロインもビックリして腰を抜かすことだろう。
(でもそれしか思い当たることが……)
現に、部室に入った今も彼女から視線を感じる気がする。あくまで気がするだけで単に自意識過剰なだけかも知れないけど。しかし、たまにこちらから視線を向けると高確率で、いや全部目が合うのだから非モテの自意識過剰と言い切れない。だが、意味がわからないように思える視線の送りあいは決して悪くなかった。むしろ桐嶋と近づいた気がして嬉しかった。
後から部室に来た西条は、沈黙の中で行われている二人の奇妙なコミュニケーションを不安が入り交じった目で眺めていた。
一切の言葉は交わしていないが、目の前の二人は今までで一番通じ合っていて、自分が取り残されてしまった感覚に襲われる。まるで二人が自分のはるか先を歩いていて、自分は追いつこうにもまったく追いつけないような感覚。自分の大切な人が、もう一人の大切な人に連れられて遠くに行ってしまうような……。
そこまで感じたところで、先週の金曜日は桐嶋がいなかったことで感じていなかった、くすぶった感情を思い出す。その黒くドロドロした感情はより心を侵食して、まっすぐな心を少しずつ腐らせていった。抑えなければいけない醜いうごめきがはっきりと自分の中で感じられることが耐えがたかった。そして、自分の中にある黒いものが自分自身だけでなく、目の前で幸せそうな雰囲気を漂わせている二人の空間を壊そうとしているのが何より耐えがたかった。
二人だけの空間を壊して藤宮を連れていきたかった。西条は一瞬その衝動に襲われる。桐嶋とは友だちなのに……。こんなことは思ってはいけない、心の中で自分自身をひっぱたいて西条は適当な椅子に腰掛ける。なんとか自分を落ち着けないと……。
努めて平然を装って、何食わぬ顔で自分の小説と向き合う。もう少しでテスト二週間前となり、部活がなくなる。そうするとしばらくこの小説を書く暇もなくなると思われるので、最後にキリのいいところまで仕上げておきたい。今、彼女が取り組んでいる恋愛小説において、悩んでいるのが恋敵を出現させるか否かだ。小説において大事なのはどれくらい障壁があるかだといってもいい。それは恋愛小説においても同義。もちろんただイチャつくだけの話にも需要があるのはわかっているし、西条もそういった類いの話は好きなのでそういう路線で行こうかと思っていた。しかし、それだけだと書いていて何か物足りない。
主人公の女の子には親友であり、恋のライバルとなってしまう少女がいて――
そこまで考えたところで西条は書くのをやめてしまった。これ以上先に進んだらもう戻れなくなってしまうと思ったから。
沈黙を破ろうと藤宮が時折声をかけてポツポツと会話が続いても、それは長くは続かなかった。結局この日の部活は今までで一番口数が少なかった。
帰り支度でそれぞれが鞄に荷物を入れたり、戸締まりをしていたりするとき。藤宮は、西条がいつもと比べて静かなことにようやく気づいたが深くは考えず、そのまま作業を進める。窓から外を眺めると一面に曇天の空が広がっている。いくら見ても、空から晴れ間を見つけることはできなかった。
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