第23話 反撃開始

 体育祭が終わった。藤宮のクラスは全員リレーが二位のままで、総合順位は三位という結果だった。かなり健闘したのではないだろうか。ただ、そのおかげか三日経ってもクラスメイトたちはお疲れモード。今までの疲れがどっと出ていた。それは藤宮にも言えることだった。


「そういえば、あと一ヶ月で中間テストだけど勉強は大丈夫?」


 テスト。桐嶋の口からその言葉が発せられると藤宮は思わず顔をしかめた。疲れている今、テスト、特にテスト勉強は勘弁して欲しい。ちょっとばかりごまかしてみようと試みる。


「……たぶん」

「本当? 体育祭が終わって三日なんだから、そろそろ切り替えてやらないと」


 どうやらごまかしが弱かったようだ。藤宮があまり勉強していないことはあっさり露見してしまう。もちろん彼女から貰った単語帳はやっているが、あれだけでは全然足りない。それは彼自身も薄々気づいていたので、もう正直に言ってしまうことにした。


「ああ、でも何から手をつけていいかわからないんだよ」


 勉強が苦手な人に陥りがちなことだが、どこから勉強していいのかわからない。普通は弱点を重点的に勉強するのかも知れないが、今の藤宮はほとんどすべてが弱点。本当に何から勉強すればいいのかわからない。


「……私が教えてあげてもいいけど」


 彼女の言葉の裏には焦りがある。ここで何もしなければとられてしまう、桐嶋自身の直感がそう訴えかけていた。たとえ強引であっても何とか二人きりになれる時間を増やしたかった。


 いや、西条と藤宮が二人きりになれる時間を少しでも削りたかった。


 醜い嫉妬心が彼女をそうさせた。少しでも自分と一緒にいて欲しい、西条の方を見ないで欲しい。恋愛小説では、恋は華美な装飾を施されて風流な言い回しで形容されるが、桐嶋にとって恋はそんなゴテゴテしたものではなかった。もっとシンプルで強い想い。恋愛小説で描かれる恋は美しいが、桐嶋にとっての恋はそんなに綺麗なものではなかった。もっとドロドロして汚い想い。


 結局その日の放課後、藤宮と二人でテスト勉強をすることになった。





 


 五月の中旬、放課後でも教室は日に照らされて熱かった。そこにすうっと涼しい風が部屋の中を通っていく。風の動きに合わせてカーテンがそよそよと動いた。


「去年のテストの点数覚えてる?」

「だいたい覚えてるけど、言うのがちょっと恥ずかしい……」

「何顔を赤くしてるの? なら、細かく言わなくてもいいから何が悪かったかだけ言ってみて」


 (ほとんど全部なんだよなぁ~)


 意外と記憶力がいい彼は一年の後期期末のテストの点数は覚えている。黙っていても何も始まらないので彼は口を開くことにした。


「覚えてるから言うよ。現代文は76点、世界史は54点、日本史は61点」

「……意外といいじゃない」


 もちろんいい科目だけを言ったからだ。ここまでは平均点と同じ、または平均点より高いので言うのがはばかられるというほどではない。問題はここからだ。そう、ここからなのだ。


「……古典17点、数学Ⅰ12点、数学A8点、英語6点、化学15点」

「……」

「どうだ参ったか?」


 あまりに悲惨な点数。開き直って、おどけた口調で桐嶋に問いかけた。


「……正直参ったわ。まぁ、文系クラスだから化学はないからいいけど、それにしても……全教科30点くらいだと思ってたんだけど」


 前に一応実力を測るために彼に問題を解かせたこともあったので、ある程度低いことは覚悟していたがまさかここまでとは……


「数学はどうする? いっそ数学は捨てて私大に行くのもアリだと思う」

「じゃあ数学は捨てるよ、やっててもできそうにないから」

「……意外とあっさり決めるのね。じゃあ尚更英語と古典はちゃんとやらないと」


 私立文系に行くとしても今の点数ははっきり言って論外だ。英語6点はさすがにまずいし、古典17点も早急に改善しなければいけない。科目が絞られるほどその科目の問題自体は難しくなるのだから。


「とりあえず英語と古典の目標点数は50点ね」

「ご……50!?」

「今くらいの点数ならちゃんと勉強すればすぐ上がるよ」

「そんなもんか?」

「もちろん現代文と歴史二つも今の点数を維持してね?」

「鬼だ……」

「返事は、イェスかはいしかないけど」

「イェス……」


 桐嶋の圧に押されて藤宮はそのまま勉強をする流れになった。要は文系科目は全部50点以上を目指せということ。あまりの無理難題に思わず彼は頭を抱える。今の点数だって正直記号を適当に埋めてとったものだから、次にもう一回テストをされたら古典は一桁だってあり得る。この程度の実力で50点は至難の業。


 ここまでしてくれなくてもいいのに、正直藤宮はそう思う。何より彼女だって自分の勉強があるはず。こんな頭の悪い自分にかまわずに彼女自身のために勉強した方がよっぽどいいに決まっている。


「自分の勉強はいいの? 何も俺にここまでしてくれなくても――」

「私は頭がいいから大丈夫よ。藤宮君は人の心配より自分の心配したら?」

「……知ってるか? 正論は人を傷つけるんだ」


 ゴールデンウィーク中に桐嶋が人知れず勉強していたことは知らないので、当然といえば当然の疑問。しかし、それを言ってしまえば最初からこの展開を狙っていたことがバレてしまうので、彼女は冷たくあしらう。その日は下校時間ギリギリまで二人きりの時間を過ごした。


 やがて勉強が終わり、二人は並んで帰路につく。


「なぁ、部活がない日の放課後は勉強を教えてくれないか?」

「もちろん、いつでも見てあげるから」


 そういって桐嶋は屈託のない笑みを見せる。前まではめったに見せなかった笑顔が増えているように思われた。少しずつではあるが彼女も心を開いてくれている、だからこそ心を開いたことを後悔させないようにしたい。藤宮は切にそう思った。

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